『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第17号「ヘレン・メリル」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■“大人のジャズ”の声

ジャズを聴き始めて最初に好きになったジャズ・ヴォーカリストが、今回の主人公ヘレン・メリルでした。アルバムもよく覚えています。CD冒頭に紹介する「ホワッツ・ニュー」が収録された、『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』(エマーシー)です。ブルーに彩られた顔写真が印象的なジャケットもジャズっぽく、まだ10代の私は「大人の音楽」を聴いている気分になったものです。

それにしても、アンケートなどを見ると、同じようなご意見の年配ジャズ・ファンがずいぶんと多いのは興味深いことです。思うに、そのころ(1960年代)は今と違い、日本に紹介されるジャズ作品はまだまだ少なく、人気ジャズ・ヴォーカル盤といえば、このメリルのLPや、エラ・フィッツジェラルドの『エラ・イン・ベルリン』(ヴァーヴ/第2号に一部音源収録)など、入手しやすいアルバムはわりあい限られていました。ですから、自然と似た体験をおもちの方が多いのかな、などとも思います。

しかし、それだけが理由ではないでしょう。そのあたりを想像しつつ、ヘレン・メリルの魅力・聴きどころを探っていこうと思います。

話の糸口として、たまたま挙げたエラの作品との比較から話を始めたいと思います。というのも、この2枚はジャズ・アルバム購入ガイドには必ず掲載されている定番作品であり、私自身、彼女たちの歌声からジャズ・ヴォーカルの世界に入門したのでした。

偶然ですが、この2枚はいろいろな点で対照的です。エラは黒人女性ジャズ・ヴォーカルの代表選手。そしてメリルは、日本でもっとも人気のある白人女性ジャズ・ヴォーカリストです。

キャラクターも両極端。エラが陽気でリズミカル、そしてエネルギッシュなジャズを代表しているとしたら、メリルのハスキーな歌声は、ちょっとダークで陰影のある大人のジャズをイメージさせますよね。というか、私たちが「ジャズ」に抱く印象って、まさにこのふたつが合わさったものではないでしょうか。

インスト(器楽)・ジャズなら、陽性ジャズの代表は大きな目玉をくりくりさせた人気者、サッチモこと歴史的大トランペッター、ルイ・アームストロングでしょう。彼は「ジャズ・ヴォーカル」の元祖でもあります。そういえば、エラはサッチモとデュエットしていましたね(創刊号CDに収録)。そして、彼と対をなす名トランペッター、マイルス・デイヴィスは、さしずめ「ブルーなジャズ」、つまり繊細で陰影感のある大人の音楽を象徴しているといえるでしょう。私たちは彼らの音楽を通して、「ジャズ」という音楽のザックリとしたイメージを受け取ってきたのです。

他方、ジャズ・ヴォーカルでは、楽器より感情表現が得意な「声」、そして「歌詞」に込められたさまざまな情感で、よりわかりやすく歌い手のキャラクターを伝えることができます。そういう意味では、エラもメリルも「陽性」や「ブルーな気分」といったイメージ喚起の仕方がじつにうまい。

■誤訳を生んだ説得力

ひとつ例を挙げてみましょう。ヘレン・メリルの名唱として知られる「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」(『ジャズ100年』第7号に収録)をめぐるエピソードです。この楽曲は昔は「帰ってくれたら嬉しいわ」という邦題で知られていましたが、近ごろではこれが「誤訳」であることが周知され、長くて表記するのが面倒であるにもかかわらず、英語タイトルがそのままカタカナ化されるケースが多いですね。

以下は私の若干妄想めいた想像ですが、この「誤訳」にメリルはひと役買っていたのではないか……という話です。順序だてて説明しましょう。

コール・ポーター作詞・作曲によるこの楽曲の歌詞を見てみると、「君が待っている家に帰れたら、僕はどんなに素敵だろう」というもので、どちらかというと男性が歌う内容なのですね。また、1943年にミュージカル映画『サムシング・トゥ・シャウト・アバウト』のために発表されたこの楽曲が、じつは不人気だった映画とは関係なく、その後にヒットした背景も知っておくべきでしょう。当時は第2次世界大戦の真っ最中、太平洋の島々など遠く離れた戦地で戦うアメリカ兵たちの間で、この歌が故郷で待っている彼女や家族への彼らの思いを代弁しているように感じられたのですね。

ジャズ・ヴォーカルでは、この楽曲のようにミュージカルや映画の挿入曲を歌うケースが多々あります。一例を挙げれば前述の『エラ・イン・ベルリン』収録の人気曲で、アルバムのサブタイトルにもなっている「マック・ザ・ナイフ」(第6号に弘田三枝子、第10号にエラの別ヴァージョン収録)は、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』の挿入曲で、作曲はクルト・ワイル。この楽曲は「モリタート」の別名で、テナー・サックス奏者ソニー・ロリンズの有名盤『サキソフォン・コロッサス』(プレスティッジ)での名演が知られていますね。

舞台・映画では特定の歌手・役者が筋書きに合わせて歌うので、楽曲とそれを歌う人物の性別は特定されます。しかし、それじゃああまりに窮屈なので、ジャズ・ヴォーカリストが歌うときは、自在に男女の役柄を入れ替えて歌うのが、アメリカでは当たり前。歌詞もあるので、アメリカ人には「設定変更」もわかりやすいでしょうね。しかしそうした「慣習」に敏感でない私たちは、そのニュアンス、機微を誤解しがち。

私自身を含め、あまり英語の文法が得意でないファンは(そして当時の邦題翻訳者も)、歌詞の意味を取り違え、家で彼氏なり夫の帰りを待っている女性の歌だと思い込んでしまったのでした。そしてメリルです。彼女はもちろん「設定」として歌っているのですが、そのあまりの真に迫った気持ちのこもりようで、ファンはてっきり「待つ女の歌」(歌謡曲の定番ですね!)と信じ込んでしまったのですね。これが仮に、もう少しクールというか「諧謔味」を感じさせる歌手、たとえば第12号で紹介した同じ白人女性歌手、アニタ・オデイが歌ったとしたら、いささか違った反応もあったような気がするのです。

そう、この邦題は誤訳には違いないのですが、ある意味、メリルの名唱が招いた「名誤訳」と言いうるのかもしれません。そしてこの圧倒的な「情感のこもり方」は、この「男女取り違え楽曲」に限らず、どんな歌であっても、メリルならではの強力な特性・個性なのです。

■“日本人好み”の魅力

次いで2番目のメリルの特徴・聴きどころの話に移りましょう。それはメリルが「日本人好みの歌手」であるという重要なポイントです。率直にいって、彼女のアメリカでの評価より、日本での人気のほうがはるかに高いのですね。

ところでこの話を始める前に、大切な点に触れておきましょう。それは「日本人好み」という言い方に対する偏見です。つまり「日本人好み」を裏返せば、「アメリカでのそれほどでもない評価」となり、だから「ダメ」という短絡的な発想です。そこには「本場の評価が正しいに決まっている」という抜きがたい先入観がありませんか? しかし世の中には、あまりに身近な存在のために見逃していた価値や、自分たちがわからなかった新たな価値観を、違う文化圏の人たちが見いだすことって、ずいぶんたくさんあるのです。

立場をひっくり返し、日本が「本場」であるものを考えてみればわかりやすいでしょう。たとえば「小津(安二郎)映画」など、一時は「古い」と思われていた作品が、ヨーロッパでの評価によって再び脚光を浴びた例や、最近では「オタク文化」という狭い枠に閉じ込められていたアニメが、海外での高い評判で日本政府肝煎りの「文化戦略」という位置づけを得るまでになったことなど、枚挙にいとまがありません。ですから、「日本人好み」を一概に「ローカルな価値」と決めつけず、「アメリカ人が見逃した長所」という視点で捉え直してみましょう。

■ウェットな日本的情緒性

ヘレン・メリルの感情表現は先ほど「歌謡曲」という喩えを持ち出しましたが、一種の「湿り気」があるのですね。これが「日本人好み」に通じるのですが、万事「ドライ」なアメリカ人には、この日本特有の「情緒性」はわかりにくいでしょう。第6号「昭和のジャズ・ヴォーカルvol.1」でも詳しく触れましたが、日本的なもの、歌謡曲的な表現をネガティヴに評価しがちな1960年代の洋楽ファンは、無意識のうちに「洋楽コンプレックス」に陥っていたのですね。

「気持ちのありよう」は万国共通ですが、その「表し方」には当然「お国柄」が表れます。世界じゅうからの移民でできあがった「アメリカ合衆国」では、感情表現も万事大げさにしなければ通じません。両手を広げてアピールするジェスチャーなど、その代表ですよね。その点「島国日本」なら、ちょっとした「しぐさ・眼差し」で意志の疎通ができる半面「大げさ」は嫌われがち。つまり「ドライで大げさ」の反対が「ウェットで控え目」。まあ、「待つ女」というイメージはいかにも時代を感じさせ、現代では通用しませんが、しっとりとした情感の好ましさは今でも私たち日本のファンの心を打つのです。

■ニューヨークのため息

それではいよいよ彼女の魅力をより具体的に探っていきましょう。何よりそれは彼女ならではの「ハスキー・ヴォイス」です。「ニューヨークのため息」などという、よく考えてみると意味不明ながら、圧倒的イメージ喚起力のあるキャッチ・フレーズは、まさにメリルのキャラクターにピッタリ。

「ハスキー」とはしゃがれ声のことですから、本来なら「なめらかな美声」をよしとする歌手には不向き。しかし「ジャズ」という音楽特有の価値観を思い出してみましょう。それは「個性の魅力的発現」でしたよね。だとすればクラシック音楽の発声法のように、「一定の美的基準」がある音楽ジャンルと同じに考える必要はないのです。ヘレン・メリルは、彼女ならではの聴き手の心に突き刺さるハスキー・ヴォイスで、なめらかな美声では絶対に表現できない深い情感を、きわめて適切に聴き手に伝えているのです。

その「深い情感」を思いきり大胆に要約すると「切ない女心」といえるのではないでしょうか。こうした「感情表現」はメリルの独壇場。いや、よく考えてみると大先輩がいました。カリスマ的ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイの声だって、けっして単純な美声ではありませんでしたね。また、元祖ハスキー・ヴォイスといえば、こちらは白人歌手の大先輩、アニタ・オデイにとどめを刺すでしょう。

では彼女たちのハスキー・ヴォイスとメリルの違いを「感情表現」のありように的を絞ってみてみましょう。まずホリデイの場合は「ハスキー」というより、黒人女性ならではの「腰の強い声質」なのですが、それでも「アンチ美声」という点では似ているともいえましょう。しかしホリデイの感情表現はけっして「没入的」ではなく、自分自身の「感情の流れ」自体を外から眺めているような、一種の「醒めた眼差し」が感じられ、それが独特の「凄み」に通じています。他方メリルはもっとストレート。それだけに、「わかりやすい感情表現」といえます。しかしメリルは白人ながら、ホリデイの歌唱法の影響を受けていることは間違いないでしょう。そういう意味では、メリルはジャズ・ヴォーカルの正統な後継者なのです。

アニタの場合は前にも書きましたが、同じハスキー・ヴォイスであっても、そこに込められた気分はもっとドライでクール。そしてちょっと皮肉っぽい要素が含まれています。他方メリルの「ため息」はかなり湿度を帯びており、きわめて情緒的。ちなみに彼女の誕生日は7月21日。これは占星術でいうところの「かに座」で、「水の宮」に属しています。性格は「感じやすく情緒的」って、まさに彼女の歌唱の特徴そのものじゃないですか!

■メリルと日本の深い縁

ヘレン・メリルは1930年(昭和5年)にニューヨークで生まれました。これまで本シリーズに登場した女性ヴォーカリストたちの生年と比べてみると、ビリー・ホリデイは15年、エラ・フィッツジェラルドは17年、アニタ・オデイが19年で、メリルは完全に一世代下になります。

両親は旧ユーゴスラビアからの移民(クロアチア人)で、そういう意味ではメリルの感覚は、同じ白人でもいかにもアメリカ人的なアニタに比べると、ヨーロッパ的といえるかもしれません。少女時代からニューヨークのブロンクス地区のジャズ・クラブで歌うようになり、1940年代後半はビッグ・バンドのバンド歌手となります。

48年にクラリネット奏者アーロン・サクスと結婚し、一時期ジャズ・シーンの第一線から退きますが、54年に、今回収録した「ホワッツ・ニュー」を含む初リーダー作『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を録音し、一躍ファンの脚光を浴びることとなります。サクスとは56年に離婚しますが、ふたりの間にできた子供がアラン・メリルで、彼はシンガー・ソング・ライターとして活動しています。

60年には初めての日本公演を行ない、63年にも日本を訪れました。その後UPI通信のアジア総局長ドナルド・ブライドンと結婚し、67年に夫の赴任先である日本に移住しました。これを機に多くの日本人ミュージシャンと共演し、日本でアルバムも制作しています。こうした縁もあって、彼女は大の日本びいき。72年に日本を離れますが、日本での人気もこうした要素が少なからず力になっています。

彼女はプロデューサーとしても活動し、優れた作品を制作していることは特筆しておくべきでしょう。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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