『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第7号「ボサ・ノヴァ・ヴォーカル~ジョアン・ジルベルト、ナラ・レオンほか~」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■ジャズと映画で広く伝播

ボサ・ノヴァは1950年代の末、ブラジル南部の大西洋に面した風光明媚な大都市、リオ・デ・ジャネイロの裕福な家庭のアマチュア・ミュージシャンたちによって生み出されました。

よく知られているのは、まだ女学生だったナラ・レオンの、トイレが4つもあるという大邸宅に、若き日のアストラッド・ジルベルトら多くのミュージシャンの卵たちが集まる音楽サークルのような交流の場があったというエピソードです。

同じころ、こうした「若手音楽研究グループ」はほかにもいくつかありました。そうした若者たちの新しい動きに関心をもったのが、すでに名を成していたアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)や、ジョアン・ジルベルトといった少し上の世代のプロ・ミュージシャンたちでした。そして両者の音楽的交流の中から、ボサ・ノヴァ(=「新しい粋で洒落た感覚」の意)が誕生したのです。

ボサ・ノヴァ誕生に際して活躍したもうひとりの重要人物に、外交官で恋多き詩人、ヴィニシウス・ジ・モライスがいます。ヴィニシウスは1956年にトム・ジョビンと舞台音楽を共作しましたが、これが59年マルセル・カミュによって映画化され、『黒いオルフェ』として世界じゅうにサンバ、ボサ・ノヴァを広げるきっかけとなりました。映画のタイトル・バックに流れる哀愁に満ちた名曲「フェリシダージ」はトムが、「カーニヴァルの朝(黒いオルフェ)」は、ルイス・ボンファが作曲しました。

ボサ・ノヴァは映画『黒いオルフェ』に登場する、リオのカーニヴァルで知られたサンバの影響を受けていますが、ダイナミックでダンサブルなサンバに比べ、「フェリシダージ」や「カーニヴァルの朝」のように、ゆったりとしたテンポでしっとりと歌いかけるような曲想が特徴といえるでしょう。その囁きかけるような歌唱法は、アメリカのクルーナー歌手、ビング・クロスビーやフランク・シナトラ、そして歌も歌うトランペッター、チェット・ベイカーなどの影響もあるようです。(ちなみに「クルーナー」とは、性能の向上したマイクロフォンを上手に使って囁くように歌う歌手のことをいいます)

ブラジルの国民的音楽ともいっていいサンバに比べ、ボサ・ノヴァはブラジルでも一部の知的なファン層にしか知られていませんでしたが、1960年代に、アメリカのジャズ・ミュージシャンを経由して世界じゅうに広まりました。

白人ギタリスト、チャーリー・バードや白人テナー・サックス奏者スタン・ゲッツが、ブラジル発の“新音楽”ボサ・ノヴァに興味をもち、相次いでボサ・ノヴァを取り入れたアルバムを発表し大ヒットしたのです。

私たち日本のファンは、ゲッツ、ジョアン、アストラッドが共演した「イパネマの娘」や、アメリカ留学から帰国したアルト・サックス奏者、渡辺貞夫を通してボサ・ノヴァの存在を知ったのでしたが、その下地として、映画『黒いオルフェ』によって描かれたエキゾチックなブラジル音楽シーンの影響も大きかったと思います。

■ジャズとの類似と相違

こうした背景からもわかるように、ボサ・ノヴァはジャズとも相性がいい音楽です。とはいえ、両者の違いも大きいので、そのあたりの事情を説明しておきましょう。

まずはジャズとラテン・ミュージックの関係です。1940年代半ばに起こったジャズの一大革命“ビ・バップ”を、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーとともに推進させたもう一方の雄、トランペッターのディジー・ガレスピーは、キューバ人ミュージシャンたちとも共演し、“ラテン・ジャズ”を推進させました。

パーカーもキューバのマチート楽団と共演したりしています。しかしここで注意してほしいのは、同じ「ラテン世界」とはいっても、キューバは旧スペインの植民地。他方ブラジルは旧ポルトガルの植民地が独立してできた、ラテン世界における唯一の「ポルトガル語圏国家」だというところです。

私たちは「ラテン・ミュージック」というと、キューバ音楽マンボやルンバも、ブラジルのサンバも一緒くたにしがちですが、どうやらスペイン語圏の音楽とポルトガル語圏の音楽は、かなりテイストが異なるようなのです。おそらくは国民性の違いが音楽に反映しているのでしょうが、サンバの影響を受けたボサ・ノヴァは、「ラテン・ミュージック」というより「ブラジル音楽」として捉えたほうがいいように思います。

ジャズとの関係に話を戻すと、パーカー、ガレスピーらの熱気に満ちた演奏はラテン・ミュージックと相性がいいのですが、ボサ・ノヴァが生まれたブラジルのミュージシャンたちは、むしろ次世代のジャズ“ウエスト・コースト・ジャズ”のミュージシャンたちを愛聴していたようなのです。

1950年代前半に起こった白人中心の“ウエスト・コースト・ジャズ”は、白人バリトン・サックス奏者ジェリー・マリガンに代表される洗練されたアレンジ・サウンドに特徴がありました。

スタン・ゲッツはウエスト・コースト・ジャズ・ミュージシャンではありませんが、“ビ・バップ”と同時期に起こった白人流ビ・バップである“クール・ジャズ”の流れを汲むミュージシャンで、パーカーたちビ・バッパーに比べれば、相対的に演奏の温度感が低い“クール”なテイストの持ち主でした。だからこそ、同じく総体的に穏やかな語り口のボサ・ノヴァ・ミュージシャンたちとの共演がスムースに進んだのでしょう。

実際私たちは60年代にゲッツのボサ・ノヴァ・アルバムを、まさに「スタン・ゲッツの新境地」として素直に受け入れたのです。そのあまりのスムースさに「ボサ・ノヴァはゲッツが考え出した新しいジャズ・スタイルだ」などと勘違いする人も一部にはいたようです。

しかし本来ボサ・ノヴァはジャズのように即興演奏を重視しているわけではなく、厳密にいえばジャズではありません。ただ、やりようによっては、両者の融合によって新しいテイストの音楽が生まれうるということでしょう。

両者の共通点は、どちらもリズムを重視する音楽だというところです。しかしここでも大切なポイントは、ジャズのリズムとボサ・ノヴァ、あるいはサンバのリズムはかなり違うので、あまり「ジャズ的」に演奏してしまうと、ボサ・ノヴァ本来のゆったりとしたテイストが失われてしまうというところでしょう。

また、ジャズは「4ビート」の音楽だなどといわれていますが、譜面どおり機械的にリズムを刻んでも、あまりジャズならではの「スイング感」は生まれません。同じように、ボサ・ノヴァもサンバのリズムを機械的に写しとってもダメで、ブラジル音楽の伝統やポルトガル語がもつ独自のリズム感を踏まえた上で、各ミュージシャンがそれぞれの味わいを表現しなければいけないようです。

■サウダージと日本人

率直にいって、私たちはポルトガル語の語感やブラジル音楽の伝統を体得しているわけではないので、何がボサ・ノヴァのテイストなのかいまひとつピンときませんが、ヒントとなるキーワードがあります。それは「サウダージ」という感覚です。

これも日本語に訳しにくいのですが、多民族国家ブラジルならではの「望郷の念」「失われてしまったものへの懐かしさの感覚」とでもいえるでしょうか。

ブラジルは旧宗主国のポルトガル人、インディオと呼ばれた先住民、そして奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たち、くわえて、奴隷制度が廃止されてからの労働力不足を補うため、日本など多くの国からの移民たちが、長い間に混血しあった人種融合国家です。

カトリックであるポルトガル人は、プロテスタントである北米大陸のイギリス人などアングロ・サクソン系の人たちと違って、異民族との混血に対してあまり抵抗感がなかったようです。要するに国民性が「寛容」なのですね。

必然的に「人種差別」も相対的に希薄でした。それぞれの血を引き継いだ人たちが、遠い故郷ヨーロッパやアフリカ大陸に思いを馳せる、懐かしくも心温まる気分が「サウダージ」なのでしょう。

実際私たちもボサ・ノヴァを聴くと、どこか懐かしく心温まる心持ちになりますよね。このあたりも私たち日本人がボサ・ノヴァを好む理由なのかもしれません。

洗練とゆとりの感覚そして、1960年代にボサ・ノヴァが日本を含む世界じゅうに広がった理由がもうひとつあるように思います。それはボサ・ノヴァが相対的に高学歴、高所得の人たちによって作られた音楽だという点です。

当時はブラジルも日本と同じように大学進学率はかなり低かったのですが、ナラ・レオンの邸宅に集まったのは大学生。何しろナラ・レオンのお父さんは大統領とも親交がある著名弁護士。言ってみればブラジルの上流階級の子弟たちが純粋に音楽的関心から創造したのが、ボサ・ノヴァだったのです。ですから曲想も歌詞もあまり泥臭くなく、洗練されています。

話は変わりますが、1960年(昭和35年)池田内閣が所得倍増計画を発表、翌61年からの10年間で国民総生産を倍増する計画を立てましたが、これが目論見以上の成果を上げたのです。戦後の貧しかった日本は、その10年間で飛躍的経済発展を遂げたのです。

つまり、ボサ・ノヴァが日本に上陸した60年代半ば、私たちはようやく「ゆとり」の感覚をもてるようになったのですね。これはおそらく第2次世界大戦で甚大な戦禍を受けたヨーロッパでも似た状況だったはずで、そうした「時代の空気」とボサ・ノヴァの穏やかでゆったりとした気分がうまくマッチしたことも、ボサ・ノヴァの世界的流行と無関係ではないでしょう。

つまりお洒落で寛いだ「あくせくしない音楽」が、ボサ・ノヴァの魅力といってもいいのではないでしょうか。もちろんこうした「理解」が、ブラジル人の心情と一致しているかどうかはなんともいえませんが、日本人の心には、そのような好ましい音楽として受け止められたのではないでしょうか。

■ラテンとブラジルの違い

ここでちょっと面白いエピソードを紹介したいと思います。私の友人にラテン・ミュージックを含むワールド・ミュージック全般を紹介し、アルバムを輸入販売している方がいます。もちろんラテン世界にも何度も仕事で出かけています。

その方が言うには、ラテン・ミュージックとブラジル音楽はまったく別物であると。どう違うかというと、キューバ音楽などスペイン系ラテン・ミュージックは一見派手で華やかだけれど、よく聴くとその底にけっこう深刻な情念が渦巻いている。その感情は、過去の先住民殺害などの暗い記憶と結びついているのではないか。

他方、ポルトガル系音楽であるボサ・ノヴァなどは、うわべの感傷的気分とは裏腹に、じつは思いのほか楽天的な音楽ではないのか、というのです。

その方は実際にスペイン系、ポルトガル系の友人、仕事仲間たちの人柄から、そうした一種の「ジョーク」を思いついたようですが、なんとなくわからないでもありません。

ひるがえって日本人の気質をどう捉えるか、いろいろな意見があると思いますが、大地震や木造建築ゆえの大火災など、風土が抱える本質的問題点にもかかわらず、「明日は明日の風が吹く」とばかり比較的のんきに暮らしてきたというところは、もしかするとブラジル的なのかも……。

ともあれ、まさに地球の反対側に位置する国の音楽がこれほどまで私たちの心の襞にフィットするのは、何かしら理由があるのでしょう。

実際私も、初めて聴いたボサ・ノヴァであるアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」のなんともいえない不思議な雰囲気にあっという間に魅了されてしまいました。そして面白いことに、彼女が歌うと、映画『いそしぎ』の主題歌「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」のようなポピュラー楽曲も、まるでボサ・ノヴァのように聴こえてしまうのですね。

思うに、ボサ・ノヴァは「歌い方」「声質」に大きく影響される音楽だといえるでしょう。そしてこれはジャズ・ヴォーカルとまったく同じなのです。ただ、ボサ・ノヴァはたんに個性的であるだけでなく、ブラジルという特有の風土の背景を背負った音楽であるというところが、ジャズとは異なっているのですね。

■ジャズからみたボサ・ノヴァ

『ジャズ・ヴォーカル・コレクション』第7号「ボサ・ノヴァ・ヴォーカル~ジョアン・ジルベルト、ナラ・レオンほか~」では「日本におけるボサ・ノヴァ受容」という視点で、1960年代に日本のジャズ・ファン周辺から人気が巻き起こったボサ・ノヴァ・ミュージシャンを中心に取り上げました。

セルジオ・メンデス率いるブラジル’66のアルバムは、日本でもジャズ喫茶で大ヒット。メンデスはもともとジャズ・ミュージシャン志望だったので、ポップでリズミカルな演奏が「ボサ・ノヴァ入門編」としてわかりやすかったのでしょう。

スタン・ゲッツとの共演で知られたアストラッド・ジルベルトは、その独特のちょっと「舌足らず」のような歌唱が、どちらかというとアクの強い「ジャズ・ヴォーカル」との対比でたいへん新鮮に感じられたものでした。

また、当初は「アストラッドの夫」という理解だったジョアン・ジルベルトが、じつはボサ・ノヴァの生みの親のひとりであるということが知られてくると同時に、日本のファンのボサ・ノヴァ理解も深まったようです。

ほかには、「MPB=ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ」、つまりボサ・ノヴァ以降の新しい「ブラジルのポピュラー・ミュージック」の代表的歌手でもあるエリス・レジーナとトム・ジョビンの共演など、代表的ボサ・ノヴァ・ヴォーカリストたちの名唱を集めました。どうぞお楽しみください。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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