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チャーリー・パーカー|アドリブに命をかけたモダンジャズの創造主【ジャズの巨人】第8巻より

文/後藤雅洋

およそ100年に及ぶジャズの歴史の中で、もっとも重要な人物は誰かと尋ねられたら、私はアルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーの名前を挙げます。理由は、現在世界じゅうで演奏され楽しまれているジャズの根幹を形作ったのが、パーカーだったからです。

もちろんジャズは彼ひとりで作り上げたものではなく、パーカー以前にも偉大な先駆者たちがいます。20世紀が始まると同時、1901年に生まれた、ヴォーカルも巧みなトランペット奏者ルイ・アームストロングはその代表でしょう。

思いきりわかりやすくジャズ史を概説すれば、ジャズはルイ・アームストロングが築いた堅固な土台の上に、パーカーが組み上げた強力無比な骨組みを基にして、トランペット奏者マイルス・デイヴィスが華麗なサウンドのモニュメントを構築してきた歴史である、ということができるでしょう。この3人の業績を知っていれば、一見複雑なジャズの歴史が総覧できると同時に、ジャズという音楽の特徴も、彼ら3人の演奏を通して具体的に理解できるのです。

ルイ・アームストロングは、19世紀後半ニューオルリンズで自然発生した黒人による大衆芸能音楽「ジャズ」に、ひとつの道筋を与えました。それは楽器を自分の持ち味に合わせ、自由に演奏してもよいという、現在も通用するジャズの基本原則です。譜面があるクラシック音楽や、「伝統どおり」の演奏法が求められる民族音楽からジャズが離脱した瞬間です。その結果、ジャズはたいへん個性の発揮しやすい音楽ジャンルとなりました。

ですからジャズの特徴の第一であり、もっとも重要な「聴きどころ」は、楽器を通して表現されたそれぞれのジャズマンの「個性」なのです。およそ1920年代のことと言ってよいでしょう。

こうして少しずつ形を整えてきた「ジャズ」に、決定的な改革を及ぼしたのが40年代半ばに起こった「ビ・バップ革命」でした。

「ビ・バップ」という言葉自体に特別な意味はなく、演奏の音を模した「擬音語」が発祥ではないか、といわれています。しかしパーカーやトランペット奏者ディジー・ガレスピーらが主導した新しいジャズ・スタイル〝ビ・バップ〟は、ジャズの演奏法を一新させました。それはリズムの改革と即興の高度化でした。

何事も時代を追うごとにスピード化する世の中、音楽のリズムもスピーディになることは容易に理解いただけるでしょう。問題は「即興性」です。

ジャズは即興の音楽であるといわれるとおり、発祥の時点からその場の気分でかなり自由に演奏されてきました。とはいえ、その「自由の幅」は比較的狭く、テンポを変えたり、メロディ・ラインを飾ったり一部を変更したりする程度。こうした「枠組み」に大胆にメスを入れたのがパーカーだったのです。

南北戦争に負けた南軍軍楽隊の払い下げ楽器で黒人たちが演奏した音楽がジャズの発祥といわれているように、ジャズはトランペットやクラリネット、そしてトロンボーンといった「西欧楽器」で演奏されます。ここは重要で、邦楽の三味線やインド音楽のシタールのような「専用楽器」は使っていません。つまりジャズは演奏する楽器の面で、思いのほか西欧音楽の影響を強く受けているのです。

西欧音楽は邦楽のようにメロディ・ラインが単独で演奏されることは稀で、必ず和声、ハーモニーを伴っています。ギターで歌の伴奏をするとき、複数の弦を同時に押さえ、「ボロン」と爪弾くときに出てくるのが、いわゆる「コード=和音」で、それが連なったのが和声とお考えいただければいいでしょう。

ジャズはなんでも貪欲に取り入れる音楽ジャンルで、ジャズで演奏される曲目も、じつはブロードウェイ・ミュージカルのヒット・ナンバーだったり、映画の主題歌だったりすることが多いのです。「ソング・イズ・ユー」などが典型ですね。要するにポピュラー・ソングです。これらは西欧音楽の枠組みを利用した音楽なので、当然「コード=和音」が付いています。そしてメロディ・ラインの変化とともに、その旋律に合うようコードも変化していきます。これを「コード進行(和声)」と呼びます。

パーカーは面白い「ゲーム」を考えつきました。コードには合っていても、つまり「不協和音」ではなく、しかしもとの旋律とは違う音を瞬時に選び取って演奏してしまう、高速演算ゲームです。

たとえば「ドミソ」というコードが鳴っているとき、もとの旋律の音がそれらと協和する「ド」であったとして、仮に「ソ」という音を吹いても不協和音は形成しません。これを「コード進行に基づく即興」と呼びます。

思いきり単純化して説明していますが、パーカーが発明した新しいジャズ・アドリブのやり方はこうしたシステムのことです。当然「原曲」のイメージは大幅に改変され、何も知らないファンは「デタラメ」と思っても不思議はありません。実際、ルイ・アームストロングはパーカーの演奏を「チャイニーズ・ミュージック」つまり「わけのわからない音楽」と評したのです。

しかし面白いことに、この「デタラメ風」音楽には不思議な魅力があったのです。最初にそれに気づいたのは、ディジー・ガレスピーなど先鋭な感覚をもった一部のミュージシャンと、そのころ「ヒップ=カッコいい人種」と思われていた一群の聴衆たちでした。

パーカーの演奏はたしかに親しみやすいメロディこそないけれど、えもいわれぬスリルと迫力があったのです。それは即興的に演奏するミュージシャンの緊張感が直に伝わってくる迫真性であり、とっさにその場で起こった出来事がもつリアルな感覚です。まさに「事件の現場」に遭遇する臨場感ですよね。

要するにパーカーはジャズに「事件性」を持ち込んだのですね。「事件」なのですから、無事決着がつくかどうかはわかりません。TVの現場中継を思い起こしてください。何が起こるか事前に予測がつかないからスリリングなのですよね。

■さらに自由な自己表現へ

とはいえこの「実験」、センスが悪ければただの「騒音」となってしまうことでしょう。実際この「前衛的音楽」がうまくいったのは、パーカーの天才的感覚に多くを負っていたのです。

というのも、「コード進行に基づく即興」というアイデア自体はさほど奇抜なものではなく、パーカーでなくともいずれ誰かが実験してみたことでしょう。あるいは記録こそ失われていても、すでにこうした試みを行なっていたミュージシャンはいたのかもしれません。しかしそれらはきっと「面白くなかった」のでしょう。

ジャズのような「記譜」されにくい音楽では、「つまらないもの」は無視され忘れ去られてしまい、面白いものカッコいいものだけが残るのです。

つまり理屈の上では何通りもありうる「音の組み合わせ」のうち、パーカーは最善の組み合わせを瞬時に選び取る才能の持ち主だったのですね。まさに天才です。こうしたシステムは演奏者の才能を露呈させると同時に、優れたミュージシャンにとってはまさに「万能の自己表現システム」でもありました。

おさらいしてみましょう。ルイ・アームストロングが楽器を自分の持ち味に従って、音色もニュアンスも自由に演奏してもよいという「ジャズの道筋」を切り拓くことができたのは、彼の演奏が魅力的だったからです。ここでも同じことがいえるのです。他にも似たようなことをやったミュージシャンはいたのかもしれませんが、ルイのやり方は人一倍チャーミングだったので、「我も我も」となり、ジャズ全体をその方向へと導く力となりえたのです。

そしてその結果ジャズが得たものが「演奏者の自由な自己表現」だったのです。パーカーのやったこととまったく同じじゃないですか。ただやり方が違うだけ。しかもパーカーのシステムはルイの発想の上に「2階建て」のようにして乗っかることができるのです。つまり、楽器から自分好みの音を即興的に出してしまうということですよね。

この事実は、ルイからパーカーへの「ジャズ史的連続性」を表しています。要するに、楽器を演奏する際の自由度が1段階増しているのですね。その結果、ジャズのもっとも重要な聴きどころである「個性的表現」の幅がいっそう広くなると同時に、スリル、生々しさという、多くの方がジャズに期待するものがこのとき一気にジャズに流れ込んだというわけなのです。

そして歴史の面白いところは、当事者であるルイにとっては「同じこと」の意味がその時点では摑めなかったのでしょう。

■常軌を逸した人間性

1920年(大正9年)アメリカ中部、カンザス州カンザス・シティに生まれたチャールズ・パーカー・ジュニアは、11歳のとき母親から贈られたアルト・サックスを猛練習し、10代でプロとしての活動を始めています。「天才」といえども練習せずしてその芽が膨らむことはないのですね。

有名なエピソードに、まだ若いパーカーが当地を訪れた名ドラマー、ジョー・ジョーンズ(フィリー・ジョー・ジョーンズとは別人です)のセッションに参加した際、あまりのヘタさにジョー・ジョーンズからシンバルを投げつけられたという話があります。このシーンは大のパーカー・ファンである映画監督クリント・イーストウッドの作品『バード』でも再現されていますね。

ちなみに「バード(Bird)」とは、「チャーリー」と同様パーカーの愛称で、その発端は彼が大のチキン好きだったとか、彼の乗った車が鶏をはね、それをパーカーが食べちゃったとか、諸説ありますが、彼の演奏が鳥=バードが飛翔するように自由奔放であることをよく表している愛称といえるでしょう。彼が亡くなったとき、街じゅうに「Bird Lives !」バードは生きている! という落書きができたことがそれを象徴していますね。

彼はその後ニューヨークに進出し、42年には「ジャズ・ピアノの父」といわれたアール・ハインズの楽団に、そして44年にはハインズ楽団の歌手、ビリー・エクスタインのオーケストラにも参加しています。マイルス・デイヴィスはこのバンドを聴いてパーカーに憧れたのでした。

この時期、パーカーはのちに「ビ・バップ・コンビ」を組むことになるディジー・ガレスピーと前記のバンドで知り合い、45年には名門『タウン・ホール』のコンサートに出演しています。そしてその直後に、サヴォイ・レコードに記念すべき初リーダー録音をサイドマンとなったトランペッター、マイルスと行なっています。

この年の年末にパーカーはガレスピーの西海岸ツアーに同行し、ガレスピーがニューヨークに帰ったあともひとりロサンゼルスに居残り、ダイアル・レコードに彼の代表作となるレコーディングを行なっています。この時期の有名なエピソードが、薬物中毒だったパーカーが薬切れでやむなく大量のアルコールを摂取、意識朦朧のまま録音を行ない(演奏曲名から「ラヴァー・マン・セッション」と呼ばれています)、その後ホテルに帰ってから錯乱状態で火事騒ぎを起こし、病院に収容されてしまった一件です。

他にも常軌を逸したエピソードには事欠かず、それだけで一冊の本ができています、興味ある方はご一読をお勧めいたします(『チャーリー・パーカーの伝説』ロバート・ジョージ・ライズナー著 晶文社)。

■誰も追いつけない天才

さほどイケメンとは思えない容姿にもかかわらず女性たちにモテまくり(奥さんが4人)、ミュージシャンたちからは神様扱いされた破天荒な薬物中毒患者パーカーは、わずか34歳でこの世とおさらばしてしまいました。しかしその影響力は絶大で、彼以降のジャズの方向を決めてしまったのです。

本来音楽の影響は音楽面に限られるはずですが、パーカーの場合は彼の計り知れない「人間性」——それは必ずしも好ましい面だけではないのですが——の底知れなさがジャズマンたちの生き方にまで深い影を落しているのです。

ビッグ・バンドのステージの上で椅子に腰掛けたまま居眠りをしていたパーカーが、自分が演奏する番になると何事もなかったように起き上がり、居並ぶ誰よりもアイデアに満ちたアドリブを行なったなどというエピソードを読むと、これはやはり「天才」としかいいようがありません。私たちファンはただ驚いていればよいのですが、現場でそれを目のあたりにしたジャズマンたちの憧憬、敬意、そして羨望の念はいかばかりだったでしょう。

その、ある意味ではジャズマンたちに対する無言の「抑圧」がマイルスをして「即興以外の道」を選ばせたともいえるのです。そしてマイルスの無意識のコンプレックスが「モダン・ジャズ」発展の歴史ともなっているのですね。

ジャズという音楽がたんに「音楽理論」に還元されない、「人間たちの業の音楽」であることをもっとも端的に象徴しているのが、チャーリー・パーカーという稀有な存在だったのです。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

「隔週刊CDつきマガジン JAZZの巨人」のページを見る

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