文/後藤雅洋
前回、ハービー・ハンコックの紹介記事で、ファンの世代によるミュージシャン・イメージの違いという話をしましたが、テナー・サックス奏者スタン・ゲッツの印象も、ハンコックほどではないかもしれませんが、ファンの世代によって違いがあるようです。
ジャズがわが国に幅広く紹介された1960年代にゲッツを知ったファンは、間違いなく「“ボサ・ノヴァ”のゲッツ」というイメージが強いはずです。というか、なかには“ボサ・ノヴァ”はスタン・ゲッツが始めた音楽だと思い込んでいた方までいたようですね。
それはさておき、“ボサ・ノヴァ”という当時の新しいブラジル音楽が、スタン・ゲッツによって日本に紹介されたという面は少なからずあったようです。
他方、戦後間もない頃からジャズに親しんでいたベテラン・ファンは、むしろ「クール・テナーの巨人」としてゲッツに親しんでいたのではないでしょうか。40年代末に「白人流“ビ・バップ”」として一時代を築いた“クール・ジャズ”の一方の雄が、スタン・ゲッツだったのです。
クール・ジャズは、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーの発明による「コード進行に基づく即興演奏」という“ビ・バップ”と発想は同じなのですが、聴いた印象がずいぶん違うのですね。おそらく白人ミュージシャン特有の感覚なのでしょう、パーカーたち黒人ジャズマンの熱気に満ちた演奏に比べ、相対的に“クール”に聴こえるのです。
具体的に説明すると、音が激しく跳躍し刺激的でギザギザした感覚の黒人流“ビ・バップ”に対し、音符の移行がスムースでなめらかなのが“クール・ジャズ”の特徴。楽器自体の音色も、音の輪郭が明快でメリハリの効いたバップ派に対し、相対的にソフトでなめらか。ですから、ともに即興演奏に力を注いだ「モダン・ジャズ」なのですが、聴いた印象はかなり違うのですね。
スタン・ゲッツは1927年(昭和2)アメリカ北東部、ニューヨークにほど近いペンシルヴァニア州フィラデルフィアに生まれました。彼の先祖を辿るとロシアからのユダヤ系移民で、このことは彼の音楽歴を辿る上で割合、大きな意味をもっていたようです。
話が若干脇道に逸れますが、アメリカのジャズ事情を知る上で思いのほか重要なポイントなので、この点を説明しておきましょう。
ジャズは黒人音楽として誕生したという歴史があるので、ミュージシャンが黒人か白人かという問題は避けて通れません。実際、ある時期(およそ1970年代ぐらい)までは、文化背景の違いによる演奏の肌触りの違いが明白にあったため、この区別はけっして机上の空論ではなかったのです。
日本ではアフリカン・アメリカン以外のアメリカ人は、単に「白人」とひとくくりにされていましたが、言うまでもなく白人といっても単一ではありません。その「白人ジャズマン」の中には飛びぬけて才能のある一群があり、それは「ユダヤ系の人たち」なのですね。
ピアノのビル・エヴァンスはじめアルト・サックスのリー・コニッツ、クラリネット奏者でスイングの帝王として知られたベニー・グッドマンや、同じくクラリネットを吹くバンド・リーダー、ウディ・ハーマンなど、まさに綺羅星のごとき名前が並んでいるのです。
そしてジャズにスタンダード・ナンバーを供給した作曲家たちに目を向けても、アメリカを代表する大作曲家ジョージ・ガーシュウィンや、「ホワイト・クリスマス」で知られたアーヴィング・バーリンはじめ、大多数の作家がユダヤ系です。というか、むしろ非ユダヤ系の有名作曲家はコール・ポーターぐらいしかいないのが実情だったのです。
スタン・ゲッツに話を戻すと、彼はベニー・グッドマン楽団やウディ・ハーマン楽団で若い頃に鍛えられ、頭角を現してきました。つまり「ユダヤ人脈」を利用してきた面が少なからずあるのですね。
しかし面白いのは、そうかといってゲッツの音楽は「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに代表される、哀愁を帯びた「ジューイッシュ・メロディ」の影響を直接感じさせたりはしないところです。これはビル・エヴァンスやリー・コニッツにも少なからずいえて、彼ら一流ジャズマンはみな文化背景を超えたオリジナリティを備えているのですね。
■レスター・ヤングに憧れて
それでは、ゲッツのアイドルは誰だったのでしょう。意外なことに、あの天才アルト奏者チャーリー・パーカーにも影響を与えた黒人テナー・サックス奏者、レスター・ヤングなのです。
時代的には“ビ・バップ”以前の“スイング・スタイル”に属するレスターですが、彼の演奏が「モダン・ジャズマンたち」に与えた影響は思いのほか大きいのです。レスターの繊細で微妙なリズムへの乗り方やフレージングはパーカーへ、そしてソフトなテナーの音色はゲッツへと影響を及ぼしているのです。
つまり、楽器も違えば、聴いた印象も対照的な「ホット系ジャズマン」の代表パーカーと、「クール・ジャズの巨人」ゲッツの双方のルーツを辿ると、同じ人物に行き当たるというわけなのです。
“ビ・バップ”が興る直前の1943年、まだ10代のゲッツはハイスクールを辞め、ニューヨークのミュージシャン・ユニオン(音楽家組合)に加わってプロの演奏家として活動を始めます。そしてスタン・ケントン楽団やトミー・ドーシー楽団といった一流バンドで経験を積み、45年に前述したベニー・グッドマンに引き抜かれます。しかしゲッツは当時の最新流行音楽“ビ・バップ”への感心が強まり、グッドマン楽団を去ることになります。
ゲッツはこの時期にレスターを知り、大いに惹かれると同時に、パーカーのレコードを聴きながらそれに合わせて練習したりもしているのですね。つまり、演奏を組み立てる基本構造はパーカー流“ビ・バップ”で、それを表現する楽器の音色はレスター譲りのマイルド・トーンというわけです。
この時期、ゲッツの演奏に対して直接レスターが彼一流の洒落た言いまわしで好意的なコメントを与えています。若き日のゲッツは大いに発奮したことでしょう。そして、ゲッツと同じようにレスターの影響を受けた白人テナー奏者たち、総勢4人による独創的なハーモニーが話題になると、前述のウディ・ハーマンは彼らをオーケストラに雇い入れたのです。
ハーマンは若干メンバーを入れ替えた上で、4人の斬新なサウンドをフィーチャーしたナンバー「フォー・ブラザーズ」を発表します。この曲は大ヒットし、今でもビッグ・バンドの定番曲のひとつとなっています。
ちなみに、このときの「フォー・ブラザーズ」のサックス・セクションは、ゲッツ、ズート・シムズ、ハービー・スチュワードの3人がテナー・サックス、そしてサージ・チャロフがバリトン・サックスという編成でした。ふつうビッグ・バンドのサックス・セクションはアルト奏者2名、テナー奏者2名、そしてバリトン奏者1名の5名ですから、「フォー・ブラザース」の楽器構成はかなり中音域が分厚い、独特のサウンドといえます。
ゲッツは’49年にハーマン楽団を辞め、できたばかりのジャズ・レーベル、プレスティッジにリーダー作を録音します。そして’51年にはスウェーデンを訪れ、現地の民謡をもとにした名曲「ディア・オールド・ストックホルム」を録音しました。
おおよそこの時代の、相対的に細身でちょっとかすれたようなテナー・サウンドがゲッツのクール時代を代表する演奏です。最初に話した「ベテラン・ジャズ・ファン」は、この時期のスタイルの印象が強いのでしょう。
■ボサ・ノヴァも“素材”
しかし、ゲッツはいつまでも同じところにとどまってはいません。1952年には有能なプロデューサー、ノーマン・グランツ率いるクレフ・レーベル(のちのヴァーヴ)に移籍します。
グランツは大物ミュージシャン同士の顔合わせセッションが大好きで、ゲッツもトランペッター、ディジー・ガレスピーはじめ、バップ派のスター・プレイヤーたちと共演するうち、しだいに演奏の力強さが増していきます。そしてゲッツは’50年から’59年まで、連続10回もアメリカのジャズ雑誌『ダウンビート』の読者人気投票首位に輝くまでになりました。ゲッツは確実にテナー・サックスの巨人の地位を獲得したのです。ちなみに’60年にゲッツから首位の座を奪ったのが、新人テナー奏者ジョン・コルトレーンでした。
その間、ゲッツはスウェーデンの女性と知り合い、彼女と生活を共にするため’58年にスウェーデンに移住します。どうやらゲッツは北欧と縁が深いようですね。しかし、ジャズの本拠地ニューヨークを離れていたためか、コルトレーンに首位を奪われたゲッツは、’61年にアメリカに戻ります。そしてゲッツの名を再び高からしめた“ボサ・ノヴァ”と出会うのでした。
“ボサ・ノヴァ”は1950年代中頃にブラジルで生まれた新しい音楽で、リオのカーニヴァルで有名なサンバなど、ブラジルの大衆音楽をもとにしつつも、ソフトでより洗練された雰囲気が特徴です。
ゲッツは“ボサ・ノヴァ”の生みの親のひとり、ブラジルのギタリスト兼歌手であるジョアン・ジルベルトと、彼の奥さんであるアストラッド・ジルベルトをゲストに迎え、’63年に『ゲッツ/ジルベルト』(ヴァーヴ)というアルバムを作りました。これが大ヒットし、ゲッツは再び脚光を浴びることとなったのです。
このアルバムの成功は、“ボサ・ノヴァ”という目新しい音楽の効果ももちろんありましたが、言うまでもなくジャズマンとしてのゲッツの実力があってこそのものでした。ですから、ゲッツや他のジャズマン経由で“ボサ・ノヴァ”がアメリカで大流行し、それが日本を含む世界中に広まったという思わぬ副産物があったとしても、そのことがゲッツの音楽自体に取り立てて変化をもたらすことはありませんでした。
ジャズマンとしてのゲッツにとって、“ボサ・ノヴァ”は他の多くのスタンダード・ミュージックと同じ「優れた素材」であったのです。
こうした事実は、ゲッツのジャズマンとしての資質を探る上でも重要なポイントです。というのも、ハービー・ハンコックの記事でも触れましたが、ジャズ・ミュージシャンは大きくふたつのタイプに分かれるからです。
■即興に賭けるジャズマン
天才アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーのように、自分の即興演奏のみで勝負するタイプと、カリスマ・トランペッター、マイルス・デイヴィスのように、自らのトランペット演奏+バンド・サウンド全体の音楽性で自己表現を行なうタイプのふたつです。
ハンコックの記事ではパーカーを典型的「ジャズマン・タイプ」、マイルスを「音楽家タイプ」と、私流に命名しましたよね。では、ゲッツはどちらのタイプなのでしょうか?
クール時代のゲッツ・サウンドが、特有の「雰囲気」を漂わせていたり、“ボサ・ノヴァ”のゲッツが一定の「気分」を表現しているので、音楽全体で自己表現するという意味で、どちらかというと「音楽家」タイプかと思われるかもしれません。でも、じつはゲッツはパーカーと同じ典型的「インプロヴァイザー」なのですね。
「即興演奏」のことをちょっと気取って「インプロヴィゼーション」などというのですが、インプロヴァイザーとは、要するに「アドリブ一途」のプレイヤーという意味です。
ですから、一般音楽ファンが哀愁を帯びた北欧民謡や、ちょっと気だるいボサ・ノヴァ・ムードでゲッツ・ファンになれるポピュラリティーの裏側に、アドリブの冴えに命を削る壮絶な即興演奏家としての顔が潜んでいるのです。
訳知り顔でこのような解説をしている私自身、黒人ハード・バッパーの「わかりやすい熱演」とは少しばかり距離をとっているゲッツの、ほんとうの凄みに気がつくにはずいぶん時間がかかったものです。
こうしたゲッツですから、当然「ボサ・ノヴァ以後」も自らのインプロヴァイザーとしての道を突き進みます。ロックの台頭でジャズ・シーン全体が曲がり角を迎えつつある1967年、ピアノの新人チック・コリアをサイドマンに迎え、“ボサ・ノヴァ”のテイストを巧みにジャズに取り入れた名盤『スウィート・レイン』(ヴァーヴ)を録音します。この作品は、チックの斬新なピアノとゲッツのオーソドックスなジャズ・スタイルが緊密に結びついた、1960年代ジャズを代表する名盤のひとつです。
チックはその後、マイルス・デイヴィス・グループに起用され、’72年にはフュージョンの先駆けともいえる話題アルバム『リターン・トゥ・フォーエヴァー』(ECM)を録音し、一躍、’70年代ジャズを牽引する重要人物となりました。サイドマンに対する態度が悪いと噂されるゲッツですが、才能のあるミュージシャンをきちんと見抜くリーダーシップも備えているのです。
たまたまゲッツの人柄に話が及びましたが、たしかにゲッツは私生活においてはいろいろと問題が多く、場合によっては「手抜き演奏」をするなどといわれています。こうした「醜聞」は関係者の証言を見るかぎり、あながち「ためにする噂」ともいえないようです。
ただ、気分が乗ったときの演奏は圧倒的で、まさにその日の調子に左右される「インプロヴァイザー」ならではの宿命、言い方を変えれば、良くも悪くもゲッツは典型的「ジャズマン」なのですね。 そして何よりゲッツの凄みは、その気力、勢いが晩年になってもまったく衰えを見せないところです。
それを象徴するのが、癌の宣告を受け、死のわずか3か月前に録音した『ピープル・タイム』(エマーシー)の素晴らしさです。発想、楽器の鳴り、そしてアドリブの冴えのすべてにわたって圧倒的なスケールの大きさを示しているのです。まさに彼こそ「テナーの巨人」の名にふさわしいジャズマンといえるでしょう。
文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。
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