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アート・ブレイキー |燃えるドラムで世界を熱狂させたジャズの“親分”【ジャズの巨人】第6巻より

文/後藤雅洋

ある世代のみなさんにとっては、ドラマー、アート・ブレイキーのほうが、トランペッター、マイルス・デイヴィスやテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンなどより身近なジャズマンかもしれません。

というのも、1961年に来日したアート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャーズの一行は、日本に爆発的ジャズ・ブーム をもたらしたからです。有名な都市伝説「蕎麦屋の出前持ちが口笛で〈モーニン〉を吹いていた」は、このときの出来事を今は亡き大ジャズ評論家、油井正一さんが活写した名文句です。

61年といえば私は中学生、まだ取り立ててジャズに関心をもっていたわけではありませんが、それでもうっすらとこのときの騒動は覚えています。あとから知ったことですが、週刊誌のグラビアが彼らを大きく取り上げたり、〝ファンキー・ブーム〟に火が点いたりと、日本のジャズ史上ブレイキー一行の来日は画期的な出来事だったようです。

そして若干「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話ですが、私の人生にも大きな影響を与える出来事だったのです。

というのも、このときのジャズ・ブームをきっかけとして日本に「ジャズ喫茶」が爆発的に増え、そのひとつである今はなき新宿の名店『DIG』に、高校生のとき訪れたことが、私がジャズ喫茶を始めたきっかけとなっているからです。

こうしたブレイキー来日をめぐる「ジャズ体験」をおもちの方々は思いのほか多いようです。アート・ブレイキーの存在は、日本のジャズ・ファンにとって、マイルス、コルトレーンにも匹敵するような部分があるのですね。

ひとつずつ説明していくと、まずそのころ貴重な、1枚2800円もする輸入レコード(58年当時『スイングジャーナル』誌編集長の給料が1万2000円)でしか聴けなかった新しいジャズ〝ハード・バップ〟が、ナマで体験できたこと。しかも当時の人気トランペッター、リー・モーガンと新人テナー奏者、ウェイン・ショーターによる熱演なのだからその衝撃は大きかったようです

それまでもジャズマンの来日はありましたが、52年のドラマー、ジーン・クルーパや53年のJ.A.T.P.一行など、いずれも素晴らしいものでしたが、〝ビ・バップ〟以前のジャズ・スタイルの残滓を感じさせ、必ずしも「最新ジャズ」ではなかった。また、戦後間もない日本では庶民の生活も貧しく、ジャズという外来文化に対する関心は、限られた層にとどまっていました。

60年安保改定騒動によって倒れた岸政権を継いで池田勇人が首相に就任すると、有名な「所得倍増計画」を閣議決定します。年の瀬も押し詰まった12月27日のことでした。そして年が明けた61年正月2日、ブレイキー一行の来日があったのです。たまたまとはいえ、これはタイミングがいい。初日の産経ホールのロビーには薦かぶりの4斗樽がずらりと並び、お客に無料サービス。一杯機嫌の観客は嫌でも盛り上がりますよね。

「呼び屋」の元祖といわれた神彰氏(のちに居酒屋チェーン「北の家族」経営)らしい卓抜なアイデアですね。おかげで述べ十数回にも上る公演日程はすべて超満員。

それまでドン・コサック合唱団やボリショイ・バレエ団など、旧ソビエト系アーティストの招聘を行なっていた神氏は大儲け。一気に「ジャズを呼べば儲かる」ということになり、翌62年のピアニスト、ホレス・シルヴァー来日に始まるジャズマン来日ラッシュが始まったのでした。

63年にはブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ再来日、ピアノの巨人「セロニアス・モンク・カルテット」、アルト・サックスの「キャノンボール・アダレイ・セクステット」、テナー・サックスの「ソニー・ロリンズ・カルテット」など、まさに〝ジャズの巨人〟のオンパレードです。そしてその勢いはそのまま日本のジャズ・ブーム、ジャズ喫茶ブームへと繫がったのです。

■本場のジャズを伝授

もちろん日本のジャズ・ミュージシャンへの影響も絶大でした。ファンはこの時代のブレイキーたちのジャズを、熱狂的で土の香りがする〝ファンキー・ジャズ〟と捉えていました。それはまさにファンキー・ジャズの元祖ともいうべきホレス・シルヴァー、キャノンボール・アダレイの来日が重なったことも大きく影響しています。

しかし何事も「先を見る」ジャズマンたちは、むしろこのときの音楽監督であるウェイン・ショーターが実践していた新しいジャズ理論「モード奏法」に強い関心を抱いていたのです。ショーターは彼らに丁寧に手ほどきし、ようやく日本にも「本場のジャズ」が根づいたのでした。

ちなみに、〝ファンキー・ジャズ〟は黒人らしさを強調した〝ハード・バップ〟なのに対し、〝モード・ジャズ〟はいわば次世代ジャズともいうべきスタイルでした。

ともあれ、アート・ブレイキーの存在は日本のジャズ・シーンを語る上で欠かせない重要人物なのです。アート・ブレイキーは1919年10月11日生まれということになっていますが、それがほんとうに彼の生年なのか、教会で保護された日付なのかははっきりしません。しかし20年生まれの天才アルト奏者にして「モダン・ジャズ」の開祖、チャーリー・パーカーと同世代というところだけ押さえておけば、ファンとしては充分でしょう。

ブレイキーは90年に亡くなるまで、シーンの第一線で活躍していました。ちなみにこの活動歴は26年生まれ、91年没の大トランペッター、マイルス・デイヴィスの経歴とほぼ重なります。

■ハード・バップの真ん中で

ブレイキーが最初に親しんだのは意外なことにピアノでした。まだ10代のころナイト・クラブで演奏していたところ、ギャングに拳銃を突きつけられ「今日からドラムを叩け」といわれたというのは有名なエピソード。なんだか昔の日活映画のワン・シーンのようですね。

その後、パーカーとともに〝ビ・バップ〟の中心人物となるトランペッター、ディジー・ガレスピーはじめ、新時代のジャズの担い手たちと共演を重ねます。47年にはブルーノート・レコードでの初レコーディングを行なうこととなり、以後ブレイキーはブルーノート・レーベルの看板ミュージシャンとなっていきます。

彼の経歴とジャズ史が重なった初めての出来事が54年に起こりました。ニューヨークのジャズ・クラブ『バードランド』で行なわれた有名なセッションです。このときの模様はブルーノート・レコードによって録音され、のちに「ハード・バップの夜明け」という少しばかり大仰な惹句で語られることとなったのです。

メンバーはトランペッター、クリフォード・ブラウン、アルト・サックス奏者ルー・ドナルドソン、ピアニストがホレス・シルヴァー、ベースがカーリー・ラッセル、そして名義上のリーダーがアート・ブレイキー。

〝ハード・バップ〟というとなんとなく「ハード」の語感から「激しいジャズ」を連想しがちですが、英語の「ハード」には「固茹で卵」を「ハード・ボイルド・エッグ」というように、「堅固な」とか「しっかりとした」 という意味もあります。つまり「しっかりとした構成の〝ビ・バップ〟」というようなところが正解ではないでしょうか。要するに〝ビ・バップ〟の発展洗練形ですね。

40年代半ばにパーカー、ガレスピーらによって主導された、この新しいジャズ・ムーヴメント〝ビ・バップ〟は、それまでのジャズを大きく変えました。その特徴をひとことで要約すると、リズムがスピーディになり、即興性が一気に高度化したのです。いわゆる「4ビート・ジャズ」の始まりですね。

しかしこのスタイルにも限界がありました。パーカー、ガレスピー、そして彼らとともにビ・バップ・ピアノの基礎を作り上げたバド・パウエルなど、ひと握りの天才型ミュージシャンの「沍え」が聴きどころだけに、「煮詰まる」のも早いのです。

こうした〝ビ・バップ〟の弱点を補強すべく、マイルスやブラウンなど当時の若手黒人ジャズマンたちはさまざまな模索を続けていました。それが実を結んだのが『バードランド』におけるセッションだったというわけです。つまりブレイキーは新しいジャズ・ムーヴメントのど真ん中でドラムを叩いていたのですね。

彼が有名な「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」という名前のグループを最初に作ったのは55年のことでした。バードランド・セッションの仲間、ホレス・シルヴァーや、パーカーのサイドマンを務めたトランペッター、ケニー・ドーハムらと結成したこのグループは、その名前のとおり特定のリーダーがいない新型ジャズ・コンボでした。

しかしこのグループはさまざまなトラブルで空中分解。翌56年に「アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」の名前で再結成されます。

58年にはテナー・サックス奏者でアレンジもこなすベニー・ゴルソンを「音楽監督」の座に据え、リー・モーガンやピアノのボビー・ティモンズといった逸材を次々と獲得します。そしてこの年と翌年、フランス映画『殺られる』『危険な関係』のサウンドトラックを担当し、「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」の名前を広くファンに知らしめたのです。

この時代のブレイキー・バンドの特徴は、黒人音楽のルーツであるゴスペルやブルース色を強く打ち出した、いわゆる〝ファンキー・ジャズ〟と呼ばれたアーシー(土臭い)なスタイルにあります。今回収録したボビー・ティモンズ作曲による「モーニン」などがその代表ですね。

「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」はその後もテナー奏者にウェイン・ショーターを迎えるなどメンバーを入れ替えつつ活動を続けますが、65年に一度活動を休止します。その後しばらくの間低迷期が続きますが、これはまさにジャズがロックの台頭によって模索を強いられた時代でした。コルトレーンが〝フリー・ジャズ〟寄りの姿勢を示し、マイルスがエレクトリック・ジャズへと舵を切った時期とも一致していますね。

ブレイキーはこの時代の主流であるオーソドックスな演奏スタイルだっただけに、「低迷」もまたやむをえなかったともいえますね。

■リーダー&プロデューサー

一時は「古い」とも思われていたブレイキー・バンドが「復活」したのは80年のことでした。圧倒的テクニックを誇る新人トランペッター、ウィントン・マルサリスが参加したのです。

タイミングもよかった。70年代に猛威をふるった「フュージョン旋風」に違和感を抱いていたジャズ・ファンが、伝統的なブレイキー・バンドの演奏スタイルを好意的に迎えたのです。

アート・ブレイキーの存在はふたつの視点から捉えることができます。名ドラマーとしての顔と、きわめて優れたバンド・リーダーとしての資質です。

率直にいって、ドラマーとしても一流で、かつ優れたリーダーシップも発揮できるミュージシャンはそれほど多くいるわけではありません。両者を兼ね備えているだけで、ブレイキーは偉大なのです。それに加え、リー・モーガンはじめショーター、ウィントンといった一時代を築いた一流ジャズマンを発掘、スカウトする、いわばプロデューサー的な感覚も備えているのですから、これは鬼に金棒。まさに「ジャズの巨人」の名にふさわしいジャズマンといえるでしょう。

じつをいうと、このプロデューサー的資質は彼のドラミングにおいても遺憾なく発揮されています。それは一見派手なブレイキーの演奏も、よく聴くと丁寧かつ繊細にサイドマンたちを煽り、鼓舞しているのですね。その証拠に、ブレイキーはサイドマンとしても、じつに多くの名演を残しているのです。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

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