ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第23号「メル・トーメ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

メル・トーメは、白人男性ジャズ・ヴォーカリストを代表する大歌手です。彼はジャジーなテイスト、歌唱力においてナンバー・ワンの実力を誇っているといっていいでしょう。

こう書くと、おそらくこのシリーズを購読されてきた読者のみなさんからは、「それじゃあ、ビング・クロスビーはどうなんだ?」あるいは「フランク・シナトラと比べてどっちが上なの?」といった当然の疑問が出てくることと思います。ですから、まずはこのあたりの疑問に対してお答えするところから、今回の話を始めてみたいと思います。

第19号「ビング・クロスビー」で解説しましたが、1903年(明治36年)生まれのビングが歌手としてデビューしたのは、1940年代半ばに始まるアドリブ中心主義の“モダン・ジャズ”以前でした。

ビングが最初に所属した、スイートなサウンドで知られたポール・ホワイトマン楽団など、“スイング・ジャズ”時代の人気ジャズ・バンドは、現在のジャズほどポピュラー・ミュージックの世界とかけ離れてはいなかったのです。ですからビングは、ジャズ・シンガーを出発点として、ポピュラー・ファンをも含む、より幅広いファン層に支持された「アメリカの国民的歌手」となれたのです。

それに対し、詳しくは後述しますが、最後まで「ジャズ1本」で勝負したトーメは、そもそも歌手としての立ち位置自体が、ビングとは微妙に異なっているのですね。ですから、どちらも大歌手ですが、ビングとトーメを「同じ土俵」で比較してみても、あまり意味がないのです。

そして、第4号「フランク・シナトラ」、および第11号「フランク・シナトラvol.2」で紹介したように、1915年(大正4年)生まれのシナトラは、いろいろな点でビングの辿った道を踏襲しているのです。

シナトラもビングと同じように、ハリー・ジェイムス、トミー・ドーシーといった一流スイング・バンドの「バンド・シンガー」としてデビューし、独立後は少しずつポピュラー・ミュージック寄りの聴衆をもファンに組み込むことで、やはりアメリカを代表する大歌手としての地位を勝ち取っているのです。ですから、やはりシナトラとトーメは「同じ土俵で戦う歌手同士」とは言いがたい面があるのですね。

ここでいう「土俵」は、別の言い方をすれば「聴衆層」ということでしょう。ビング、シナトラの聴き手はごく普通の「歌好きの人たち」ですが、他方トーメの支持層は、「ジャズ・ヴォーカル・ファン」なのです。

ジャズ・ヴォーカル・ファンは間違いなく歌が大好きですが、歌好きの方がジャズ・ヴォーカルをも好むかは一概にはいえませんよね。つまりビングやシナトラは、より広範なマス聴衆層の嗜好をターゲットにして歌っているのです。これは大変なことですよね。

他方、ポップスやロック、そして日本なら歌謡曲ファンなど、歌が好きな人たちの中の、ごく一部である「ジャズ・ヴォーカル・ファン」を満足させるのは、別の意味でものすごく大変なのです。というのも、絶対数では明らかにポピュラー・ファンより少数派であるジャズ・ヴォーカル・マニアは、率直にいって「うるさ型」が多いのですね。よくいえば、「耳が肥えて」いる人たちが多いのです。

彼らはヒット曲や外見だけで歌手の実力を判断したりはしません。映画などで大衆的な人気を得ても、「それとこれとは別」といったクールな視点をもっているのです。

結論をいうと、ビングもシナトラもトーメも、みな偉大な歌手ですが、ビングやシナトラの立場の「大変さ」と、トーメの歌手としての「大変さ」の中身は、微妙に違っているということになるでしょう。

具体的に指摘すれば、「歌唱技術」という点では、シナトラとトーメはまさに「甲乙つけがたい」のですが、「ジャジーなテイスト」ということでは、明らかにトーメに軍配が上がるのですね。ただ、これはシナトラの「力量不足」を意味するものではなく、ふたりが担う「聴衆層」の違いを反映しているにすぎません。

別の言い方をすれば、ふたりの歌手は「表現の狙い・目的」が微妙に異なっているということなのです。

■技術でジャズの味を表現

ということで、メル・トーメが白人男性ジャズ・ヴォーカリスト・ナンバー・ワンである理由は、冒頭に挙げた「ジャジーなテイスト」にあることがおわかりいただけたかと思います。

しかし今度は新たなテーマが浮かび上がってきましたね。「ジャジーなテイスト」って、なんとなく気分はわかるのですが、具体的な中身をいおうとすると、けっこう曖昧。これが器楽演奏であれば、「ジャズ特有のリズム」とか「アドリブの有無」など、もう少し客観的な要素を挙げられるのですが、「歌一般」と「ジャズ・ヴォーカル」の境目の、白か黒かの間に広がる「グレーゾーン」は、器楽演奏より幅広いのです。

まず、器楽演奏のアドリブに相当するのがスキャットだと思いますが、アドリブなしの器楽ジャズはきわめてまれです。でもスキャットなしのジャズ・ヴォーカルは大御所ビリー・ホリデイはじめ、いくらでもあるのです。

そしてここに、ヴォーカルならではの本質的問題が浮上します。それは黒人と白人の声質の違いです。イメージの問題もあるのでしょうが、男女を問わず、黒人特有のコシが強く深みのある声質は、それだけで当然ですが「黒っぽく」、否応もなくブラック・ミュージックならではのテイストが醸しだされるのですね。

他方、相対的に軽やかで薄味な白人の声質は、クセがないので誰にでも比較的抵抗感なく受け入れられる半面、ジャズっぽくするにはそれ相応の工夫がいるのです。ホリデイはもちろん極め付きの歌唱技術の持ち主ですが、あまりジャズ・ヴォーカルに親しんだことのない方でも、彼女の歌に「ジャズ」を感じる理由は、間違いなく彼女の黒人ならではのちょっとエグ味を感じさせるダークな声質のせいといっていいでしょう。

そこでトーメです。彼は「ベルベットの霧」などと形容されるソフトで好ましい声質をもっていますが、それ自体はとくにジャズ的ということはなく、他の一流ポピュラー・シンガーたちの美声と決定的に違っているわけではありません。ですから彼は、圧倒的な歌唱技術でジャズ的な味わいを醸しだしているのです。

■ジャズの魅力は「粋」

さてここで、あらためて「ジャズ的」「ジャジー」という形容の中身を点検してみましょう。

ジャズは19世紀末に生まれたときから、黒人ならではの身体に染み付いた柔軟なフィーリングと、トランペット、ピアノなど西洋楽器を使用することによる「平均律」などのヨーロッパ音楽の要素が、うまい具合に融合した「混交音楽」です。ですから「ジャジー」の中身も、黒人社会由来のものから白人文化経由のものまで、じつに多様ですが、いくつかの基本類型を挙げることができます。

その代表的な二分法を私たち日本人の言葉にすると、「粋か野暮か」なのですね。黒っぽくあれ、白人的であれ、とにかく「野暮なジャズ」はいけません。これを別の言葉に置き換えると、「都会的かどうか」といっていいでしょう。

ジャズはその発祥の地といわれる港湾都市ニューオルリンズにしろ、経由地とされるシカゴにしても、そしてジャズのメッカ、ニューヨークは言うまでもなく「大都会」です。また、「粋」をもっとわかりやすい言葉に置き換えれば、「お洒落」が近いのではないでしょうか。

ジャズを代表するトランペッター、マイルス・デイヴィスにしろ、ジャズ界のドンであるバンド・リーダー、デューク・エリントンにしても、めちゃくちゃお洒落ですよね。つまり「お洒落で都会的な音楽」がジャズなのです。これが多様な「ジャズ的・ジャジー」の要約された中身といっていいでしょう。

と長々と前置きをしてきましたが、まさにメル・トーメの歌の特徴こそが「お洒落で都会的」なのです。トーメの抜群の歌唱技術は、この「粋で洗練されたテイスト」を表現するために研鑽されてきたといっても過言ではないでしょう。そしてその背景には、彼が幼少期から世界一とされる「アメリカン・ショー・ビジネス」の世界に身を置いていたことが挙げられると思います。

具体的に指摘すれば、楽曲の旋律を微妙にずらし、崩すことによって生まれる小粋で洒脱な味わいや、歌詞の歌いまわしに微妙なアクセントを付けることによって生じる洗練の感覚こそがトーメの真骨頂であり、まさに「ジャジー」なのですね。そしてこうした歌唱テクニックにおいて、トーメは他の追随を許しません。圧倒的なのです。

とはいえ、だからこその問題も指摘しておくべきでしょう。今説明した「ジャジー」の中身は、率直にいって、ある程度ジャズという音楽自体が好きでないとピンとこない要素かもしれません。そういう点では、シナトラのほうが「普通の歌寄り」の表現をしているだけ、わかりやすいともいえるのですね。ここがふたりの一般的知名度や人気を左右しているのだと思います。

■早熟のジャズ少年

メルヴィン・ハワード・トーメは1925年(大正14年)にカナダとの国境、五大湖に面した北部の大都市、シカゴに生まれました。世代的には、モダン・ジャズを代表する26年生まれのトランペッター、マイルス・デイヴィスや、同じく26年生まれのテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンとほぼ同じ。つまりトーメは生粋の「モダン・ヴォーカリスト」なのです。

偶然かもしれませんが、彼もまたロシア系ユダヤ人の家系で、これは前号で特集したアメリカの大作曲家ジョージ・ガーシュウィンや、同じく「ホワイト・クリスマス」を作曲した“ティン・パン・アレー”の大物作曲家、アーヴィング・バーリンとまったく同じなんですね。

トーメはきわめて早熟で、なんと4歳でラジオ番組に出演し、15歳のころには作曲も手がけていました。そして17歳ともなるとバンドとともにツアーに出るまでになっているのです。

興味深いのは、44年にフランク・シナトラの主演した映画『ハイヤー・アンド・ハイヤー』に脇役で登場しているのですね。要するにトーメは、まだ10代のころからシナトラと同じように歌や芝居といったショー・ビジネスの世界に親しんでいたのです。

しかし、シナトラは映画での人気を梃子として、ジャズ界からポピュラー・ソングの世界へとファン層の拡大を図ったのに対し、トーメは頑なといっていいほど「ジャズ」にこだわったのでした。このあたりにもふたりの気質の違いが表れていますね。

そしてこの年、トーメはわずか18歳で「メル・トーンズ」というヴォーカル・グループをカリフォルニアで結成しています。このグループは、第15号「グループ・ジャズ・ヴォーカル」などでたびたび登場した白人4人の男性ヴォーカル・グループ「フォー・フレッシュメン」などに影響を与えましたが、商業的には成功しませんでした。

ちなみにトーメは、シナトラやビングのように「ゴールド・ディスク」の類には縁がありませんでした。もっとも、インストルメンタル(器楽)・ジャズの世界でも、レコードの売上げは昔からポピュラー・ミュージックに比べれば優に一桁以上も少ないのですから、ある意味でトーメは、根っからの「ジャズの世界の住人」といえるでしょう。

しかし、トーメは決して偏屈だったり「内輪受けタイプ」のヴォーカリストではありません。むしろ「華やかな歌手」といっていいでしょう。というのも彼の魅力はスタジオ録音されたレコードの中より、スポットライトを浴びたステージ上でこそいっそう輝くからです。これはトーメが、若いころから舞台やクラブでの観客・聴衆との親密な交流の世界で育ってきたことと関わりがあるでしょう。

今回の付属CDでも、こうしたトーメの持ち味が遺憾なく発揮されたライヴ・レコーディングを中心にセレクトしています。

トーメはシナトラやビングのようにポピュラー・ソングの世界にはあまり接近しませんでしたが、ショー・ビズの世界で鍛えられたセンス、パフォーマンスをメディアは放ってはおきません。1950年代から60年代にかけ、トーメはステージのみならずテレビにも進出し、69年にはCBSテレビの特別番組『ザ・シンガー』のプロデューサーを務めています。

ところで、ジャズの世界では69年という年には特別の意味があります。マイルス・デイヴィスがエレクトリック・ジャズの話題作『ビッチェズ・ブリュー』(コロンビア)を録音したことに象徴されるように、この年あたりを境にして、ジャズの世界が大きく様変わりするのです。それは、60年代半ばから始まったロック旋風によって相対的にジャズ界に不況が訪れたことと無関係ではありません。この影響で、トーメのようなオーソドックスなタイプのジャズ・ヴォーカリストの歌手としての出番は、限られてきたのです。

■遅れてきた大歌手

そうしたトーメに転機が訪れたのは、1982年にコンコード・レーベルに移籍したあたりからでした。なんと、2年連続してグラミー賞を受賞したのです! その勢いを駆って88年には来日公演を果たし、一気に本場の大歌手の存在感を日本のヴォーカル・ファンに印象づけたのでした。

率直にいって60年代ごろまでの日本におけるトーメの評価は、どちらかというと「マニア好みの歌手」というイメージでしたが、たび重なる来日公演で彼の圧倒的なライヴ・パフォーマンスに接した大勢のヴォーカル・ファンによって、トーメの実力が幅広く知れ渡るようになったのです。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第23号「メル・トーメ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

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