文/後藤雅洋

いままで「ジャズの巨人」を紹介してきましたが、残念なことに、多くの「巨人たち」がすでに鬼籍に入ってしまいました。そして現存する数少ないジャズの巨人のひとりが、今回の主人公、テナー・サックスとソプラノ・サックスを縦横に駆使するウェイン・ショーターなのです。

付け加えれば、80歳を超えた現在でも、バリバリの現役感を漂わせているのですから、ショーターはまさに巨人の名にふさわしいジャズマンといえるでしょう。

昨年開かれた「東京JAZZ」で、ピアニスト、ハービー・ハンコックとショーターの共演を観ましたが、まさしく現在の第一線のジャズの緊張感が漂う、素晴らしいステージをふたりの巨人たちは披露してくれたのです。

極論すれば、21世紀の現在に至るも、アイデアや技術のレヴェルでは多くの優れた新人ミュージシャンたちが輩出しているのですが、ショーターやハンコックに比肩できる「存在感」をもったジャズマンは、なかなか見当たらないというのが実感です。

その「存在感」ですが、率直にいって、私がそれに気づくのにはけっこう時間がかかったものです。理由は、ショーター・ミュージックには一種の「わかりにくさ」が潜んでいるからです。

しかしその「わかりにくさ」こそが彼の魅力の源泉なのですね。ですから、そのあたりからショーターの魅力・聴きどころを探っていきましょう。

さっそくのキーワードは、意外かもしれませんが「オカルト」です。「オカルト」とは、「隠された知恵」とでもいうような意味で、ちょっと神秘主義的な色彩を伴った考え方ですね。

つまり同じ難しさとはいっても、一部の前衛音楽のような「アタマデッカチで意味不明」ではなく、発想というか美意識の源泉みたいなものがミステリアスなのですね。こういう音楽は理屈で捉えようとしてもダメで、それこそオカルト的=隠された知恵を探索するようにして、音楽の中に入り込むようにしなければいけません。

とはいっても何の手がかりもないのでは雲を摑むようなので、いくつかのヒントを並べてみましょう。

まずは彼の生い立ちです。ふつうジャズマンは幼少時からなんらかの音楽に触れ楽器に手を染めるものです。もちろんショーターもその例に倣っているのですが、彼の場合必ずしも「音楽一筋」というわけではなかったのですね。

ショーターは若いころ美術や映画、そしてSFコミックに強い興味を示し、音楽は少年なら誰でももっている多くの趣味のひとつぐらいだったようなのです。つまり、発想がSF的だったりヴィジュアル的だったりということが、他のジャズマンとのテイストの違いに結びついているのですね。

あともうひとつ、ショーターのフレーズが「モード的」であることも、いわゆる“4ビート・ジャズ”=“1950年代ハード・バップ”を聴き慣れた耳には、違和感があるかもしれません。

「モード」というのは思いきり簡単に言ってしまうと、1オクターヴの間に並んだ7つの音でアドリブ・ライン(旋律)を作ろうという考え方で、「ドレミファソラシ(ド)」もモードの一種です。たとえば「ドレミファ~ドレミファ~」というような旋律を思い浮かべてみてください。

それに対し“ビ・バップ”の発展洗練形である“ハード・バップ”は、「コード=和声」の中に含まれる音でフレーズを組み立てようという発想です。たとえば「ドミソ」というごく基本的な和声をもとにした「ドソミソ・ドソミソ」というフレーズなどが考えられますね。

ふたつを比べてみると、3度(ピアノの白鍵で間に1個白鍵を挟んだ音程。「ド」と「ミ」など)以上の音程の飛躍がある「ドソミソ」には、一種の「メリハリ感」があるのに対し、2度(隣の白鍵)あるいは半音の音程で音符が連なる「ドレミファ~」は、流麗でメロディアスな半面、メリハリ感はちょっと乏しい。

“ビ・バップ”の元祖、アルト・サックスのチャーリー・パーカーの音楽が、リズミカルでギザギザした刺激的な印象を聴き手に与えるのは、音符の極端な跳躍が顕著だからです。他方、モード世代の代表ともいえるテナー・サックス奏者、1960年代ジョン・コルトレーンのアドリブは、ウネウネとしたフレーズがどこまでも続いていくような印象がありますよね。

かなり乱暴な一般化ですが、「モード的」といわれる演奏は、いわゆる「落ち」がついているかどうかが判然とせず、音楽がどこまでもどこまでも続いていくような錯覚に捉われるのです。

もちろんミュージシャンによって一概にはいえないのですが、ショーターの場合、そこにヴィジュアルな要素や、彼の世代としては珍しいSF的なアイデアが詰まった音の連なりがどこまでも続くようなところが、ミステリアスな印象を聴き手に与えているのです。

そしてこうしたタイプのジャズマンは、ショーター以前にはいなかったのです。

■“わかりにくさ”の深み

ショーター流ミステリアスを他の「モード派」ミュージシャンと比較してみましょう。

たとえば同じテナー・サックス奏者コルトレーンの演奏からは、「情熱」とか「激情」といった、ある意味でわかりやすい情感がダイレクトに伝わってきますよね。他方、「情景的」だったり一時期ショーターが関心をもっていたという「オカルティシズム的=神秘主義的」な要素は、どうしても「聴き手の想像力」が要求されるのですね。

言い方を変えると、「情熱的で激情的」な音楽は聴き手が受け身でもミュージシャンの「狙い」は伝わってくるのに対し、ショーターの音楽は、ある程度聴くほうも積極的に「音楽の中に」入り込むようなポジティヴなスタンスが要求されるのです。

ここでようやく、私が当初ショーターの音楽がわかりにくかった理由に戻れます。つまりジャズを聴き始めたばかりの私は、わかりやすい「落ち」のついたメロディや、リズミカルなメリハリを期待していたので、そうした要素があまりないショーター・ミュージックの聴きどころを摑みかねていたのですね。

■美術からジャズの道へ

ウェイン・ショーターは1933年(昭和8年)に、ニューヨークの玄関口として知られるニューアーク国際空港があるニュージャージー州ニューアークで生まれました。彼の父は音楽好きで、その血を引いたのか3歳年上の兄アランはジャズ・トランペッターとなり、弟ウェインと共演したりもしています。

しかし幼いころのショーターは特に音楽に興味を示さず、もっぱらお絵描きに熱中していたそうです。興味深いのは、ジャズマンの最初の受賞体験といったらだいたい音楽コンテストなのですが、なんと彼は12歳のときに描いた油絵が美術展で入賞、おまけに15歳で長編コミックを仕上げているのです。こうした経歴はジャズマンとしてはたいへん珍しい。

そうしたショーター少年が音楽に目覚めた経緯も興味深いものです。映画が大好きだった彼は、そのころ映画館で上映の間に行なわれていたミュージシャンのライヴ演奏にハマってしまったというわけです。ショーター15歳のころのことでした

。16歳になると地元の音楽学校でクラリネットやテナー・サックスを学び、あっという間にプロ・ミュージシャンと共演できるほどの腕前になってしまったというのですから、驚きです。時代は1940年代末、“ビ・バップ”絶頂期で、ショーターもパーカーはじめ当時の第一線級のジャズマンたちの演奏にじかに接し、ジャズのエッセンスを吸収していきます。

興味深いのは、ともにちょっと上の世代(26年生まれ)に属するコルトレーンや彼の雇い主であるトランペッター、マイルス・デイヴィスなどは、わりあいすぐにプロのミュージシャンになっているのに比べ、ショーターは大学に進学し学位まで取っているんですね。音楽教育を専攻するためアルバイトで学資を稼ぎ、名門ニューヨーク大学に入ったショーターは、昼間は学業とアルバイト、そして夜になると近くのグリニッジ・ヴィレッジに出かけ、セッションを重ねるという生活を続けます。

けれども、この時期に得たものは多く、作曲技術の進歩や彼の存在に注目したコルトレーンとの親交など、のちの活躍の基礎ができたのです。56年に学位を取ったあと、しばらくは地方のバンドで演奏活動を行ないますが、やがて徴兵。58年除隊後、トランペッター、メイナード・ファーガソンのバンド・メンバーとなり、そこでのちにグループを組むことになるピアニスト、ジョー・ザヴィヌルと知り合うことになるのです。

しかしファーガソンのバンドはあまりショーターの出番がなく、鬱々としていたとき名ドラマー、アート・ブレイキーと出会い、名門バンド、「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」の一員となったのですね。そして新人トランペッター、リー・モーガンとのコンビでメッセンジャーズの黄金時代を築き上げたのです。

なかでも私たちにとって重要な事件は、61年のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ一行の来日公演ですね。日本にジャズが広まったきっかけが、このときの「ファンキー・ジャズ・ブーム」だったのです。

■突出した60年代リーダー

とはいえ、いつも時代の先を行くショーターは、この時期はもう黒人音楽的要素を強調した“ファンキー・ジャズ”は卒業で、マイルスやコルトレーンが率先した次世代ジャズ、“モード”の研究に余念がなかったのです。

来日公演の際も、一般ジャズ・ファンはどちらかというと目立つリー・モーガンや派手なドラミングのブレイキーに注目したのですが、ジャズマンはみなショーターの「モード奏法」に着目したのでした。

興味深いのは、当時の日本人ジャズマンが「いったいどういうふうに演奏しているのか、まったくわからなかった」と証言しているのです。プロでさえ「わからない」のですから、ジャズを聴き始めたばかりの私が戸惑ったのも当然だったのかもしれません。

「わからないけどわかりたい」とジャズマンに思わせるジャズマンって、ほんとうに凄いですよね。「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という言い方がありますが、意訳すれば「プロが認めるプロ」とでもなるでしょうか。こんなミュージシャンを新人スカウトが得意なマイルスが見逃すはずがありません。さっそく彼をバンドに勧誘するのです。

若くして先輩サックス奏者コルトレーンに注目され、名門バンド「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」で大活躍し、そして文字どおりジャズ界のキング、マイルスに請われる経歴を眺めてみれば、まさにショーターは「ミュージシャンズ・ミュージシャン」なのです。

とはいえサイドマンながら思うがままに自らのモード・スタイルで演奏させてくれるザ・ジャズ・メッセンジャーズをすぐに辞めるわけにもいきません。しかしマイルスの執拗な誘いを受け、ついにショーターはマイルス・バンドに参加することになりました。1964年のことです。ショーターを擁したマイルスのグループは、歴代マイルス・バンドで最強といわれています。

もちろんコルトレーンを従えた1950年代マイルス・クインテットも素晴らしかったのですが、やはり当時のコルトレーンはまだ技術的にも、また音楽的にも「サイドマン」の位置を超えるものではありませんでした。それに対し、60年代ショーターはすでに自らのスタイルを確立しているだけでなく、マイルスがもっとも望んでいるものをもっていたのです。

それは未知の音楽的可能性ともいうべきもので、まさにショーターのミステリアスな発想にマイルスは眼をつけたのです。それこそ「オカルト的」ともいえるショーターの独創的なセンスをマイルスは利用しようとしたのですね。

実際ショーターを迎え入れたあとのマイルスの音楽は、明らかにショーターの影響を受けているのですね。こんなジャズマンは他にいません。ショーターはマイルス・バンドに在籍しつつ、60年代ブルーノート・レーベルに次々とリーダー作を吹き込み続けました。まさにショーター絶頂期です。

■絶え間なき探求と前進

しかしショーターの前進はまだまだ続きます。70年にマイルス・バンドを辞したショーターは、昔の友人ジョー・ザヴィヌルと「ウェザー・リポート」という双頭グループを組み、71年にアルバムを発表します。

このバンドはザヴィヌルのシンセサイザーとショーターのサックスが渾然一体となったまさに新時代のグループで、70年代のジャズ・シーンをマイルス・バンドとともに牽引していったのです。

ある意味でこの組み合わせは「ジャズ」という音楽の本質的部分を体現していました。それはウィーン生まれのザヴィヌルが西欧音楽的要素を、そしてショーターのサックスがアフリカン・アメリカンならではの肉体的部分を受け持つことで、西欧とブラックネスの融合としての「ジャズ」が実現していたのです。

この時期ショーターは「ウェザー・リポート」での活動以外にも、ブラジル音楽を取り入れたリーダー・アルバムを吹き込んだり、マイルスにちなんだ「V.S.O.P.」というプロジェクトに参加したりしています。

「V.S.O.P.」とは、マイルス・バンドのピアニストだったハービー・ハンコックの、76年に60年代マイルス・クインテットを再現したプロジェクトで、トランペッター、フレディ・ハバードをマイルスの代役に見立てた、一夜限りの臨時編成バンドのはずでした。ところがこれが大好評、何枚ものアルバムが作られることになりました。

86年に「ウェザー・リポート」は解散しますが、90年代以降もショーターは21世紀の現在に至るまで、独自の音楽活動を着実に積み重ねてきたのです。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

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