はじめに-喜多川歌麿とはどのような人物だったのか

繊細な筆致と構図で、江戸の女性たちの美を描き出した喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ)。現代でも多くの人に親しまれる美人画の大家として知られる存在ですが、その人生には知られざる波乱も潜んでいます。

本記事では、喜多川歌麿が生きた時代背景や代表作、美人画に込められた革新性、そして版元・蔦屋重三郎との深い関わりについてご紹介します。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、美人画で江戸に旋風を巻き起こした天才絵師(演:染谷将太)として描かれます。

喜多川歌麿

目次
はじめに-喜多川歌麿とはどのような人物だったのか
喜多川歌麿が生きた時代
喜多川歌麿の生涯と主な出来事
まとめ

喜多川歌麿が生きた時代

喜多川歌麿は、宝暦3年(1753)ごろに生まれ、文化3年(1806)に亡くなったとされる浮世絵師です。18世紀後半から19世紀初頭にかけては、江戸文化が花開いた時代。町人文化が成熟し、歌舞伎や黄表紙、浮世絵といった娯楽が庶民の間でも広く楽しまれていました。

一方で、寛政の改革(1787〜)など、風俗や出版物に対する締め付けも強まるなど、表現の自由には厳しい制限も課されていた時代です。

喜多川歌麿の生涯と主な出来事

喜多川歌麿は最高峰の浮世絵師ですが、未だ出生地・出生日は明確ではありません。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

鳥山石燕に学び、絵師としての道へ

歌麿は江戸で生まれたとされ、本姓は北川、幼名は市太郎です。のちに勇助あるいは勇記と改め、画号を豊章(とよあき)と名乗っていた時期もありました。

若くして町狩野派の絵師・鳥山石燕(とりやま・せきえん)に学び、絵師としての基礎を築きます。安永4年(1775)には、富本浄瑠璃正本(とみもとじょうるりしょうほん)『四十八手恋所訳(しじゅうはってこいのしょわけ)』の表紙絵を担当し、浮世絵師としての活動を本格的に開始しました。

蔦屋重三郎との出会いと狂歌絵本。次ページに続きます

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