(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第14号「カーメン・マクレエ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■遅いデビューの実力派

ジャズ・ヴォーカルの世界では、昔から「エラ、サラ、カーメン」といわれてきました。もちろんそれは、黒人女性ヴォーカルの人気・実力ともに第一人者エラ・フィッツジェラルドと、いかにも黒人らしいディープな声質が特徴的なサラ・ヴォーン、そして今回の主人公である黒人女性歌手カーメン・マクレエの3人のことです。

「世界の3大美女」とか「中国3大奇書」など、洋の東西を問わずいろいろな事象を「3」で括る発想はたいへん興味深いものです。そこにはものごとをわかりやすく要約し、対象の本質を大摑みに捉えようという人々のあくなき探究心がうかがい知れます。ですから今回は、この「エラ、サラ、カーメン」といった「自然発生的括り」を出発点として、カーメン・マクレエの魅力、特徴、聴きどころを探ってみようと思います。

まずは順番ですね。エラが最初なのは年齢のこともあります。1917年生まれと3人の中では最年長。必然的にジャズ界での経歴も古く、また実力もあって人気も高かった。しかし興味深いのは、年齢的に2番目である22年生まれのカーメンが、2歳年下24年生まれのサラより後にランクされていることです。これにはふたつの理由があります。エラ、サラはともに若いころから、黒人文化のメッカである「アポロ劇場」のアマチュア歌手コンテストで認められ、「バンド歌手」というジャズ・ヴォーカリストの定番コースでジャズ界デビューを果たしました。

他方カーメンは、当初ピアニストとしてジャズ界にデビューし、のちに歌手兼ピアニストとして活動しています。詳しくは後述しますが、結婚生活のため一時期ジャズ界の表舞台からは退き、本格的に歌手としてレコード・デビューしたのは53年と、エラ、サラに比べてかなり遅いのですね。ですから当然ファンの認識も、ヴォーカル・シーンへの登場順に「エラ、サラ、カーメン」となったというわけです。

■大橋巨泉とカーメン

付け加えれば、世間の知名度、一般的人気の点でも、カーメンはエラ、サラに一歩譲るといっていいと思います。しかしここからが面白いのですが、いわゆる「ヴォーカル通」の間では、カーメン・ファンがかなり多いのですね。一例を挙げると、つい最近惜しくも亡くなった大橋巨泉さんもまた、大のカーメン・ファンでした。もしかすると、巨泉さんのことを「テレビ界の大物」としてしか見ていない方々もあろうかと思うので、ひと言付け加えておきましょう。

彼はもともと熱狂的ジャズ・ファンで、若いころはジャズ評論家として活躍しており、ジャズ雑誌『スイングジャーナル』の常連執筆者でもあったのです。それだけではなく、日本を代表するジャズ歌手で、第18号『昭和のジャズ・ヴォーカルvol.2』に収録予定のマーサ三宅と結婚しているのですね(のちに離婚)。そして音楽学校出身のマーサに、いろいろとジャズについてアドヴァイスをしているのです。

ジャズ評論家としての巨泉さんを知ったのは、奇しくもカーメンのコンピレーション・アルバムがきっかけでした。昭和30年代ぐらいまでの日本では、アメリカのジャズ・アルバムがそのままの形で日本盤LPとして発売されるケースはまれで、いわゆる「ベスト盤」的なものが大勢を占めていました。ですから、私も最初に接したカーメンのアルバムは彼女のベスト盤で、それでいっぺんに彼女が好きになったのです。

その後、このベスト盤のもととなる「オリジナル盤」を買い集めてみて驚いたのです。まずもってそれら3枚ほどのアルバムが、カーメンの作品の中でも屈指の名盤群であるばかりでなく、アルバム中でも白眉というべき曲目が、見事にチョイスされていたのですね。そしてこのセレクトをしたジャズ評論家が誰あろう、大橋巨泉さんだったのです。

それでは、巨泉さんはじめジャズ・ヴォーカル・マニアを唸らせたカーメンの魅力を探っていくことにしましょう。すでにくり返し説明してきましたが、「歌」がロックでもなく、歌謡曲でも民謡でもなく、そしてクラシックとも違う「ジャズ・ヴォーカル」として成立するには、いくつかの条件があります。まずいちばん明快なのは「アドリブ」ですね。

そもそも「ジャズ・ヴォーカル」というジャンルを創設したとされる歴史的トランペッター、ルイ・アームストロングが、「(歌詞の書いてある)楽譜を落とした」という「言い訳」で、即興的に「ウヴィダヴァ」と「スキャット・ヴォーカル」を始めたのが、「ジャズ・ヴォーカル」の始まりとされているのです。ですから、即興=アドリブで歌詞を「擬音語」に改変すれば、これは明らかにジャズ・ヴォーカルといえるでしょう。

他方、「スキャット」をほとんどやらないジャズ・ヴォーカリストも大勢います。その第一人者が、ジャズ・ヴォーカルの女王的存在であるビリー・ホリデイなのですね。彼女は譜面に書かれた「原曲」の旋律を、微妙にズラして歌うことで、圧倒的な個性、説得力を身につけたのです。いわゆる「崩し」の魅力ですね。

だいたいのジャズ・ヴォーカリストは、時によって「アドリブ」と「崩し」を使い分けますが、どちらが注目されるかで分けられます。「エラ、サラ、カーメン」に当てはめてみれば、エラとサラは、ともにスキャット・ヴォーカルの名手として知られています。他方カーメンは、「崩し」の魅力で頭角を現したのでした。つまり、カーメンはホリデイ派なのですね。ここも詳しくは後述しますが、カーメンはホリデイと浅からぬ縁があるのです。

エラ、サラといった「スキャット巧者」は、いかにも「ジャズ・ヴォーカリスト然」としているので認知度も高く、必然的にそれが人気にも繫がっているようです。他方「崩し派」に対しては、カリスマ的存在であるホリデイは別格として、カーメンのように比較的原曲に忠実に歌うタイプの「ジャズ歌手としての魅力」を実感するには、それこそ「ジャズの魅力・聴きどころ」を確実に把握している必要があるのです。巨泉さんはカーメンの魅力を、「ベスト盤」の形で紹介することで、「崩し派ジャズ歌手」の「聴きどころ」を具体的に示してくれたのでした。

それは、まずもって「歌」としての魅力を第1とする視点です。「ジャズ・ヴォーカルとは、歌に一定以上のジャズ度数が加わったものを指す」と、私はこのシリーズの冒頭で説明しました。このことを裏返せば、そもそも「歌として」ダメなものは、当然「ジャズ・ヴォーカルとしても」評価できないということになります。それでは「歌としての魅力」とはいったい何でしょうか? いろいろな考え方があろうかと思いますが、私は、歌が「人間の声」を使った表現であり、歌詞という「言葉による伝達」でもある、というところに注目したいと思います。

■歌の魅力は声と歌詞

「声」は楽器に比べ、感情表現が得意です。たとえば「おい、おい」というシンプルな問いかけの言葉に、私たち誰しもが、非難の口調から親しみを込めた呼びかけまで、多彩な感情を込めることができます。他方、ラッパの「プーッ」という1音に感情を込めるのは、それこそマイルス・デイヴィスのような歴戦の勇士でなければ不可能です。

この「声」の特質を最大限に生かし、「歌詞の内容」を情感豊かに聴き手に伝えること。これはロック、歌謡曲、そしてジャズといったジャンルを超えた、「歌」の一般的魅力・聴きどころと言っていいと思います。カーメンはこれが抜群なのです。個人的体験ですが、あまり英語が得意でない私にとって、いちばん歌詞が聴き取りやすいジャズ歌手が、カーメンだったのです。これは付属CDをお聴きになれば賛同していただけることと思います。カーメンの発音はじつに明確でクリアーなのです。それだけでなく、歌詞の意味を踏まえた適切な抑揚、強弱が歌の説得力に繫がっているのです。

一概には言えませんが、歌をジャズ的にするためにリズムを強調すると、場合によっては単語の聴き取りや文脈の把握が困難になることがあります。極論すれば、「スキャット」はそれでもリズムや旋律の自由度を優先した究極のジャズ・スタイルといえるでしょう。アドリブ優先と歌詞優先のどちらが優れているかという質問に対しては、次の答えが用意されています。インスト(器楽)、ヴォーカルを問わず、ジャズの最終目的は「魅力的な自己表現」です。つまり、それぞれのミュージシャンが、自由に得意なやり方で目的を達成すればよいのです。ジャズの必要条件のように思われている「アドリブ」も、じつは自己表現の「手段」にすぎないのですね。

ですから、エラやサラはスキャット・ヴォーカルで、ホリデイやカーメンは歌詞の情感を的確に伝えることで、自己表現を行なっているのです。しかし「聴き手」にとっては、両者は微妙に異なった「回路」で伝わってくるようです。エラやサラのリズミカルなスキャット・ヴォーカルは、比較的「受け身」な状況でも充分ジャジーな魅力は伝わってきます。このことが、彼女たちの一般的人気の一端を背負っているともいえるでしょう。

他方ホリデイやカーメンの歌唱は、聴くほうもある程度「歌の世界」に寄り添うようにしないと、そのほんとうの魅力は見えにくいともいえるかもしれません。とはいえ、カーメンの歌唱は比較的素直なので、ふつうに聴いていれば誰にでもその豊かな情感は伝わってくるはずです。

■“姿勢”のよい歌

最後に私なりのカーメンの魅力をひと言で要約すると、それは「説得力」ということになると思います。そして彼女の説得力はふたつの回路によって伝達されるのです。その第1は囁きかけるような歌唱です。彼女の歌を聴いていると、まるで個人的に囁きかけられているような錯覚に陥るのですね。これは強力です。

そしてもうひとつは確かな構成力です。彼女の歌はまずもって姿勢がよい。それは歌唱技術の基本ができていると同時に、歌全体の構築力が確かだからなのですね。これは彼女がピアニストだったということも影響しているでしょう。つまり、彼女は音楽理論にも通じているのです。このふたつが相まって、カーメンの歌を聴いていると、ごく自然に「そうだよね」といった感慨に浸れるのです。これはジャズ・ヴォーカリストとしてはもっとも強力な個性といえるでしょう。

■B・ホリデイとの深い縁

カーメン・マクレエは1922年(大正11年)ニューヨークの北部ハーレム地区に、ジャマイカ移民の両親の子供として生まれました。ポイントはふたつです。まず彼女はジャマイカ系の黒人であるということ。カリブ海に浮かぶ島国ジャマイカは、現在は英連邦王国の一員ですが、古くはスペインの植民地でした。一般に「ラテン諸国」の住民は、先住民とスペインあるいはポルトガルからの侵入者、そして労働力としてアフリカ大陸から連行された黒人たちとの混血によって構成されていますが、ジャマイカでは先住民は少なく、ほとんどがアフリカからの黒人でした。また、ハーレム地区は「アポロ劇場」など黒人文化の中心地で、ジャズ・ミュージシャンも大勢住んでいます。ですからカーメンは、ジャマイカンとしてのラテン的な文化背景と、合衆国における黒人文化の影響というふたつを併せもっているのですね。

カーメンは子供のころからピアノを練習し、ピアニストとして音楽活動を始めています。そしていかにもジャズの街ハーレムらしいエピソードがあるのです。カーメンがまだ10代のころ、共通の友人を介して、あの伝説の主人公ビリー・ホリデイと知り合うのですね。いわば「ご町内の顔見知り」といったところでしょうか。

たまたまカーメンより5歳年上のホリデイの誕生日が4月7日で、カーメンは翌4月8日。そうした縁で、ふたりはいつも一緒に誕生パーティを開いていたそうです。面白いのがカーメンの独白です。「ビリーの誕生日からお祝いを始めた。けど私の誕生日にはならなかった。飲みすぎて家に帰るしかなかったから。自分の誕生日はほとんどベッドの中で過ごした」。若き日の2大ヴォーカリストは、いったいどんな話題で盛り上がったんでしょうね。

ホリデイとの繫がりはそればかりでなく、新曲を提供されたホリデイの前で、あまり譜面が得意ではない彼女のために、歌って聴かせたりしているのですね。なんとそのとき、ホリデイはカーメンの歌を聴いて目に涙を浮かべ、「私、そういう歌をやりたい」と言ったそうです! ホリデイとカーメンは音楽的にも浅からぬ縁があるのです。

44年にカーメンはベニー・カーター楽団のピアニストになり、ジャズ界デビュー。その後、有名なカウント・ベイシー楽団のピアニスト兼シンガーとして歌手活動を始め、46年にビ・バップ・ドラムの開祖である名ドラマー、ケニー・クラークと結婚(55年に離婚)し、一時期家庭に引きこもっています。そうした経緯もあって、エラやサラが活躍した40年代後半、カーメンの歌手としての活動はあまり目立たなかったというわけなのです。

そして53年になってようやく歌手としてレコード・デビューを果たしました。ベツレヘム・レコードを経て、54年からは名門デッカ・レコードに代表作の数々を吹き込み、58年にはキャップ・レーベルに移籍し、円熟の度合いを極めたアルバムを録音しています。本号では、彼女の絶頂期といわれたデッカ、キャップ時代の名盤から選りすぐった名唱を収録しています。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第14号「カーメン・マクレエ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

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