文/印南敦史
定年後は海外で暮らしたい、そんな思いを漠然と抱いている人は決して少なくないだろう。とはいえ現実問題として考えると、経済的事情のみならず、精神的な意味でもハードルは高くなっていくものだ。率直な話、大小含め、さまざまな不安がついてまわるということ。移住するとなればガラッと生活環境が変わるのだから、無理もない話である。
そこで「海外移住に興味はあるけど、不安が解消できない」という方にぜひ読んでいただきたいのが『定年後を海外で暮らす本』(中村聡樹著、日経ビジネス人文庫)だ。
著者は、専門紙記者を経て、介護のコンサルティング会社を設立したという経歴の持ち主。介護施設コンサルティングの一環として、海外施設の見学ツアーを主催しているのだという。日本人の海外暮らし事情に詳しいのは、そんなバックグラウンドがあるからだ。
■頭で考えるだけでなく、まずは一歩を踏み出してみる
さて、そんな著者は、海外移住についてまわる不安をどう解消すべきだと考えているのだろうか? 端的にいえばその答えは、“難しく考えずに一歩を踏み出すこと”にあるようだ。
とはいえ実際、いざ海外暮らしをしようということになれば、事前の情報収集は必須である。現実的には海外暮らしの体験者は限られているのだから、経験談を聞く機会は少ない。また、ひとことで海外といっても、生活の条件は国ごとに違って当然。つまり、海外暮らしをマニュアル化することは難しいということだ。
しかし、そうした現実を踏まえた上で著者はこう主張している。
「なんだか難しそうに聞こえるが、だからと言って、このままあきらめることはない。目的地を決めて、試行錯誤しながら情報収集をしてみると、おぼろげながらではあるが、こんな具合に準備を進めればよいのでは、という方向性が見えてくるものだ。」(同書より)
ちなみに情報収集の方法については、第3章に詳しく解説されているので、ぜひ活用したいところだ。
■海外暮らしになにを求めたいのか?
いずれにしても、海外移住が気になるのであれば、まずは動いてみるべきだということ。その際、つい技術的なことに目が向いてしまいがちだが、本当の意味で決め手となるのは、海外暮らしを希望する本人の考え方なのだという。
つまり「自分はどうして海外暮らしをしたいと思っているのか」について改めて考えてみるべきだということで、それは当たり前のようにも思える。が、たしかにそこをないがしろにしてしまっては、失敗する可能性も高まりそうだ。だから、そのことについて真剣に考えてみるべきだというのである。
思い切りのよさを武器に、海外に移住する意思を早々に固めてしまう人もいる。そういう人を目の当たりにすると、「自分も早く動かなきゃ」と気持ちが焦るかもしれないが、多くの体験者から話を聞いた結果として、著者はそれをお勧めできないという。やはり、そうした行動にはリスクが伴うのだ。
海外移住を最終的な選択肢にするとしても、最初は日本をベースにしつつ、徐々に海外での体験を積み重ねて行動範囲を広げていくべきだということだ。
そのような考え方に基づき、本書では「段階的な移住スタイル」を勧めている。いきなり完全に他国へ移住してしまうのではなく、日本の家を残したまま、1年のうち3ヵ月、あるいは半年を海外で暮らすスタイルである。なるほどそれなら、移住を渋るパートナーの理解を得ることも楽になりそうだ。
■海外移住のスタイルは多種多様である
さて、こうしたスタンスを主軸としたうえで、以後はより具体的な話題が展開されていくことになる。金銭面の不安解消法から、海外でも問われる「人間力」の高め方まで、話題の幅も広い。
特に第2章「海外暮らしの失敗談から学ぶ」は、具体性が高いだけに納得しやすいだろう。避けて通れない「言葉の問題」についての考え方などは、不安を解消するために役立つのではないかと思う。
また、移住と関連して留学やボランティアも選択肢に入れているところも本書のおもしろさ。海外移住というと、バカンス的なイメージだけで捉えてしまいがちだが、いわれてみればそういう方法もたしかにある。
別な表現を用いるなら、移住の方法は、思っているほど限られていないのだ。そんなことを再確認させてくれるという意味でも、本書の価値は大きい。定年後の暮らしをイメージするたび海外の生活が頭にちらつくとしたら、ぜひ読んでみるべきだ。
【今回の定年本】
『定年後を海外で暮らす本』
(中村聡樹著、日経ビジネス人文庫)
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「七人のブックウォッチャー」にも参加。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)などがある。