文/後藤雅洋
1950年代の後半から頭角を現し、惜しくも亡くなってしまう80年に至るほぼ30年の間、ビル・エヴァンスはつねにジャズ・ピアニストとして第一線で活躍してきました。
エヴァンスの特徴は音楽のスタイルが比較的安定しており、全活動期間を通じてあまり大きな変化がないこと。何より決定的なのが、次世代ジャズ・ピアニストたちに与えた影響の大きさです。これらの結果として、彼に対する「ジャズの巨人」としての評価は、今では完全に確立されているといってよいでしょう。
まず、ピアニストが独走するバド・パウエル流ピアノ・トリオのあり方を、ベーシスト、ドラマーにも活躍の場を与える「3者協調型」に変えたこと。エヴァンスが現代ジャズ・ピアノに与えた影響はじつに大きいのです。
現在、第一線で活躍するキース・ジャレットの「スタンダーズ・トリオ」をはじめとして、ほとんどのピアノ・トリオは’60年代にエヴァンスが切り拓いた新しい形態を採用しているのです。
そして、彼が改革したこの「ピアノ・トリオの進化」とも関わっていますが、エヴァンスはジャズにおける「ピアノのあり方」そのものも変えてしまったのですね。
ちょっと極端な言い方をすると、ピアノという楽器はジャズの世界では若干「継子扱い」されていた節がないでもなかったのです。理由はトランペットやサックス類に比べ相対的に音色が地味で、音量も小さいこと。またピアノは「平均律」というヨーロッパ音楽の基準で調律されているので、普通に演奏するとどうしても「クラシックぽく」聴こえてしまうのですね。
そしてある意味で「機械」でもあるピアノは、トランペットやサックス類に比べ音色コントロールの幅が狭く、結果として個性的表現が難しいのです。
こうした「弱点」があるにもかかわらず、ピアノをジャズの主役の位置にまで引き上げたのがバド・パウエルだったのですが、彼の業績は「ピアノだってジャズができるんだぞ」と言い換えられると思います。しかしパウエルの奏法は、本来両手を駆使して豊かな和音を響かせたり、複雑な旋律を表現したりできるピアノの機能をあえて制限し、「右手のみ」に特化した、ピアノの使い方としては若干特殊なスタイルだったともいえるのです。
それに対し、エヴァンスの演奏はもう少しピアノの音楽らしく、いわば「ピアノ音楽としてのジャズ」を確立させたといえるのですね。そしてこのことが一般音楽ファンの「入りやすさ」に繫がっているのです。普通の方々にとって、どちらかというとジャズより「聴き慣れて」いるショパンやドビュッシーといったクラシックのピアノ音楽と、エヴァンスの演奏は「地続き的」なところがあるのです。
■ジャズ・ピアノの変革期
こうした「傾向」は、前出のキース・ジャレットや現代のトップ・ピアニスト、ブラッド・メルドーといったエヴァンス以降のすべてのジャズ・ピアニストに大なり小なり当てはまり、そのことが結果としてジャズにおけるピアノの位置を大きく変えたのです。
現代では、1940年代後半から’50年代にかけての「モダン・ジャズ勃興期」では考えられないほど、ジャズの中でピアノという楽器が占める位置が大きくなりました。その過渡期的現象として特筆すべきなのが、’70年代に爆発的ブームとなった「ソロ・ピアノ」という演奏スタイルです。
ジャズ史の中で「ソロ・ピアノ」というフォーマットを試みたのは、スイング時代のアート・テイタムなどごく限られたピアニストだけで、先駆的試みとしてエヴァンスが’60年代末にソロ・アルバムを出しましたが、時期尚早だったのかあまり話題にはなりませんでした。それが’70年代を迎えるとキース・ジャレットはじめ、チック・コリアやマッコイ・タイナーといった当時のトップ・ピアニストたちが、競うようにしてソロ・ピアノ・アルバムを吹き込むという、特異な現象が起こったのです。
とりわけキースの連続ソロ・コンサートは大人気で、特にジャズに関心のなかった層にまでキース・ファンは広がったのです。思うに、キースのファン層は従来クラシック音楽を聴いていた人に多かったようです。そして、こうした状況と並行するようにして、ピアノ、キーボード奏者がジャズ・シーンの前景に躍り出るという時代を迎えたのです。
顔ぶれは前出のキース、チック、マッコイの他、マイルス・デイヴィス・グループから独立し、エレクトリック・キーボードを駆使するハービー・ハンコックや、「ウェザー・リポート」というグループをテナー奏者ウェイン・ショーターと組んだ、オーストリア出身のジョー・ザヴィヌルなど、それ以前のジャズ・シーンではみられないほど多士済々です。
彼らはエレクトリック楽器を使用したり、のちに「フュージョン」と呼ばれるスタイルをとったりとじつに多彩な動きで、従来の「ジャズ・ピアノ」の概念を乗り越えていきました。
■根っからのピアニスト
しかし、こうした状況を迎えたにもかかわらず、エヴァンスの動きにはじつに興味深いものがあります。彼は’70年代の初頭こそ、時代の波に乗るようにしてエレクトリック・ピアノを演奏したりもしましたが、その動きは長続きせず、しだいにもとのオーソドックスな方向へと回帰し、亡くなる直前まで基本的に’60年代のころと大きく変わることのないスタイルを貫き通したのです。
これはエヴァンスが根っからの「ピアニスト体質」だったことを表しているのです。ジャズ・ピアニストには二通りのタイプがあって、ハービー・ハンコックやジョー・ザヴィヌルのように、ホーン奏者を含んだグループ・サウンドで自己表現するタイプと、バド・パウエルを筆頭に、エヴァンスやオスカー・ピーターソンのように、自分のピアニストとしての資質で勝負するタイプです。両者の中間に位置するのがキースやチック、あるいはマッコイで、どちらのタイプの演奏も行なっています。
話をエヴァンスに戻すと、結局彼はピアノという楽器の可能性を極めることによって、「ジャズ的な自己表現」を行なう方向に向かったのだと考えてよいでしょう。近年のキース・ジャレットの演奏も、突き詰めれば同じ方向を向いているといえると思います。エヴァンスとキースの音楽は表面的には特に似ているわけではありませんが、「楽器としてのピアノ」「音楽ジャンルとしてのジャズ」、そして「自己表現」といった3者の兼ね合い・関係性において、同形といえます。そしてそれこそが「ピアノ音楽としてのジャズ」ということなのですね。
こうした枠組みで語ることができるピアニストはじつに多く、’80年代から注目されだしたフランスのミシェル・ペトルチアーニやイタリアのエンリコ・ピエラヌンツィといった、ヨーロッパ発の新人ピアニストの大半が、結局エヴァンス的発想でジャズを演奏しているのです。これは凄いことではないでしょうか。まさしく’50年代のジャズ・シーンにおけるバド・パウエルの影響に匹敵するといえるものです。
■叙情性という個性
とはいえ、具体的なエヴァンスのピアノ・スタイルの影響はというと、パウエルと同じように、表面的な部分は受け継がれていても、音楽の本質的な要素はなかなか継承が難しいようです。これは考えてみれば当然のことで、ジャズという音楽のもっとも重要な特徴が「個性的表現」なのですから、パウエルやエヴァンスといった突出した才能をもったジャズマンの「個性」を継承できるわけがないのですね。
しかしながらその部分こそが彼の音楽の「聴きどころ」なのですから、できる限りエヴァンスならではの個性を説明していこうと思います。
力強いピアノのタッチや、リズムへの独特の乗り方がエヴァンスの個性であるという話は以前しましたが、やはり彼のいちばんの特徴は「リリシズム=叙情性」という言葉で語られる部分ではないでしょうか。これはなかなか説明が難しい。というのも、「リリシズム」は「リズム」や「タッチ」といった「音楽の言葉」にしづらい、「気分・雰囲気」に属する要素だからです。
ヒントはやはりエヴァンスの気質にあるように思います。天衣無縫のアルト・サックス奏者チャーリー・パーカーや、ユーモラスな奇行で知られたピアニスト、セロニアス・モンクのようなエピーソードが、エヴァンスにはあまりないのです。音楽に対するきわめて真摯な態度や、クラシック音楽に対する知識・関心の高さこそ広く知られていますが、一個人としてのエヴァンス像は、鍵盤にのめり込むようにして演奏する一種「自己耽溺型」のジャズマンといったイメージしか浮かんできません。
それを裏付けるような彼自身の証言を紹介してみましょう。
「音楽は私の人生でいちばん重要な意味のあることであり、私の生活の何よりも私自身を占有している」
彼にとって音楽さえあればあとは何も要らないのですね。女性関係はじめ、俗な欲求がかえってジャズマンらしさを彩ることが多いジャズ界において、これはかなりストイックな態度といえるものです。
エヴァンスのリリシズムは、こうした彼の気質をキーワードとして読み解くことができると思います。それは、「感情表現」と「音楽的構築性」のバランスが取れているということです。感情の発露のあまり、音楽的に過剰だったり逸脱したりすることなく、また、音楽的完成度にこだわるあまり無機質な印象を与えることもない叙情性です。
しかし、これはけっこう難しく、たいがいのジャズマンはどちらかに偏りがち。というか、大方のジャズマンは情緒的表現で自己主張する方向で個性を表しているのですね。もちろんそれでまったく問題はなく、どちらかというとジャズはそうした音楽として親しまれているといってよいでしょう。
ただ、こうしたスタンスの音楽は当然聴き手の嗜好に左右され、必ずしも万人向けとはいいがたい。しかし、エヴァンスの音楽的探究心はそこにとどまらず、ピアノ・ミュージックとして欠けるところなく、同時に自分の美意識をも十全に表現しうる演奏を追求していったのですね。
その結果として、さほど聴き手の好みに左右されず、しかも音楽的に質の高い演奏を続けてこられたのです。
文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。
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