文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
富士急行は、JR中央本線の大月駅から河口湖までを結ぶ地方私鉄だ。いまは「富士山ビュー特急」や「富士登山電車」などの観光列車を走らせる、富士山麓のリゾート路線になっている。
駅舎好きから見ると、富士急行は雰囲気のいい木造駅舎が多い路線だ。古くから富士山はもとより、三つ峠や御坂への登山にも利用され、山小屋風の駅舎も点在している。
ところが下吉田駅は木造平屋ながら左右対称の「ビルディングスタイル」の駅舎として異彩を放ってきた。記録によると昭和25年(1950)に改築されたもので、当時の名古屋駅舎を模したデザインだという。
そんな下吉田駅は、大月方面から桂川に沿って登ってきた富士急行線が富士吉田の平原に出たところにあって、駅から市街地が続き、その先には姿の良い富士山が見えるという絶景の地だ。
観光色豊かな富士急行だが、下吉田駅舎が建てられた昭和20年代の中頃は、周辺の織物産業が隆盛を極め、機織機をガチャンと動かすだけで1万円稼げたという「ガチャマン景気」のさなかにあった。
想像すると、繊維産業の中核となる名古屋からバイヤーが大勢買付けにやってきたことから、田舎風だった駅舎を都会のビルディング形に改築したのだろう。
このように、ビル形建物を木造で建てることは戦後の地方駅舎で流行したようで、津軽五所川原駅(津軽鉄道、昭和31年)や、中央弘前駅(弘南鉄道大鰐線、昭和27年)などがいまも残っている。
そんな下吉田駅も、10年ほど前はかなりくたびれた駅になっていて、薄暗い待合室に売店があり、高齢のおばあちゃんが店番をしていたことを覚えている。
駅前には小さな噴水がちょろちょろと噴き上げ、時間が停まったような雰囲気の駅だった。
現在の下吉田駅は、平成21年(2009)、JR九州の車両デザインで知られる工業デザイナー水戸岡鋭治氏によってリニューアルされ、ビル形駅舎をモダンに生かした観光駅に変貌した。
縦長の明り取りを並べた玄関ホールにはモダンアート風な富士山の絵が掲げられ、吹き抜けていく風が改札口ののれんを揺らして行く。
駅舎正面左手の、かつては保線事務所だったところには、『下吉田倶楽部』というレトロなカフェもオープンした。
さらには構内のスペースを利用して、旧国鉄形14系寝台客車を展示する『ブルートレインテラス』や、富士急行の歴史的な貨車や車掌車を展示するミニ鉄道博物館も整備された。
その寝台車にはちゃっかり特急『富士』のテールマークも表示されている。
さて、この駅を訪ねたら、ぜひ1駅先の月江寺駅まで歩いてほしい。その途中には、敗戦後の復興期に全国からバイヤーが集まって商談後に繰り出した歓楽街が、なかば廃墟のように残っている。
そんな織物工場で働いた人たちが好んだ『吉田うどん』が地元の名物となり、下吉田駅周辺にもうどん店は多い。時代は移り駅舎も変わったが、ホームから眺める富士山の姿は今も変わらない。
【下吉田駅(富士急行大月線)】
ホーム1面2線の中間駅
所在地:山梨県富士吉田市新倉840
駅開業年月日:1929年(昭和4)6月19日
アクセス:新宿駅からJR特急利用で大月駅乗りかえ約2時間20分
写真・文/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。