『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第10号「エラ・フィッツジェラルドvol.2」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■黒人の声=ジャズの声

ジャズ・ヴォーカリストの代名詞的存在であるエラ・フィッツジェラルドは、人気・実力ともにトップ・スターの位置を長らく維持してきました。その理由は第2号「エラ・フィッツジェラルドvol.1」で詳しく解説しましたが、今回はちょっと視点を変え、彼女の魅力を「ジャズ史的観点」から探ってみましょう。

その第1は黒人であること。これはジャズという音楽が、アフリカン・アメリカンの間で自然発生的に誕生した音楽だという歴史的事実に由来するので、至極当然のことと思われます。実際インスト(器楽)・ジャズの分野でも、「ジャズの父」といわれた歌も歌う大トランペッター、ルイ・アームストロング(第5号)はじめ、ジャズ史を転換させた天才的アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーや、知名度抜群の名トランペッター、マイルス・デイヴィスなど、歴史に名を残したミュージシャンの大半は黒人でした。もちろん名ピアニストであるビル・エヴァンスなど、優れた白人ジャズマンも多数活躍しましたが、やはり黒人ミュージシャンに比べれば少数派だったのです。

ジャズ・ヴォーカルでも事情はほぼ同じなのですが、器楽演奏よりも積極的かつ具体的な理由があるのです。それは「声の質感」の問題です。トランペットやサックス、とりわけ一種の「機械」でもあるピアノは、「理屈の上では」黒人が演奏しても白人が演奏しても「同じ音」が出るはずです。それでも実際は微妙に音色が異なるのがジャズの面白いところなのですが、それはさておき、声は質感自体に明らかな黒人と白人の違いがあるようなのです。

一般的に黒人のほうが声帯が強靭なのか、腰が強く深みのある声が出せるのですね。で、こうした特徴のハッキリした黒人ならではの声質が、ジャズ・ヴォーカルではたいへんイメージ的に有利なのです。というのも、黒人に比べ、相対的に明るく軽やかな傾向のある白人の声質によるポピュラー・ソングとの「違い」が、声の質感だけで明確に出せるからです。それを裏返すと、白人がジャズを歌うと、それだけで「ポップスっぽく」聴こえてしまうのですね。

付け加えると、ある時代まで白人と黒人の聴く音楽は分かれていて、ジャズやブルースといった「黒人音楽」は、アメリカの多数派である白人層には届いていませんでした。アメリカ人の大多数は、歌といえば、白人歌手が歌うポピュラー・ソングしか耳にしていなかったのです。そこに届いたブラック・ミュージックは、声の質感自体が目新しいものだったのです。

■なぜ女性歌手が多いのか

エラがトップ・スターの地位を確保できた第2の理由は、ちょっと意外ですが、女性であること。この、ジャズ・ヴォーカルの場合、女性が有利である理由はけっこう「謎」でもあるのですね。

まずもってジャズ・ヴォーカリストは圧倒的に女性が多い。ちゃんとした統計をとったわけではありませんが、ポピュラー・シンガーの場合は、もう少し男女の比率が均衡しているように思えるのです。

ちょっと思いつくだけでも、白人シンガー、フランク・シナトラや、黒人ヴォーカリスト、ナット・キング・コールなど、白人・黒人を問わず、ジャズだけでなくポップスの分野でも大活躍した男性歌手はたくさんいましたよね。ロックの時代ともなれば、エルヴィス・プレスリーなど、人気男性ポップス歌手はいくらでも数え上げられます。そしてもちろん、女性ポピュラー・シンガーの数の多さに至っては、いちいち例を挙げるまでもないでしょう。

しかるにです、男性ジャズ・ヴォーカリストとなると、前出の大物ふたり(シナトラ、キング・コール)以外は、第23号に登場する白人ジャズ・ヴォーカリスト、メル・トーメ、第19号で採り上げる、やはりポピュラーの分野での評価が高いビング・クロスビーなど、ほんとうに数えるほどしかビッグ・ネームは存在しないのですね。

その理由はふたつほど考えられます。まずジャズ・ヴォーカリスト誕生の背景に、「ビッグ・バンド・シンガー」という存在が大きな役割を果たしていたこと。ビッグ・バンドの歴史を辿ると、1920年代にニューヨークのダンス・バンドが、「ジャズの父」ルイ・アームストロングの影響を受けて「ジャズ・バンド化」したのでした。そして30年代の「スイング時代」を迎えると、多くのビッグ・バンドが覇を争いましたが、彼らはバンドの「彩り」として専属の「バンド・シンガー」を雇うようになりました。ちなみに、白人男性歌手のトップ・スター、フランク・シナトラもまたバンド・シンガー出身です。

しかし多くのビッグ・バンドは、男性ではなく女性シンガーをバンド歌手に迎えました。率直にいって、「彩り」としての役割を考えると、お揃いのスーツを身にまとった男ばかりのビッグ・バンドには、華やかな衣装で着飾った女性シンガーのほうが見た目のバランスがいいのですね。そしてこの時代(30年代)、ジャズの中心はビッグ・バンドでした。つまり、ジャズ・ヴォーカリストの主たる「供給源」が「バンド・シンガー」であるならば、その役割に向いた女性歌手が有利という図式があったのです。実際エラは代表的バンド・シンガーといっていいでしょう。

もちろん、ジャズ・ヴォーカリストに異常といっていいほど女性歌手が多い理由はそれだけではありません。40年代半ばに興った新しいジャズ・スタイル“ビ・バップ”以降、ビッグ・バンドは経営的理由も手伝って縮小の方向に向かい、せいぜい6〜7人程度の小編成「スモール・コンボ」全盛の時代を迎えます。結果として、「バンド・シンガー」は独立して「クラブ・シンガー」に転進します。一概にはいえませんが、深夜から未明まで開かれているジャズ・クラブで「札びら」を切る殿方相手には、女性が有利というシンプルな「一般原理」が、ここでも働いたのではないでしょうか。前出のシナトラ、キング・コールといったひと握りの「実力派」以外、男性歌手はなかなか活躍の場がなかったようですね。

このように、ジャズ・ヴォーカリストという存在を「ジャズ史的視点」から観察してみると、いろいろと興味深い現象が浮かび上がってきますが、まさにエラはこうしたジャズ・ヴォーカリストの有利な「基本条件」を満たしているのです。しかしそれだけではエラ人気の理由は解明できません。もちろん彼女のずば抜けた歌唱力と聴衆とのコミュニケーション能力の高さが人気の最大の理由なのですが、それについては「vol.1」で詳しく解説したので、今回はもう少し違った方向から彼女の人気の秘密に迫ってみたいと思います。

それはプロデューサー、あるいはマネジメントの果たした役割です。エラは本来の歌唱力、聴衆に与える親近感といった個人的資質に加えて、その才能を伸ばす「助言者たち」に恵まれていたのです。

■ヒットのための視点

エラ・フィッツジェラルドはジャズにとって歴史的な1917年(大正6年)に、アメリカ東海岸ヴァージニア州に生まれました。この年はロシア革命の年ですが、ジャズ史的には「初めてのジャズ録音の年」として記憶されています。ちなみに来年2017年は「ジャズ100年」。

エラの父親はエラが誕生してまもなく母のもとを去り、母子家庭となった母は働き口を求めニューヨークに出てきますが、エラが14歳のとき母親は亡くなってしまいます。孤児となったエラは苦労の末、17歳のとき黒人文化のメッカ「アポロ劇場」のアマチュア・コンテストで優勝し、ジャズ・ヴォーカリストへの道を歩み始めました。

そして1930年代当時の人気バンド、チック・ウェッブ楽団のバンド歌手として幸先のよいスタートを切ります。「vol.1」でも触れましたが、このときの雇い主であるチック・ウェッブは、エラのプロ歌手としての「適性」を試すため、黒人音楽に縁のない白人学生の前で歌わせ、彼らの反応を探ったのでした。

もちろんエラは見事合格したのですが、このエピソードは面白い。つまりウェッブは、たんに音楽的観点だけでなく、バンドをプロデュースする立場から、「一般受け」するかどうかをチェックしているのです。まだ10代のエラにしてみれば、プロ歌手デビューの時点から、こうしたプロデューサー的視点の渦中に置かれていたことになるのですね。

■グランツとの出会い

その後チックが急死してしまい、1939年にわずか22歳でエラはチックのバンドを引き継ぐという大任を果たします。これはエラの人気もさることながら、彼女自身がたんに音楽的な事柄だけでなく、バンド・ビジネスというリアルな現場を仕切る能力=マネジメント力があったことを示しています。結局バンドは41年に解散の憂き目を見るのですが、それでも2年以上競争の激しい当時のビッグ・バンド業界で生き抜いたエラの力量は大したもの。

ソロ・シンガーとして独立したエラの人気は順調に高まり、52年にはアメリカのジャズ専門誌『ダウンビート』批評家投票、女性ヴォーカリスト部門で晴れてトップの座に躍り出たのです。そしてこの時期、彼女にとってきわめて重要な出会いが起こります。名プロデューサー、ノーマン・グランツが主宰する「J.A.T.P.」に本格的に参加しはじめたのですね。

「J.A.T.P.」とは「Jazz At The Philharmonic」 の略語で、白人の熱心なジャズ・ファン、ノーマン・グランツが、44年にクラシック専門の演奏会場「フィルハーモニック・オーディトリアム」でジャズのコンサートを開くという斬新な試みに始まります。この企画は見事当たり、その後定期的に開催されるようになったグランツ企画のコンサート・ツアーに、「J.A.T.P.コンサート」の名称が用いられることとなり、来日もしています(今号CDに当時の音源を収録)。抜け目のない興行主でもあったグランツは、多くのジャズマンを引き連れた公演を録音し、レコード会社に売り込みます。

そのうちグランツは自分でレコード会社を興し、何度かレーベル名を変えましたが、最終的にヴァーヴというレーベルに統一し、エラをはじめ多くのジャズ・ミュージシャンの録音を始めることとなるのです。ヴァーヴやブルーノートといったジャズ専門の小規模レコード会社は、多くの音楽ジャンルを抱えるコロンビアやキャピトルといった大会社とは違って、経営者自らがアルバム・プロデュース(制作)するケースが多いのです。ブルーノート・レーベルのオーナー・プロデューサー、アルフレッド・ライオンらが有名ですね。

そして「興行主」出身のグランツは、特定のお気に入りミュージシャンに対して、より親密な個人マネジャー的なスタンスで接したのです。その代表がエラと、幅広い人気で知られたピアニスト、オスカー・ピーターソンだったのです。歌とピアノの違いこそあれ、エラとピーターソンは似たところがあります。それは高度な音楽的レベルを保ちつつ、大衆的人気も確保していることですね。

グランツはそうしたタイプのミュージシャンが好きだったということもあるのでしょうが、彼らもまた、グランツの名プロデュースによって長所を生かされ、人気を維持してきたという面も少なからずあるのです。エラの人気も、グランツが彼女が本来もっていた大衆性をうまく生かした結果ともいえるのですね。

■スタンダードを歌う理由

グランツの作戦はじつに合理的で有効でした。それはエラに積極的にスタンダード・ナンバーを歌わせる戦略です。そもそもジャズの定番曲であるスタンダードは、もともとミュージカルの挿入曲や映画音楽であるケースが多く、つまりはポピュラー・ソングなのですね。ということは、アメリカの多数派である白人層も、すでに白人歌手が歌う「ポピュラー・ミュージックとして」知っており、耳馴染みがあるのですね。

グランツは「ジャズ」と「一般音楽ファン」を、新旧のスタンダード・ナンバーという「共通項」で結びつけたのです。今号「vol.2」では、そうしたグランツの戦略が見事エラをトップ・スターに押し上げる過程を中心に、選りすぐりの名唱で辿ってみました。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

※ エラ・フィッツジェラルド|圧倒的な歌唱力、抜群の安定感を聴かせる「女王」 

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※ 若き美空ひばりJAZZを歌う!今なお輝き続ける「昭和ジャズ歌」の個性

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