『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第11号「フランク・シナトラvol.2」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■「ジャズ純血主義」の偏狭

一時期、コアなジャズ・ファンの間で、「フランク・シナトラはジャズ・ヴォーカリストなのか、あるいはポピュラー・シンガーなのか?」という議論が起こったことがあります。マニアではない音楽ファンにとってはあまり関心のわかない話題かもしれませんが、この議論の背景を探っていくと、ジャズ・ファン特有の興味深い深層心理が浮かび上がってくると同時に、「ジャズ・ヴォーカル」というちょっと変わった歌のジャンルの特徴も、よりわかりやすくなろうかと思うのです。

ひと昔前、そうですね、1960年代末から70年代にかけて、年季の入ったジャズ・ファンの間で「これはジャズではない」という言い方が流行ったことがありました。文字どおり受け取れば、「バッハはジャズではない」も「ビートルズはジャズではない」も、まあそのとおりですから特に問題にすることもないでしょう。しかしこれが当時のマニアの口から囁かれるとき、もっと別の意味があったのです。

それは「ジャズではないからよくない音楽だ」という「裏の意味」です。現代の感覚からするとちょっと極端な発想ですが、実際そのころは一部とはいえ、そうした風潮があったのです。もっとも、こうした言い方をする方々にも「程度の差」がありました。それは、「ジャズっぽい音楽」に潜む「非ジャズ的要素」に違和感を感じるタイプと、文字どおりクラシック音楽やロック・ミュージックを否定する方々ですね。

後者は今では考えられませんが、そのころは、公言せずとも内心そう思っているコアすぎるジャズ・ファンは私のまわりにもかなりいました。まあこれは「趣味の問題」ですからあまり掘り下げる必要もないでしょう。問題は前者、つまり「ロック風ジャズ」や「ポピュラーっぽいジャズ」に含まれる「ロック風味」や「ポップス調」を「不純物」として否定する気持ちですね。

こうした気分は「同感」ということではありませんが、わからないでもありません。というのも、ちょうどそのころ、のちに「フュージョン」と呼ばれるようになった音楽ジャンルが大流行し、一部のジャズ・ファンはフュージョンを「ジャズの堕落」として毛嫌いしたのですね。「フュージョン」とは、いろいろな要素が混ざることですから、「ロック風ジャズ」だったりあるいは「クラシック調ジャズ」というように、ジャズとジャズ以外の音楽ジャンルとの融合音楽といっていいでしょう。

つまりこうした新音楽ジャンルに対する忌避感が、「ジャズ純血主義」とでもいうような風潮を生み出し、「これはジャズではない(だからよくない)」ということになったのでしょう。ちょっと前置きが長くなりましたが、冒頭の「シナトラはジャズかポピュラーか」という議論も、背景にはこうした「ジャズ純血主義」的発想があったのは間違いないでしょう。

■「日本の洋食」は洋食か?

しかしこうした発想は、肝心のジャズ自体の歴史をあまりよく知らないから起こるのですね。ジャズはもともとさまざまな音楽ジャンルが融合してできた「混交音楽」です。19世紀末、ニューオルリンズの街角に流れていたラテン・ミュージックや、多様な移民たちがヨーロッパから持ち込んだフォーク・ソングを聴いていた黒人たちが(そこにアフリカ直系の音楽はありませんでした)、それらを「自分流」に味付けした新音楽がジャズだったのです。

ちょっと話が脇道に逸れますが、「日本的」と呼ばれる現象にも似たところがありますね。いい例が「日本の洋食」ではないでしょうか。てんぷらやトンカツは西洋由来の料理ですが、もはや「本場もの」とはまったく違ったものとなっていながら、それなりに美味しいじゃないですか。考えてみたらみなさん大好きなカレーなんかもそうですよね。私も大好きです。

「日本文化」の強みはどんな外来種のものでも、それを巧みに「日本化」してしまうところにあるのではないでしょうか。ジャズもまったく同じで、ラテンだろうがフォークだろうが、果てはクラシック音楽でさえも「ジャズ」にしてしまう、とんでもない同化パワーがあるのですね。という前置きで冒頭の話題に戻ると、そもそもジャズとポピュラーを完全に区別できるという発想自体に、無理があるのです。そしてそれがとりわけ顕著なのが、ヴォーカルのジャンルなのです。

■曲目とジャンルは無関係

というのも、今回のシリーズで紹介してきたさまざまな歌曲ですが、ざっくり見積もっても、およそ3分の2がいわゆるスタンダード・ナンバーなのですね。「スタンダード」とは、多くのミュージシャン、ヴォーカリストが「繰り返し採り上げ」ることによって「定番化」した楽曲のことを指し、その多くはブロードウェイ・ミュージカルや映画の主題歌なのです。つまりジャズ・ヴォーカリストが歌う楽曲の大半は、もともとがポピュラー・ソングなのですね。

ですから、歌う曲目によってジャズ・ヴォーカリストかポピュラー・シンガーなのか区別することはできないのです。では、どこが判断基準となるのでしょうか。これは器楽ジャズと同じで、「演奏の仕方・歌い方」で両者は区別されているのです。ところで器楽ジャズの場合は、リズムやらアドリブといったわかりやすい「判別項目」があるので、わりあい両者の境目がハッキリしているのですね。ですから、いくら大衆的人気があっても「オスカー・ピーターソンはジャズ・ピアニストかポピュラー・ピアニストか?」などという議論は出てきません。

しかし歌の場合は、明確にスキャットなどをしない限り、ポピュラー・シンガーの歌い方とジャズ・ヴォーカリストの歌い方の「違い」を、明確な言葉で説明することは難しいのです。つまり両者の中間地帯、いってみれば「グレー・ゾーン」の幅が、器楽ジャズとは比べものにならないほど広いのです。ですから「ニュアンス」とか「フィーリング」といった、きわめて曖昧な表現でしか両者の違いを説明できないのですね。

困難はそればかりではありません。肝心の歌い手さん自身が、両者の境目を自由に行き来してしまうのです。第6号で紹介した、日本が誇る国民的歌手、美空ひばりもそうでしたよね。そしてそのどちらでも大成功した歌手の代表選手が、フランク・シナトラだったのです。といった前提を踏まえた上で最初の議論の答えを出すと、「フランク・シナトラは優れたジャズ・ヴォーカリストであると同時に、ポピュラー・シンガーとしても大成功した稀有な歌い手である」ということになろうかと思います。しかしその順序はハッキリしています。

■「ジャズ出身」の意味

シナトラはまずジャズの世界で大きな評価を受け、ジャズ・ヴォーカリストならではの歌唱力を基礎にして、しだいにポピュラー・ミュージックの分野でも頭角を現していったのです。これは第9号に登場したナット・キング・コールと同じパターンといっていいでしょう。ちなみに、美空ひばりはその逆、歌謡曲からジャズですよね。つまりシナトラにしろキング・コールにしろ、土台にジャズ的素養があって、そこからまたポピュラーな表現へと戻っていったのですね。「戻って」の意味は、先ほど説明したように、多くのジャズ歌曲は、もともとポピュラー・ソングだったという歴史的経緯を踏まえています。

思うにこれは「強み」といっていいのではないでしょうか。というのも、楽曲の魅力を重要な表現要素とするポピュラー・シンガーと、歌い手の個性発揮を目的とするジャズ・ヴォーカリスト両者の、「いいとこ取り」ができるからです。

ポピュラー・シンガーは「ヒット曲」に支えられてデビューするケースが多いのですが、ジャズ・ヴォーカリストは「既成曲」で勝負しなければなりません。つまり、いくらでもあるスタンダード・ナンバーで自己表現できる強みがある半面、ある意味で万人向けであるスタンダード=定番曲を、「自分の歌」にまで高める「力業」が必要とされるのです。

しかしそれができるだけの歌唱力・表現力があるシナトラは、歌の魅力を自分の魅力に引き込むことで、圧倒的な説得力・存在感を発揮しているのですね。

■憧れのビング・クロスビー

フランシス・アルバート・シナトラは、1915年(大正4年)にニューヨークにほど近いニュージャージー州ホーボーケンという町で生まれました。両親はイタリアからの移民です。アメリカでは最初にイギリスからやって来たピューリタン=清教徒(新教の一部)たちに続いて、ヨーロッパ各地から宗教上の理由や経済的目的で多くの移民たちが新大陸に渡ってきましたが、旧教徒カトリックが多いイタリア系移民は、比較的後発組なのです。

どんな世界でも「後発組」はないがしろにされがちで、シナトラとの関係が取り沙汰されるイタリアン・マフィアも、当初は弱者集団ゆえの互助組織的意味合いもあったようです。ちなみに白人ジャズ関係者(ミュージシャン、作曲家など)の多くは、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ系移民(ベニー・グッドマンもユダヤ系)で、イタリア系はそれに次ぐ人材をジャズ界に供給しています。ヴォーカル界ではトニー・ベネットが有名ですね。インスト(器楽)・ジャズでは、なんといっても“ウエスト・コースト・ジャズ”のスター、アルト・サックス奏者、アート・ペッパーが代表でしょう。

シナトラはラジオから流れる当時の大スター、ビング・クロスビー(第19号で紹介予定)に魅了され、歌手の道を歩み始めます。まずはラジオの「のど自慢大会」で認められ、同じのど自慢大会の合格者たちと、地元の名前を取った「ホーボーケン・フォア」という4人組チームを組んでプロ・デビューしますが、これはありがちな「路線対立」ですぐに解散してしまいます。

しばし不遇をかこっていた若きシナトラにチャンスが訪れます。1930年代に一世を風靡した人気スイング・バンド、ベニー・グッドマン楽団の人気トランペッターだったハリー・ジェイムスが創設した新楽団のバンド歌手にスカウトされたのです。つまりシナトラは「ジャズ歌手」としてシーンに登場しているのですね。ただここで注意していただきたいのは、当時のジャズ・スタイルは、40年代半ばに起こったリズミカルで即興性を重視した“ビ・バップ”=モダン・ジャズとは違い、どちらかというと穏やかでメロー。つまり現代の感覚からすれば、相対的にポピュラー・ミュージック寄りのわかりやすいサウンドだった、といえるかもしれません。

ともあれ、バンド歌手としてデビューしたシナトラはめきめき頭角を現し、1941年には音楽業界誌『ビルボード』の学生人気投票で男性バンド・シンガー部門のトップに選ばれます。それだけではなく、ジャズ専門誌である『ダウンビート』でも、目標とした大歌手ビング・クロスビーを追い抜き、見事男性シンガー部門のトップに躍り出たのです!

そして翌42年、問題の「パラマウント劇場事件」が起こります。それまでビッグ・バンドの「添え物」的存在だったバンド歌手シナトラの登場に、興奮した観衆が椅子の上に乗り上がって熱狂する「事件」が起こったのです。この瞬間、シナトラは多くの「バンド歌手」から一頭地を抜いた、「ソロ・シンガー」の道を歩み始めたのです。ちなみにそのときのバック・バンドは、30年代に世界じゅうを歓喜させたスイング王、ベニー・グッドマン楽団だったのです!

■出発点はスタンダード

以後シナトラは声が出なくなるなど幾多の苦難を乗り越え、映画出演、映画製作、そして一流クラブでのワンマン・ショウ、世界ツアーの大成功と、多くのシナトラ・ファンが知る世界のトップ・スターへの道を駆け上るのですが、そのスタート地点には、「ジャズ」があったのです。彼のスター街道への過程を俯瞰してみると、明らかに「ジャズからポピュラーへ」の緩やかな転換がみられるのですね。

今回の「フランク・シナトラvol.2」では、彼のスタート地点である、ジャズ歌手としてのスタンスが明瞭に表れた名唱の数々を紹介します。

そしてそれは必然的に「ジャズ・スタンダード名唱集」となっているのです。多くの歌手が採り上げているところから、いやでも「比べられ」てしまうスタンダード・ナンバーで、曲想を生かし、それと同時に、それこそ椅子に乗り上げて声援を送らせたシナトラならではの強烈な存在感が、のちのスーパー・スター、シナトラの確固たる基礎となっていることを実感してください。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第11号「ランク・シナトラvol.2」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

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