文/後藤雅洋
「ジャズの巨人」シリーズでは、たびたび冒頭にジャズ・ファンの抱く一般的ミュージシャン像を紹介してきました。それは読者のみなさんのミュージシャン理解の入り口に最適だと思うからです。
しかし採り上げるジャズマンによっては、そのイメージが一通りではない場合があります。時代によってスタイルを変えるミュージシャンは、ファンの世代によって印象が大きく変わってしまうからです。カリスマ・トランペッター、マイルス・デイヴィスや、今も第一線で活躍するピアニスト、ハービー・ハンコックなどがいい例でしたね。
今回紹介するアルト・サックス奏者キャノンボール・アダレイの場合も、マイルスやハンコックほどではありませんが、時期によってスタイルを変えています。
私など団塊世代のジャズ・ファンは、「ファンキー大将」のイメージが強烈です。私がジャズを聴き始めた1960年代前半には、1961年の初来日で日本じゅうに“ファンキー・ジャズ”ブームを巻き起こしたドラマー、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ一行の余韻がまだ残っていました。
それを加速させたのが翌62年のファンキー・ピアニスト、ホレス・シルヴァーの来日公演であり、63年のキャノンボールの初来日だったのです。
そしてまさにこの時期のキャノンボールはもっとも「ファンキー指数」が高い時期でした。ちなみに「大将」というのは彼の堂々とした体軀からの印象で、細身で精悍な表情のシルヴァーは「ファンキーの伝道師」といったイメージですね。
話の順序として“ファンキー・ジャズ”とは何か? というところから始めましょう。
「ファンキー」とはスラングで、土臭いとか気さくで下世話なことを指す黒人大衆の生活感覚に根ざした気分のことです。簡単にいえば“ファンキー・ジャズ”とは「黒っぽいジャズ」ということになります。
「ジャズはもともと黒人音楽なのでは?」という当然の疑問が出てくると思いますが、ジャズの歴史をひもとくと、けっこう大物白人ミュージシャンも多く、代表格はクラリネット奏者ベニー・グッドマンでしょう。
彼は30年代に一大スイング・ブームを巻き起こし、全米を熱狂の渦に巻き込みました。その功績はたいへんに大きく、それまで黒人コミュニティや一部のマニアックなファン層にしか聴かれていなかった「ジャズ」を、アメリカの多数派である平均的な白人層をも取り込み、一躍全米に広げたのです。やはり白人流ジャズはわかりやすかったのですね。
その反動ともいうべき新たなムーヴメントが、40年代半ばに興った“ビ・バップ”でした。黒人アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーと、同じく黒人であるトランペッター、ディジー・ガレスピーによって主導されたこの革新的ジャズ・スタイルは、まさに「黒人ジャズ」の最たるものです。しかし注目したいのはそのファン層です。
親しみやすく大衆的なスイングに比べ、即興部分を強化した“ビ・バップ”は、スリルや生々しさという点では明らかに“スイング”より勝っていますが、率直にいって、「大衆性」という点では限界があったのです。というか、「ジャズ」は30年代半ばの「スイング・ブーム」を唯一の例外として、結局老若男女誰もが楽しめる「大衆音楽」の地位を得ることは難しかったのです。
理由は簡単で、もともと大衆芸能音楽=娯楽音楽として自然発生した「ジャズ」が、しだいに音楽的洗練の度を加え、“ビ・バップ”に至り「芸術」と呼べるレベルにまで内容が高度化したからでした。どちらが良いということはさておき、ふつうに考えて「芸術的」なものと「大衆的」なものでは、ファンの数ではつねに大衆的なものが優位に立つことは理解いただけるかと思います。「ジャズ」はまさにこの「一般法則」が成り立つ音楽ジャンルなのですね。
しかしながら事情はそれほど単純でもありません。というのも、もともとブラック・ピープルの肉体と、使用する楽器に由来する西欧音楽の頭脳が融合してできたジャズは、さまざまな要素が融合した混交音楽なのです。
娯楽的要素と芸術的内容が不可分に結びつき、混ざり合っているのですね。ですから、芸術性を一気に高めたパーカー・ミュージックの中にも、当然黒人芸能的要素が認められるのです。
とはいえ、それを「混合比率」で見てみれば、やはり芸術指数が高い。つまり、同じ「黒っぽさ」とはいっても、芸術性を帯びた黒さと大衆的な黒さがあるのですね。もちろんそれは黒人音楽に限った話ではなく、白人音楽でも一般にクラシック音楽は芸術音楽、そしてポピュラー・ミュージックは文字どおり大衆音楽として理解されていますよね。
ずいぶん回り道をしてしまいましたが、要するに“ビ・バップ”が芸術的ブラック・ミュージックだとしたら、“ファンキー・ジャズ”は大衆的黒人音楽であるということなのです。
そしていよいよ今回の主人公、キャノンボール・アダレイの「もうひとつの顔」に話題が移ります。なんと、芸術的ジャズの代表格に挙げたチャーリー・パーカーの後継者としてキャノンボールはデビューしているのですね。
つまり、アートからポピュラーへの変容が、キャノンボールに「ふたつの顔」をもたらしているのです。
■“一夜でスター”伝説
ジュリアン・エドウィン・アダレイは1928年(昭和3年)アメリカ南東部フロリダ州タンパに生まれました。
「キャノンボール」はアメリカ・ジャズ界ではお馴染みの「愛称」です。その意味は、「キャノン=大砲」の「ボール=弾丸」、つまり昔の大砲の弾は炭団を大きくしたような丸い鉄の玉だったので、彼のでっぷりとしたおなかの出具合からきたという説と、「人食い=キャニバル」のように大食いだったから、という説があります。まあ、キャノンボールとキャニバルでは発音が似ているので、両方のニュアンスを込めたのかもしれません。
余談ですが、ジャズマンの愛称はデューク(=公爵)・エリントンに始まりカウント(=伯爵)・ベイシーなど、枚挙にいとまがありません。エリントンの場合は彼の貴族的佇まいが理由で、日本なら旧華族の最高位「公爵」の愛称が付けられ、ベイシーはエリントンに遠慮したのか、同じく旧華族公爵の2ランク下の「伯爵」というわけです。ちなみに「公爵」の次位は「侯爵」。
キャノンボールはのちにパーカーの後継者として「ニュー・バード」などと称されましたが、このパーカーの愛称「バード」の由来も面白いのです。やはりいろいろな説があって、彼が自動車で轢いた鶏(ヤードバード)を食べちゃったとか、チキンが大好物だったからといった即物的な話から、彼のアドリブがまるで鳥の飛翔のように自由奔放だったからといったロマンチックな理由まで、諸説紛々です。
話を戻すと、キャノンボールの父親はコルネット奏者で、そうした家庭環境もあって少年期にはサックスを吹くようになっていました。しかしジャズの中心地ニューヨークからも、また当時のもうひとつのセンター、西海岸ロサンゼルスからも離れたフロリダ生まれという環境のため、成人してからは地元の高校で音楽の教師をやりながら自分のバンドを率い、地味に活動していました。この経歴は興味深いですね。
彼の世代のジャズマンの習いどおり、キャノンボールも朝鮮戦争が始まった50年に徴兵されています。もちろん配属は軍楽隊で、彼は音楽監督に抜擢されています。やはり、音楽教師の肩書きは伊達じゃなかったのですね。彼の向学心はホンモノで、55年には教職の修士課程を取るべく名門ニューヨーク大学へ入ろうとニューヨークへ向かいます。そして決定的な出来事が起こるのです。
グリニッジ・ヴィレッジにできたばかりのジャズ・クラブ『カフェ・ボヘミア』に、ホレス・シルヴァーが出演していたときのことでした。当時のジャズ・クラブではよくあることですが、サイドマンが現れません。音楽監督であるベース奏者オスカー・ペティフォードが、たまたま居合わせたサックス奏者チャーリー・ラウズに代役を頼んだところ、楽器を持っていない。そこでアルト・サックスを抱えた太っちょに楽器を貸してくれと頼んだところ、自分が演奏すると言い出したのですね。
なにを生意気なとばかりペティフォードは、べらぼうなハイ・スピードで演奏を始めたところ、なんとこの太っちょはそれを難なくこなしてしまいました。そこで一夜にしてこの太っちょ=キャノンボールの存在がニューヨークのジャズ・シーンに響き渡ったというわけなのです。
まるで映画のワン・シーンのようですね。55年の初夏といえば、バードことチャーリー・パーカーが亡くなったばかり。そこで同じアルト奏者であるキャノンボールは「ニュー・バード」、つまりパーカーの再来と期待されたというわけなのです。
■“明るさ”という特異性
翌1956年には弟のコルネット奏者ナット・アダレイとクインテットを組み、中央のシーンに進出したのですが、時期尚早だったのか1年もしないうちに解散の憂き目を見てしまいました。
そのときジャズ界の中心人物であるトランペッター、マイルス・デイヴィスに見いだされ、彼の新しい3管セクステットのメンバーとなったのです。もうひとりのホーン奏者はご存じテナー・サックスのジョン・コルトレーンだったのですから、まさにシーン最前線ですね。
そして59年にマイルスの歴史的アルバムといわれた『カインド・オブ・ブルー』(コロンビア)の録音メンバーに名を連ねますが、直後にマイルス・バンドを脱退し、再び弟とクインテットを結成し、リヴァーサイド・レーベルに次々と名盤を吹き込むこととなるのです。
話をマイルスのサイドマン時代に戻すと、非常に興味深いキャノンボールの音楽性が見えてきます。
前述の『カインド・オブ・ブルー』を含め、マイルスとの共演盤を聴くと、両者の明らかな音楽性の違いがわかるのですね。簡単にいうと、マイルスが醸しだす独特の緊張感を伴ったダークでブルーな感覚の演奏に続いて、キャノンボールのソロが始まると場の空気が一転し、お笑いムードとまでいっては言いすぎですが、音楽が妙に明るくなるのですね。
その理由は彼の陽性なフレージングもあるのですが、朗々と明るく鳴り渡るキャノンボールならではのアルト・サウンドの持ち味が大きく作用しているのです。それはコルトレーンとの共演曲「ライムハウス・ブルース」でも明らかで、一般に量感、パワー感の表現で有利なはずの大型サックス、テナーと比べても、より小型のアルトでキャノンボールはまったく引けをとっていないのです。
楽器の「鳴り」はジャズマンにとってたいへん重要な要素で、サックスの神様といわれたパーカーの凄みは、アドリブの切れ味もさることながら、きわめて鳴りのいいアルト・サウンドにあるといっても過言ではありません。
キャノンボールが「第2のパーカー」としてシーンに登場したという話はすでにしましたが、フレージングの特徴や音楽性の傾向はさほど「パーカー的」というわけではありません。にもかかわらず「パーカーの生まれ変わり」のようにみられたのは、間違いなくパーカー譲りのアルト・サウンドだったのです。
「鳴り」というのはちょっと抽象的な表現ですが、たんに大きな音が出せるということではなく、金属製の楽器全体がきれいに共鳴して、無理なく歪みのない朗々とした音が周囲に広く浸透していく状況を指しているのです。そういう意味で「パーカー・サウンド」の後継者といえるアルト奏者はキャノンボール以外では、音楽の傾向はまったく異なりますが、エリック・ドルフィーぐらいしかいないといってもいいでしょう。
つまりキャノンボールの「聴きどころ」の第一は、彼の豊かなアルト・サウンドなのです。
また、マイルスとの比較で形容した「陽性」という部分もキャノンボールの魅力の重要ポイントです。というのも、ダークで渋めの味わいを出せる良いミュージシャンは数多くいますが、その逆に、明朗快活な持ち味をもったジャズマンは思いのほか少ないのですね。そしてこのポジティヴな感覚が“ファンキー”と結びついたときに、まさにキャノンボールならではの魅力が生まれたのです。
この特異な個性は、もしかしたら彼の生まれ育ったフロリダの風土と関係があるのかもしれません。メキシコ湾に大きく張り出したフロリダ半島は気候も温暖で、思いのほか北に位置するニューヨークからみればまさに南国の理想郷なのです。そういえばアメリカン・ニューシネマの代表作『真夜中のカウボーイ』では、ダスティン・ホフマン扮する困窮の極みの主人公が夢見たのが、明るいフロリダの太陽でしたよね。
最後にひとこと付け加えると、キャノンボールの聴きどころの第一は言うまでもなく彼ならではの「ファンキー節」ですが、何しろあのマイルスが見込んだのです。その才能はそれだけにはとどまりません。
いい例が「ファンキー」とは正反対のキャラクターの名ピアニスト、ビル・エヴァンスと共演した「ワルツ・フォー・デビイ」です。エヴァンスはマイルス・バンドの同僚だったとはいえ、ちゃんとエヴァンスの世界に寄り添いつつ、自らの個性も殺してはいないのです。
このあたりの柔軟性は、もっと注目してよいキャノンボールの美点といえるでしょう。
文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。
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