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エラ・フィッツジェラルド|圧倒的な歌唱力、抜群の安定感を聴かせる「女王」 【ジャズ・ヴォーカル・コレクション02】

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文/後藤雅洋

■「ジャズ歌3人娘」の長女 

大物や優れた人たちを数え上げるとき、「三銃士」とか「3大美女」だとか、「3」という数字にこだわるのは洋の東西を問わずよくあることのようです。日本では「元祖3人娘」と呼ばれた美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみが有名ですが、彼女たちは日本ポップス創成期にそれぞれ個性的なジャズ・ヴォーカルを披露しており、本シリーズでも第6号で「昭和のジャズ・ヴォーカル」として紹介します

余談ですが、「3人娘といえば」と語りかけ、その返答によって世代がわかりますね。「伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり」といえば、およそ60歳代、「南沙織、小柳ルミ子、天地真理」なら50歳代とか……。

そして本場アメリカのジャズ3人娘といえば、「娘」というには少々貫禄がありすぎのようですが「エラ、サラ、カーメン」と称されたエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエの3大黒人女性ジャズ・ヴォーカリストたちでしょう。

ちょっと気になるのは、より大物感のある黒人女性ジャズ・ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイが入っていないことです。彼女は「三銃士」 に対するダルタニャンのような存在だったのでしょうか? いや、そのたとえは少々的外れなような気がいたします。ともあれ彼女は「別格」扱いなのですね。その正確な理由はわかりませんが、ホリデイは玄人好みというか、やはりポピュラーな人気においては「エラ、サラ、カーメン」だったのではないでしょうか。

そして今号の主人公、エラ・フィッツジェラルドが3人の最初に数えられているのはけっして偶然ではありません。最年長のせいもありますが、この順序は世間の評価にも沿っているのです。アメリカのジャズ専門誌『ダウンビート』批評家投票、女性ジャズ・ヴォーカリスト部門で、1952年から71年まで、連続20年間にわたって首位の地位を守り続けてきた圧倒的実績が、何よりもその事実を雄弁に物語っているでしょう。

ちなみに、この20年間はほぼ「モダン・ジャズの時代」に重なっているのですね。

■ベンツ+プジョー(?) 

彼女の人気の源泉は言うまでもなく圧倒的な歌唱力なのですが、やはり、そのいかにも気さくな風情の「オバサン体型」もひと役買っているような気がします。それは、創刊号で彼女と素敵なデュエットを披露した、ジャズ・ヴォーカルの開祖でもあるルイ・アームストロングの人懐っこい笑顔に通じる、外見的魅力です。

その印象どおり、何よりこのふたりの大物に共通するのは「安心感」なのですね。聴いて安心、観て安心。これは大きな美点です。安心感は安定感でもあり、長期間にわたってジャズ・ヴォーカルの女王として君臨しつづけたプロフェッショナル・エンターテイナーとしての実力においても、彼女は傑出しているのです。

歌手の本領である歌唱力に話を戻せば、エラの安定感は大排気量車の乗り心地に似ています。同じ時速100㎞で高速道路を走っていても、高級車で悠々とクルーズするのと、小型車でようやっと速度を維持している感覚の違いですね。エラの歌は絶対に破綻をみせません。そのさまは、イザとなったらグッとアクセルを踏み込み圧倒的加速と正確無比なハンドリングで窮地を抜け出す、ベンツの高級大型SUV(スポーティ4輪駆動車)といったところでしょうか。

たとえ話を続ければ、乗り心地の良さ=聴き心地の良さは、そのソフトでマイルドな声質になぞらえられるでしょう。黒人特有の腰の強さを維持したまま、けっして耳障りでないチャーミングな歌声は、エラの大きな美点です。そして湧き出るエンジンのトルク(回転力)に支えられた加速力は、まさに彼女ならではの豊かな声量です。エラはいつも目一杯ではなく8分目、いや6分目ぐらいで歌っても声量充分なのですね。その余裕の感覚が、聴き手には安定感として伝わってくるのです。

そして重厚かつ正確なハンドリングは、まさに歌唱テクニックの安定感に通じます。それはふつうにメロディを歌っても、またお得意のスキャットでも同じです。どんな山道のカーブだろうが、あるいは急に道端にタヌキ、イノシシの類が飛び出してこようが、スッとハンドル操作一発で姿勢も崩さず窮地を乗り切ることができるのが、エラのハイテクぶりなのですね。

戯れに自動車のたとえ話を続けてまいりましたが、一カ所だけ違うところがあるのです。それはエラの声の印象です。ドイツ製「ベンツ様」の重厚なイメージとは裏腹、彼女の声は(容貌とも裏腹で)可憐かつチャーミング。そこだけはフランス車、そうですね、プジョーのような軽快お洒落感が魅力なのです。

つまり気さくで安定感があり、しかし歌声は意外に可愛いとくれば、これは人気が出るのも当然なのではないでしょうか。

■わかりやすさの魅力 

そこのところを別の角度から観察してみると、エラの歌はジャズ・ヴォーカルの中でもずば抜けてわかりやすいのですね。実際私などもジャズを聴き始めたころ、最初に「ジャズ・ヴォーカルって面白いなあ」 と感じたのが、 彼女のスキャット・ヴォーカルでした。スキャットなのですから明らかにポップスとは違っていながら、けっして難解な印象がないのです。これは凄いことです。

ちなみに同じ「ビッグ3」のひとり、サラ・ヴォーンのスキャットと比べてみると、世代の違いもあるのですが(サラはエラより7歳年下)サラはよりモダン=ビ・バップ的。サラのデビューはスイング期とビ・バップの端境期(1940年代前半)で、他方エラはスイング時代(1930年代)にすでにジャズ歌手としてスタートしているのです。つまりエラのわかりやすさは、スイング・ミュージックの親しみやすさ、わかりやすさに通じるところがあるのですね。

もちろんエラだってビ・バップ以降はモダン唱法、つまりスキャットで自在にアドリブをとる歌い方を身につけますが、サラほど「実験的」なところまではいかないのです。もっともこの件に関しては「気質・性格」の違いもあるでしょう。

 ■「アポロ劇場」出身 

エラ・フィッツジェラルドは1917年にアメリカ東海岸バージニア州に生まれました。ちなみにこの年は初めてジャズのレコーディングが行なわれた年でもあり、来年2017年が100年目にあたるため、本シリーズも含めた「ジャズ100年」キャンペーンが行なわれているわけです。つまりエラはジャズ史的にたいへんエポック・メイキングな年に生まれており、そのエラが前述したように「モダン・ジャズの時代」にトップ・ジャズ・ヴォーカリストの地位を維持していたのは、何やら象徴的なことのような気がします。

エラの両親は彼女の生後間もなく別れてしまい、幼いエラは母親とともにニューヨークに出てきますが、彼女が14歳のとき母親が病死。彼女は孤児となってしまいます。当然生活に困窮し、さまざまな辛酸をなめることとなるのですが、よく知られたビリー・ホリデイの苦労話と並んで、この時代の黒人社会の暗黒面を見る思いがいたします。

そうした幼少期の貧困体験は、いやでも成人してからの処世に影響を与えるでしょう。しかしその表れ方は性格次第。エラの場合は、徹底したプロフェッショナル志向がのちの長期人気に繫がるのです。

そんなエラにチャンスが訪れました。17歳のときアポロ劇場主催のアマチュア・コンテストで優勝したのです。「アポロ劇場」というのは、ニューヨーク北部の黒人居住地区ハーレムにあり、黒人文化の拠点となった有名なコンサート・ホールです。その建物は現在もあり、私も訪れたことがあります。アポロ劇場では、アマチュアの登竜門のためのダンスや歌のコンテストを行なっているのですが、そこでエラは注目されたのです。

それがきっかけで35年にプロ・デビュー、しばらくしてそのころ人気のドラマー、チック・ウェッブが率いるバンドに入団するのですが、そのときのいきさつが面白い。

当時(30年代)のビッグ・バンドは専属歌手を雇っていることが多く、歌手の人気がバンドの人気を左右することも多かったのです。ですから人選も慎重にならざるをえません。ただ「巧い」というだけではダメなのです。チックはエラを、白人大学生の前で歌わせてみて反応を探ったのですね。もちろんエラはこの「コンテスト」にも合格。見事専属歌手の地位を得たのです。

このエピソードはエラの歌の特徴、そしてその後の彼女の活躍ぶりを予見させます。つまり特にジャズ・マニアではない、ごく普通のアメリカ人青年たちが聴いてもわかるのが、エラのジャズ・ヴォーカルの良さなのですね。

■「エラ楽団」のリーダー 

その美点はさっそく発揮されます。38年に、チック・ウェッブ楽団をバックにデッカ・レーベルに吹き込んだ曲「ア・ティスケット・ア・タスケット」が大ヒットしたのです。ところが肝心の雇い主、チック・ウェッブが39年に急死してしまいます。そこからが面白いのですが、「バンド解散」とはならず、人気のあるエラがバンドを引き継いだのでした。

エラはまだ22歳、彼女はたんに歌が巧いだけでなく、バンド・リーダーとしての資質というか、過酷なショー・ビジネスの世界でプロとして生きるという、たいへんな立場をこなしているのです。しかしやはりこれは短期リリーフとしての役割で、41年にバンドは解散、エラはソロ・ヴォーカリストとして独立し、スター歌手としての道を歩み始めます。

この年エラは最初の結婚をしますが、相手は名うての麻薬密売人。すぐに捕まってしまい結婚も解消。47年に名ベーシスト、レイ・ブラウンと2度目の結婚をしますが、この結婚も52年に破綻。どうやらエラは私生活には恵まれなかったようです。しかしその不遇感をバネとするかのように、エラの名声は高まります。

前述したように、52年には晴れて批評家投票でトップの地位を手に入れ、ヴァーヴ・レーベルを創立した名プロデューサー、ノーマン・グランツの主宰するコンサート・ツアー「J.A.T.P.」に参加し、53年には来日ツアーも行なっています。グランツとの良好なビジネス関係はその後も続き、55年にデッカ・レコードを離れたあとは、グランツ率いるヴァーヴ・レーベルに大量の録音を行ない、名実ともにナンバー・ワン歌手となっていきました。

■“スタンダード”の女王 

また、エラは1950年代から60年代にかけ、多くの「作曲家シリーズ」を録音しており、「スタンダード歌手」としてのエラの地位は確固たるものとなりました。なかでもアメリカを代表するスタンダード・メーカー、ジョージ・ガーシュウィンやコール・ポーターの名曲を取り上げたアルバムは、楽曲の良さを生かした彼女の優れた歌唱によって高い評価を得たのでした。

今号では、デッカの『エラ・シングス・ガーシュウィン』から「バット・ノット・フォー・ミー」と「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」の2曲を、そしてヴァーヴの『シングス・ザ・コール・ポーター・ソングブック』からは、ラテン・ナンバー「ビギン・ザ・ビギン」を収録しています。

エラのマネジャー的立場で彼女を育ててきたノーマン・グランツが、70年代に入って新たにパブロ・レーベルを設立すると、彼女はその重要なレコーディング・メンバーとなり、またもやグランツと二人三脚で素晴らしいアルバムの数々を世に送り出したのです。今号では1970年録音の、当時未発表だったアルバム『エラ・イン・ブダペスト』から名曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を、そして73年に録音した、ギターの名手ジョー・パスとのデュエット作品『テイク・ラヴ・イージー』から「ラッシュ・ライフ」を収録しています。

ところでエラといえば大観衆を前にしたライヴ盤が有名ですが、もちろんそれらも今号は収録しており、名盤『エラ・イン・ベルリン』から「風と共に去りぬ」、『エラ・アット・ジ・オペラ・ハウス』からは名曲「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」など、エラの魅力をあらゆる角度から照らし出しています。

晩年のエラは病魔に苦しめられ、20世紀末の96年に惜しくも亡くなってしまいましたが、彼女の心温まる歌声は、多くのヴォーカル・ファン、そしてジャズ・ファンたちから分け隔てなく愛されたのでした。歌としての親しみやすさと、ジャズの深みがわかりやすい形で融合したエラの歌声は、まさにジャズ・ヴォーカルの代表的存在といっていいでしょう。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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