文/後藤雅洋

およそ半世紀も昔、私がジャズを聴き始めたころ最初に好きになったアルバムの1枚が、稀代の名ジャズ・ギタリスト、ウェス・モンゴメリーの代表作『フル・ハウス』(リヴァーサイド)でした。

しかしそのころはウェスが抜群のテクニックの持ち主であることなどまったく知りませんでした。ジャズマンなら誰でもこれぐらいできるのだろう、ぐらいに思っていたのです。

その後、いろいろとジャズについて詳しくなるにつれ、ウェスがずば抜けたテクニシャンであることを知りましたが、それでもまだ実感はありませんでした。というのも、たとえば一部のロック・ギタリストのように、軽業的速弾きで聴き手を驚かせるようなことをウェスはしないからです。

ですから、ただ「ジャズ・ギターって、いいよね」という素朴な感想しかもたなかったのです。

結論からいうと、こうした私の実感はそれほど間違っていたわけではなく、しかしそのこと自体がウェスの圧倒的テクニックの結果だったのです。ですから今回は、ジャズとテクニックの関係という視点から話を始めようと思います。

ジャズを聴き始めたばかりで右も左もわからないうちから、「ジャズマンなら誰でもこれぐらいの演奏はできるのだろう」と私が思ったように、ジャズマンは楽器がうまい、という共通認識は昔からあったようです。

というのも1960年代当時はベンチャーズ・ブームで、高校の友人たちの間でにわかロック・ギタリストが山のように誕生しましたが、アマチュア・ジャズ・ギタリストなどというものにはまずお目にかかったことはありませんでした。ギター少年たちに「ジャズはやらないの?」と聞くと、判で押したように「難しいから」という返事が返ってきたものです。

そうした体験から、ジャズは楽器がうまくなくては演奏できないという知識が、ふつうの音楽ファンたちの間に行き渡っていたのですね。じつはこうしたジャズ理解は、まったくの間違いではないにしろ、少し単純すぎるのです。

たしかにジャズはちょっとギターが弾けるからといって演奏できる音楽ではありません。しかしそれだけではなく、圧倒的に技術が優れているクラシック・ギタリストでも、やはりジャズは難しいのです。ここにジャズの秘密・面白さ、そして聴きどころが潜んでいるのです。

ジャズならではの大きな特徴「即興演奏」は、クラシックのように譜面どおりに演奏できるだけでは難しいのですね。そこで新たな疑問が浮かんできます。なぜそんな面倒なことをわざわざやるんだろう?

これも長いこと疑問でしたが、理由は意外に単純で、「即興的に演奏したほうが個性的表現ができるから」なのでした。

ロックやポップスそしてクラシック音楽にしても、「曲」を演奏すれば、うまければうまいほど最初にクローズ・アップされるのは、作曲者の才能でしょう。もちろんそれらを巧みに表現した演奏者もたいしたものですが、やはり「作曲者」の存在も無視できませんよね。これらの音楽ジャンルでは「作曲家の個性」が演奏と切り離せないのです。ジャズはそこに風穴を開けたのです。

それは「作曲者」の存在を無視したりしないで、ちゃんとその曲目を演奏しつつ、要所要所で自分流に改変しちゃうのです。「コード進行」であるとか「モード」といった音楽的ルールにのっとって「原曲」を即興的に改変し、個性的表現を行なうのです。

しかし、ここにも大切なポイントがあって、いくら個性的でもジャズとして魅力のあるものでなければダメなのです。たんなる自己流・自分勝手な演奏はアウトということですね。この条件は「音楽的に魅力的な個性」と置き換えてもいいでしょう。

■技術は音楽のためにある

さていよいよ本題です。ジャズで求められる演奏技術は、たんに楽譜に忠実なだけではダメで、それが「ジャズとして魅力的な個性表現」でなければいけないのです。これはけっこう難しい。

つまり目標が作曲者の意図の反映といったひとつに絞られず、やれ「ジャズとして」だとか「個性的表現」だとか、おまけに「音楽としても」などと連立方程式ではありませんが条件が多すぎる。

そこでウェスが登場するのですね。彼はこうした面倒極まりない条件をすべて最高度のレベルでクリアしているのです。

まずは「音楽として」という条件です。これはちょっと抽象的な条件と思われるかもしれませんがじつは、いちばん簡単。その理由は、私のようにジャズ入門者でも、すぐに「いいな」と思えるところです。「ジャズ入門者」は当時の私も含め、ジャズの聴きどころをまだよく摑めていません。しかし、ごく普通の音楽ファンとしての「心地よい演奏~いい音楽」という、きわめて自然な感受性はおおむね備わっているものなのです。

次の条件はもっと抽象的かもしれません。「ジャズとしての魅力」といわれてもすぐには答えられませんよね。しかしこれも意外にシンプル。これまたジャズ入門者の私が「ジャズ・ギターっていいなあ」って思えたからです。つまり、あまりジャズに親しんでいなくても、漠然とではあれジャズに抱いているイメージを、ウェスはわかりやすく伝えているのですから、まさに「ジャズとして」も優れているのです。

そして最後の条件「個性的表現」です。これもわかりやすい。

ウェスのアルバムのうち、最初に気に入ったのが前述の『フル・ハウス』だったのですが、ほぼ同時期にピアノの名手ウィントン・ケリーとウェスが共演したアルバム『ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ』もまた好きになったのです。

お恥ずかしい話ですが、当時の私はあまりジャズマンの区別がつきませんでした。ジャズ・ギタリストはみな一緒くたに聴こえたのです。しかしその中でも不思議なことに、ウェスの演奏は「これは同じミュージシャンだ」と聴き分けられたのですね。バカバカしい話のようですが、じつはこれこそが「ジャズマンの個性」なのです。

さて、結論です。音楽的に優れジャズっぽくて入門者にも親しみやすく、しかも誰が演奏しているのかがすぐにわかるような個性的テクニックの持ち主が、ウェス・モンゴメリーなのです。こんなギタリスト、ウェスのほかにはいないのです!

では、いよいよそのハイテクの中身を詳しくみていきましょう。

まずいちばんわかりやすいのはそのマイルドな音色でしょう。普通ジャズ・ギタリストはプラスチックなどでできたピックを使って演奏しますが、ウェスは親指の腹で弦を弾いているのです。ですから音の立ち上がりがまろやかで聴き手の耳に優しいのですね。

簡単なことのようですが、ギタリストに尋ねてみると、そんなやり方であれほどリズミカルに演奏することなどとうてい無理、だそうです。まずもってここにウェスの「技術の秘密」が潜んでいるのです。

これはある意味で「音楽における演奏技術のもつ意味」という一般論にも通じます。それは「どう聴こえるかが大切」ということです。この場合は「マイルドに聴こえる」ということが目的で、そのためにウェスはあえて困難な奏法を採っているということですね。

ここは意外に重要なポイントで、一部に「難しいやり方をするから凄いんだ」という逆転した発想がみられるのです。

こうした勘違いは他にもあって、いちばん多いのが「ジャズの凄さは難しいアドリブをやっているから」という意見です。これもじつは間違いなのです。というのも、こうした見方は典型的な「目的と手段の取り違え」で、ジャズマンがあえてアドリブをするのはそのほうが個性を出しやすいからで、けっして「どーだ、難しいことやってるんだぞ」と聴き手を平伏させようということではないのです。

もちろんファンを圧倒するような演奏は難しいに決まっていますが、それは「手段が難しい」ということなのですね。

ウェスのハイテクの2番目は「オクターヴ奏法」です。1オクターヴ離れた2音を同時に弾いてメロディ・ラインを演奏し、厚みのあるトーンで旋律を明確に聴き手に印象づける高等テクニックです。

これもピアノのような鍵盤楽器でしたら難しくはありませんが、ギターでやるのはきわめて困難。ですからウェスのように、この奏法で自在にメロディ・ラインを弾きまくるジャズ・ギタリストなど考えられませんでした。

そして3番目は「コード奏法」です。これはメロディを「単音旋律」で演奏するのではなく、その旋律に付属する和音=コードも同時に演奏する奏法のことで、それによってサウンドの厚み、ふくよかさが表現できるのです。

これも鍵盤楽器でしたら簡単にできますが、やはりギターでは難しい。「オクターヴ奏法」にしても「コード奏法」にしても、きわめて難しい技術なのですが、いちばんのポイントは、それが聴き手にはシンプルな「グッド・ミュージック」として伝わってくるところなのです。

これこそがウェスのギター・テクニックの本質であり、まさに音楽における演奏技術はどうあるべきかの理想の姿なのですね。

■独学が作った個性

ウェス・モンゴメリーの本名はジョン・レスリー・モンゴメリーで、“ウェス”は愛称。彼は1923年(大正12)にアメリカ中東部インディアナ州の大都市インディアナポリスで生まれました。

兄のモンク・モンゴメリーはベーシストで、弟バディ・モンゴメリーはピアノとヴァイヴラフォンを弾くともにジャズ・ミュージシャン。彼らはウェスとともに「ザ・モンゴメリー・ブラザーズ」として活躍し、アルバムも残しています。

兄のモンクは弟思いで、音楽に興味を持ち始めたウェスのために、なけなしのお金をはたいて質屋で買った4弦ギターをプレゼントしたのです。ウェスは兄の思いに応えるため猛練習、12、13歳のころには独学でかなり上手になっていたそうです。

20歳になるころジャズ・ギターの開祖といわれたチャーリー・クリスチャンのレコードを聴いて深く感銘を受け、6弦ギターを購入、「耳を頼りに」クリスチャンのソロを完全にコピーできるまでになったのです。

この経歴はかなり重要で、ウェスは専門の音楽教育をまったく受けていないのですね。どうやら楽譜も満足に読めなかったようです。しかし、それ以上に驚かされるのは「にもかかわらず」ウェスの演奏は完全に「ジャズ理論」に合致しているのです。

この事実は、いわゆる「音楽理論」といわれるものが「聴いて心地よい音」の集大成であることを示しているのですね。つまり、ウェスの優れた感受性は、歴史的に積み重ねられた「良い音の選び方」を、自然と身につけていたのです。

ウェスはそのころ大人気のヴァイヴラフォン奏者ライオネル・ハンプトンがインディアナポリスを訪れた際、オーディションを受け、見事楽団員に採用されます。1948年のことでした。そしてウェスはハンプトン楽団員として全米をツアーするのですが、ここからが彼らしいのです。

飛行機嫌いのウェスは、メンバーが飛行機で移動する際、ひとりだけ自動車を運転して行ったというのです! アメリカは広い、これは疲れるでしょう。それやこれやでウェスはハンプトン楽団を辞めてしまい、故郷に戻り音楽活動も一時は中断してしまうのです。50年のことでした。

しばらくして兄モンク、弟バディらとバンドを再開し、地元インディアナポリスで評判をとるようになります。その後兄弟バンドはニューヨークでオーディションを受けたりもしているのですが、あまり芳しい結果は出ません。

思うに50年代のジャズ界では、どうしてもトランペットやサックスといったホーン奏者に関心が向かいがちで、相対的に地味なギター奏者は不利だったということや、地方のバンドというハンディもあったのかもしれません。

■“発見されてデビュー

そんなウェスにチャンスが訪れます。

まずはジャズ評論家ガンサー・シュラーがインディアナポリスを訪れ、彼の圧倒的なテクニックと音楽性の高さを好意的に伝えた記事をジャズ雑誌に寄稿します。次いでアルト・サックス奏者キャノンボール・アダレイがかの地を訪れ、ウェスの演奏に感銘を受け、当時彼が契約していたリヴァーサイド・レーベルのプロデューサー、オリン・キープニュースに「凄いギタリストがいる、彼と契約すべきだ」と告げたのです。

そして1959年に初リーダー作『ウェス・モンゴメリー・トリオ』をリヴァーサイドに録音し、その実力にしては遅めのデビューとなったわけです。以後前出の名盤『フル・ハウス』など多くのアルバムを出し、ジャズ・ギターの帝王としての地位をゆるぎないものにしていきます。64年にはヴァーヴ・レコードに移籍し、ウィントン・ケリーと、これも私の大好きな前出の名盤『ハーフノート~』を出すなど、まさに脂の乗りきった活躍をしています。

しかし、皮肉なことに、この時期ウェスは人気がありながら一種のジレンマに陥るのです。それはヴァーヴ・レコードのプロデューサー、クリード・テイラーの方針によって、よりポピュラーなファン層にも受け入れられるようなアルバム作りが企画されたからです。

当時ビートルズ旋風が全米を襲い、レコード業界にもその余波が及んでいました。それまで数千枚単位の売り上げで満足していたジャズ・レーベルも、数十万単位の売り上げが見込めるロック・アルバムと対抗していく必要に迫られたのです。ですからテイラーの方針そのものは非難できないのですが、従来のジャズ・ファンは違和感を抱き、ウェス自身も新たなポピュラー路線と本来のジャズ・ギタリストとしての立場の乖離に悩んだのです。

そうした状況の中、67年にはテイラー自身が起こした新レーベルA&M/CTIにウェスは移籍し、ビートルズ・ナンバーを収録した『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を録音しますが、なんとこのアルバムは全米ジャズ・チャートの首位だけではなく、総合チャートの13位にまで進出したのです。まさにジャズがポップスに対抗したのですね。

このアルバムは日本のジャズ喫茶でも大流行し、これを聴いてウェス・ファンになった方々もきっと多いことかと思います。そういう意味では、テイラーの企画が多くの音楽ファンをウェスに出会わせ、そしてジャズ入門に導いた功績はたいへんに大きかったといえるでしょう。

しかし、まさにこれからが勝負という68年、ウェスは心臓発作のため40代半ばで惜しくも世を去ってしまったのです。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

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