(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第13号「チェット・ベイカー」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

ロック・ミュージックではビートルズはじめ、ギターを弾きつつ歌を歌うのはごく一般的ですが、ジャズの場合、楽器の演奏者がヴォーカルまでこなす例はかなり珍しいのです。

ジャズではマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンといった楽器の演奏者と、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンといったヴォーカリストは、きちんと棲み分けがなされているのですね(しかも男女で!)。

その理由として、ロックの代名詞的楽器はギターですが、ジャズの代表的楽器であるトランペットやサックスを吹きながら歌を歌うのは無理という、しごく当たり前の事情もあるのですが、どうやらそれだけでもないような気がします。

簡単なコード(和音)をかき鳴らせば、一応歌の伴奏ができるギターと違い、トランペットやサックス類は、一定の修練を経ないと満足に音を出すことすら困難です。それに引き換え、歌は誰でも気軽に歌うことができます。ですから歌については、アマチュアのうちからある程度才能の見極めというか「向き不向き」がわかるのですね。それは本人の自覚・自信にも繫がり、そうした一群の有能な人々がロック、ジャズといった音楽ジャンルにかかわらず、プロ歌手としてデビューしていくのだと思います。

他方、高度な演奏技術が必要な、楽器で演奏するジャズは、本人にそうとう明確な「ジャズマンになりたい」という意志がなければ、なかなか人さまを納得させるレベルまで技量を向上させることは難しいのです。つまり自分のジャズマンとしての才能を確認するまでに時間がかかるのですね。こうした事情から、ジャズでは、アマチュア時代から「歌手コース」「演奏者コース」と明確に分かれてしまう傾向があるのではないでしょうか。

ある程度歌が巧いプロ予備軍は、当然歌唱技術の向上を目指すでしょうし、仮に彼らが「余技で」楽器まで手がけても、ジャズの場合「それひとすじ」の演奏者に太刀打ちするのは非常に難しいのですね。

ですから、ジャズ・ヴォーカルの開祖といわれた大トランペッター、ルイ・アームストロングや、余技が本業になった元ジャズ・ピアニスト、ナット・キング・コールのような人たちは、ほんとうにひと握りの例外的存在なのです。そして今回の主人公はトランペットでも第1級の評価と人気を得た白人ヴォーカリスト、チェット・ベイカーです。

■ジャズ独特の“味”の魅力

私がチェットの歌唱の魅力に気づいたのは、ジャズを聴き始めてからかなり経ってからでした。1970年代に入ってチェットがシーンにカムバックし、チェット再評価の気運が起こって、ようやく私も見逃していた彼の聴きどころに開眼したのです。今になってみると、その「聴きどころ」は、必ずしもチェットの聴きどころに収まらない、ジャズという音楽がもつ特別な性格に由来していることがよくわかります。

それは「味」の魅力で、誰にでもわかる歌唱の巧い下手とはちょっと違ったところに潜んでいるのですね。このことは楽器の演奏でも同様なことがいえるのです。演奏の巧拙は素人でも判断しやすいのですが、ジャズならではの「味わい」は、ある程度ジャズという音楽の特殊性に親しんでからでないと見えにくいのですね。

チェットの特別な立ち位置をわかりやすく説明するために、比較例を出してみましょう。ナット・キング・コールの歌唱技術の巧さは、取りたててジャズ・ファンでなくともわかります。だからこそキング・コールはポピュラー・シンガーとしての第1級の評価を得たのです。そしてルイ・アームストロングの「ダミ声」もまた、とくにジャズに親しんでいない方々でも、「アクの強さ」と隣り合わせの圧倒的な個性は一聴しただけで納得させられますよね。

さて、チェットです。率直に言って、彼の歌は巧いのか下手なのか、すぐには判断がつきかねます。そしてその歌声は個性的には違いないのですが、「美声」とか「ダミ声」、あるいはアニタ・オデイの「ハスキー・ヴォイス」のように、一般音楽ファンが聴き知っている「声の種類」に収まりきらないのです。人は知っているメニューなら「あれかこれか」を選べますが、そうではないものには慎重です。

とはいえ、1950年代にチェットがジャズ誌の人気投票で、同じトランペッターであるマイルス・デイヴィスを抜いて1位の座を獲得したのも事実なら、日米を問わず“ウエスト・コースト・ジャズ”を代表するジャズマンとして、トランペットは言うまでもなく、その歌声にも人気が殺到したこともジャズ史的事実なのです。

■まず“歌”ありき

この「不思議」を解く鍵は、最近公開されたチェットをモデルにした映画『ブルーに生まれついて』を観るとよくわかります。この映画はジャズという音楽の凄さ・怖さ、そしてそれゆえの奥深い魅力を描ききった傑作です。もちろん映画ですから誇張も史実との相違もありますが、それゆえの「わかりやすさ」も備えているのです。

チェットにとって音楽への導き手であると同時に、必ずしも好ましい相手ではなかった父親が、チェットの歌に対して、「お前は子供のころから女の子のような声で歌っていたな」となじっているのですね。これはふたつのことを意味しています。まずチェットはトランペットより先に歌に親しんでいたこと。そしてその歌声は、身近な存在である父親からみて違和感があったことです。というか、自らも音楽家であったチェットの父親は、息子の歌声が気に入らないのでトランペットを買い与えたという事情があるのですね。

この、「トランペットより歌が先」という状況は、超大物トランペッターにしてジャズ・ヴォーカルの開祖とされるルイ・アームストロングとまったく同じであることは押さえておきたいと思います。つまりチェットにしてもルイにしても、「歌うこと」はもっとも自然な(まだ楽器が演奏できない)幼児期の自己発現であり、それが長じれば高度な自己表現になりうるということですね。

そして決定的なのは、チェットが麻薬の代金を支払わなかったため、ギャングにトランペッターにとっていちばん大事な前歯を全部折られてしまうというエピソードです。その結果、以前のようにはトランペットを吹けなくなってしまったチェットの演奏を聴いたレコード・プロデューサーが、「テクニックが使えなくなった代わりに『味』が出てきた」と発言しているのですね。もちろんこれはトランペットの演奏についての指摘ですが、いみじくも彼の歌についての評にもなっているのです。

そしてこれは「映画」ですからフィクションなのでしょうが、チェットの性格が「女性に甘えるタイプ」として描かれているのですね。「三題噺」ではありませんが、もともと歌で自分の気持ちを伝えることが得意だったチェットが、独特の「甘えるような」声質で歌うと、そこになんともいえない味わいが生まれてくるのですね。しかしそれはどちらかというと「母性本能」をくすぐるようなテイストなので、ジャズを聴き始めたばかりの「若い男」だった私には「わからない」種類の味でもあったのです。

しかしすでに老年に達した私には、チェットの歌声の魅力がたんなる「女性への甘え」に尽きるものではないことがよくわかるのです。それは「無垢の声」とでも言いうるもので、計算外の巧まずして発された歌声の魅力なのですね。ここでまた映画のエピソードに戻るのですが、チェットが辛辣で知られたマイルス・デイヴィスに、ちょっとした音楽的皮肉を言われるシーンが描かれています。もちろん映画ですから「白人嫌い」で知られたマイルスを、ジャズ界ではアウトサイダーたる白人ミュージシャンに対する「敵役」に仕立てる演出でしょうが、面白い「裏読み」ができるのです。マイルスという人はどちらかというと計算で音楽をやるタイプで、それがとてつもなく精密で高度だからこそジャズ界のトップスターたりえたのですが、そのマイルスから見ると、チェットのあまりの「無防備さ」が気に障ったのかもしれません。

余談ついでに言いますと、この「無防備さ」はチェットの魅力でもありますが、同時に彼にとっては「落とし穴」でもあったわけです。言うまでもなくそれは彼の麻薬癖で、まるで子供のように「だって気持ちいいんだもん」とばかりに、いくら処罰されようが、また女性から愛想をつかされようが、まったく反省の色が見えません。これはちょっと凄い。というか、この、ある意味で「腰の据わった快楽主義」が、じつは「ジャズ」という業の強い音楽と深いところで通じ合っているのですね。

誤解を招くといけないので断わっておきますが、薬物でジャズの演奏が巧くなるというようなことは俗説で、そうではなく、快楽を極限まで追求するかのような突き詰めた姿勢が、きわめてジャズ的であるという意味です。言い換えれば、たとえばジョン・コルトレーンの「突き詰めた深刻さ」の対極に、チェットの「無垢であることの深刻さ」があるように思えるのです。しかしこれはジャズを聴き始めたばかりの私には見えにくかったのです。

■マイルスの近親憎悪(?)

チェズニー・ヘンリー・ベイカー(愛称チェット・ベイカー)は、1929年(昭和4年)にアメリカ中部オクラホマ州で生まれました。世代的にはマイルスの3歳下にあたります。チェットの父親は地元でカントリー・ミュージックのラジオ番組をもつ音楽家で、その影響かチェットは子供のころから音楽に興味をもち、アマチュア・コンテストで賞をもらうなど、多くのジャズ・ミュージシャンの幼少期と同じような経験をしています。とはいえ、チェットの性格に由来するのか、「ジャズ一直線」というわけでもないところが面白いのですね。

一家はその後西海岸のロサンゼルスに移住し、チェットものちにロスを拠点として音楽活動を始めています。第2次世界大戦後まもない46年にチェットは徴兵され、ベルリンで軍楽隊員として兵役に就きます。この時期、まさにジャズ・シーンは“ビ・バップ”勃興期を迎え、チェットはレコードでこの新音楽に触れ一気に“ビ・バップ”に傾倒していきます。もちろんアイドルはビ・バップ・トランペットの創始者ディジー・ガレスピーでした。ガレスピーはマイルスとは違い、チェットがジャズの世界に入るにあたって折に触れ手助けしています。これは映画でもきちんと描かれていました。

しかし実際のチェットの演奏はホットでハイテクニックを駆使するガレスピー・スタイルではなく、むしろゆっくりとフレーズを歌わせるマイルスに近いタイプといえるでしょう。もしかしたらマイルスはこうした「自分と似た行き方」に近親憎悪的な感情をもったのかもしれませんね。とはいえ、ふたりのテイストはずいぶん違います。それこそ「卵の殻の上を渡る」といわれた繊細で神経質なマイルスのトランペットに比べ、チェットはもっと無防備。

この「無垢な無防備さ」は彼の歌についてもいえて、それが前述した「巧いのか下手なのかわからない」歌唱という評に繫がるのですね。つまりチェットは思いを込めようとはしても、巧く聴かせようという意識は薄いのです。しかしそれが巧まずしてジャズならではの深い味わいを醸しだしているのですね。これはきわめて個性的。

■西海岸から全米の頂点へ

1940年代の末に除隊したチェットはロサンゼルス近郊のジャズ・クラブで腕を磨き、ジャズマンの友人たちも増えますが、どうしたわけかまたもや軍楽隊に入隊してしまうのです。もしかすると、チェットにはプロとして強面の黒人ジャズマンたちと伍していこうという強力な意志が欠けていたのかもしれませんね。

2度目の除隊後、チェットにチャンスが訪れます。西海岸を訪れた“ビ・バップ”の開祖、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーのサイドマンに抜擢されたのです。そしてそのままパーカーに従ってジャズの中心地ニューヨークに進出するかと思いきや、またもやチェットはロスにとどまってしまうのですね。

しかし彼にとってはむしろこのことが幸いし、同じく西海岸を拠点とする白人バリトン・サックス奏者、ジェリー・マリガンとジャズ史上有名な「ピアノレス・カルテット」を結成することとなったのです。このバンドは折から注目を集めつつあった“ウエスト・コースト・ジャズ”の中心的存在となり、チェットの人気も高まります。しかしマリガンが麻薬容疑で捕まってしまい、バンドは解散の憂き目を見ます。

やむなくチェットは自前のバンドを組みますが、これが大ヒット。その理由は、彼がアルバムの中でヴォーカルを披露したからです。その結果、ジャズ専門誌『ダウンビート』の1953年度国際批評家投票の新人賞に選ばれ、翌54年には読者投票で第1位。そればかりではなく、『メトロノーム』誌の読者投票でも54年55年と連続して第1位に輝き、名実ともにジャズ・シーンのトップスターの地位を獲得したのでした。

しかしその栄光も束の間、麻薬に手を出したチェットは再三逮捕の憂き目を見、ヨーロッパに新天地を求めたりもするのですが、かの地でも相変わらず薬物と縁が切れません。そしてアメリカ帰国後に例のギャング事件に巻き込まれ、前歯を失うはめになるのです。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第13号「チェット・ベイカー」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

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チェット・ベイカー|ウエスト・コーストの光と影を体現したトランペッター

マイルス・デイヴィス|ジャズを創り、ジャズを超えた「帝王」

ビル・エヴァンス|繊細で大胆なピアノ・トリオの改革者

ジョン・コルトレーン|ジャズの究極にフォーカスし続けた求道者

ソニー・ロリンズ|豪放磊落なアドリブ・ジャイアント

マイルス・デイヴィス|次代のジャズを奏でる革命家

アート・ブレイキー |燃えるドラムで世界を熱狂させたジャズの“親分”

バド・パウエル|内なる炎が燃えるピアノ・トリオの開祖

チャーリー・パーカー|アドリブに命をかけたモダンジャズの創造主

オスカー・ピーターソン|圧倒的な演奏技術でジャズの魅力を伝えたピアニスト

ビル・エヴァンス|「ピアノ音楽としてのジャズ」を確立した鍵盤の詩人

モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)|クラシックの香り漂う典雅な〝室内楽ジャズ〟

ジョン・コルトレーン|情念をも音楽の一部にして孤高の道を驀進した改革者

クリフォード・ブラウン|完璧なテクニックと最高の歌心で音楽を表現した努力の天才

セロニアス・モンク|「ジャズは個性の音楽」を体現した唯一無二のスタイルと存在感

ハービー・ハンコック|「時代の感受性」と並走しジャズを拡大した変容するピアニスト

スタン・ゲッツ|常に輝き続けた天才インプロヴァイザー

ホレス・シルヴァー|“黒さ”とラテンが融合した独特の“ファンキー・ジャズ”

リー・モーガン|やんちゃなストリート感覚で“ファンキー・ジャズ”を牽引したヒーロー

エリック・ドルフィー|伝統的なジャズの文脈に連なりながら前衛的個性を表現

ウェス・モンゴメリー|革新的テクニックと魅力溢れる個性でジャズの中心に立ったギタリスト

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