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文/後藤雅洋

「エラ(・フィッツジェラルド)、サラ、カーメン(・マクレエ)」と並び称された黒人女性ジャズ・ヴォーカリスト、サラ・ヴォーンはもっともジャズ・ヴォーカリストらしい歌手といえます。

“ジャズ・ヴォーカル”は「歌+ジャズ」です。人類最初の音楽である「歌」と、“ジャズ”という新しい音楽が結びついたものが“ジャズ・ヴォーカル”なのですね。ですから古くは民謡、今ならポップスや歌謡曲など、ジャズではない歌だってたくさんあります。そうした“ジャズ”より幅広い音楽のまとまりの中で、「ジャズ度数」が一定値を超えた歌を、ジャズ・ヴォーカルと呼んだわけですが、サラの歌はとりわけ「ジャズ度数」が高いのです。

それでは「ジャズ度数」は何で測るのでしょう。いろいろありますが、いちばんわかりやすいのが「アドリブ」でしょう。ジャズ・ヴォーカルのアドリブには、メロディの一部を崩して個性を出す「崩し」から、「コード進行」という音楽の基礎構造を踏まえ、一定のルールに従って音符を自由に入れ替える高度な即興まで、幅があります。「崩し」はポピュラー歌手も取り入れていますが、「コード進行に基づくアドリブ」はジャズ歌手しかやりません。

この高度な即興技術は、19世紀末に始まるとされるジャズの歴史の最初からあったわけではなく、1940年代の半ばに、アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーやトランペット奏者ディジー・ガレスピーが始めたジャズの改革運動、“ビ・バップ”によって初めてジャズに取り入れられました。パーカーたちの“ビ・バップ”は、それまでのジャズ・スタイルである“スイング”に比べあまりにも斬新だったので、当時のファンはまさに「今のジャズ」という意味で“モダン・ジャズ”と称したのです。

つまり、こうしたインスト(器楽)ジャズ由来の高度な歌い方を、サラ・ヴォーンは完全に身につけているのですね。“モダン・ジャズ”は以後ジャズの主流となり、40年代後半から60年代にかけて「ジャズの一般名称」にまでなったのですから、そのスタイルをこなしているサラが「もっともジャズっぽい歌手」とされるのもおわかりかと思います。

しかしパーカーたちが始めた“ビ・バップ”は、即興のスリルや演奏の生々しさにおいて明らかに傑出していたものの、芸能的「わかりやすさ」という点では若干「敷居」が高くなってしまったのは否めませんでした。つまり「芸術性」が高まることによって、相対的に「芸能的要素」が逓減したのですね。多くの方々がジャズに対して抱いている、マニア・ミュージック的イメージの始まりといってもいいでしょう。

■ドスの利いた“ジャズ声”

インスト・ジャズに比べ、ヴォーカルは歌詞や人の声がもつ親しみやすさによって、さほど「難解」な印象はもたれないにしろ、やはり“モダン・ヴォーカル”はスイング時代のシンプルなジャズ・ヴォーカルより、「メロディ離れ」が顕著なことは否めません。

こうした「傾向」は、スイング時代にデビューし、まさに大衆的人気においてもトップだった黒人女性歌手エラ・フィッツジェラルド(第2号)と比べてみるとよくわかります。あくまで相対的な比較ですが、エラのアドリブはサラの高度に技巧的なスキャットに比べると、原曲のイメージを喚起しやすかったのです。

つまり一般的なヴォーカル人気はエラ、マニアックなジャズ・ファンはサラという「棲み分け傾向」が、「もっともジャズ・ヴォーカリストらしい」というサラの位置付けをもたらしているのですね。

これは「アドリブ」というジャズの「原理的側面」からの比較ですが、それ以外にもサラの「ジャズっぽさ」を示すものがあります。それは「声質」です。そしてもしかすると、一般ファンの印象としてはむしろこの「声のジャジー効果」のほうが大きいかもしれません。

サラの黒人女性ならではの「腰が強く深みのある声質」が、それ自体きわめて「ジャジー」なのです。これもエラと比較してみると面白い。エラの声も黒人ならではの腰の強さがありますが、その堂々たる体格にしてはけっこう可憐なのです。それが彼女の親しみやすさ=一般的人気に繫がっているのですが、他方、サラの声は、はるかにドスが利いているのですね。

創刊号でジャズ・ヴォーカルの魅力・特徴を「ある種の引っ掛かりの感覚」と表現し、違和感と隣り合わせの「引っ掛かり感」が必ずしもマイナスにはならず、料理に添えた香辛料のように歌を引き立たせていると説明しました。サラの腰が強く深みがありドスの利いた声は、まさしく極上の香辛料のように彼女の歌を「ジャズっぽく」しているのです。極論をいえば、サラが歌えばメロディどおりに歌おうが、クラシック音楽だろうがジャズに聴こえてしまうのですね。これは強い。

このように、もっともジャズっぽい歌手サラの特徴は、「個性的な声質による、圧倒的な歌唱テクニックに支えられた奔放自在なアドリブにある」といっていいでしょう。そしてもちろん、素直にメロディを歌ってもジャズらしさを失わないのですから、まさに最強です。

ちなみに、サラの「テクニック」についてことさら言及しなかったのには理由があります。というのもポピュラー歌手と違って、ジャズ歌手の場合、歌唱技術が一定水準以上あることが絶対条件なのです。ジャズ・ヴォーカルに「ヘタウマ歌手」はありえません。ポピュラー歌手の場合は少々歌唱テクニックに難があっても、容姿や魅力的キャラクターでカヴァーすることもできるでしょう。“アイドル歌手”というジャンルが充分に成立可能なのです。また、「特訓」で持ち歌をなんとかさまになるようにまで、仕上げることもできるでしょう。とりわけ近年は電子機器による音程補正装置まで完備されています。

しかし、譜面に書いてない即興的変化に即応するなどという高度な技は、一朝一夕に身につくものではありません。しかし“ジャズ歌手”はその能力をもっていることが前提条件なのです!

■ジャズ表現に正解はない

ところで、ここまで説明した上で、ちょっと意地悪な話題として、「じゃあ、エラとサラとどっちが上なの?」という疑問が出てくるのではないでしょうか? まさにキモともいうべき質問ですね。ジャズ・ヴォーカルを楽しむ上で、じつに重要な視点です。

その答えのヒントはふたつあります。まず、ジャズ・ヴォーカルも含むジャズには「正解」がないということ。そしてジャズ・ヴォーカリストを比較する「物指し」はひとつではないということです。

これはクラシックと比べるとよくわかるのではないでしょうか。クラシック音楽はバッハやモーツァルトといった作曲家がいるので、「譜面の妥当な解釈」がある程度「正解領域」を限定します。つまり演奏家以外の存在が音楽表現の枠を限定しているのですね。

同じようなことは、ポピュラー・ミュージックでもいえるでしょう。たとえば、本シリーズでも第6号で登場する昭和の大歌手、美空ひばりは、戦後の混乱期に大ヒットした「リンゴ追分」という楽曲とセットで記憶されています。また、1960年代に世界を席巻したビートルズも「ア・ハード・デイズ・ナイト」であるとか「イエスタデイ」といった「ビートルズ・ナンバー」込みで人気を得たのでした。

ポピュラー歌手にとって楽曲の良し悪し、相性はきわめて重要な要素なのです。言い換えれば、特定の歌い手にとって「正解」とされる曲目=「持ち歌」という発想があるのですね。

他方ジャズは、おおむね楽曲は個々のミュージシャンが個性を発揮するための「素材」として扱われる傾向が強いのです。つまりジャズでは「楽曲の魅力」より「ミュージシャンの個性」のほうが重視されているのですね。これはジャズ・ヴォーカリストにとってはけっこう厳しい条件でしょう。ポピュラー歌手のように、キャッチーな持ち歌でデビューしたり人気を得ることができないのですから……。

ジャズ・ヴォーカリストはたいていの場合、ほかの歌手も頻繁に取り上げる「定番曲=スタンダード・ナンバー」を歌い、そこに自分なりの個性を打ち出さなければならないのです。個性のありようは人さまざまですから、「正解」などありえないのです。

さて、ここまでの説明で先ほどの「エラとサラのどちらが上か?」という問題の答えも想像がつくのではないでしょうか? ヴォーカルも含むジャズのいちばんの聴きどころは「自分なりの個性をいかに表現しえているか」なのですから、「エラもサラもどちらも最大級に自己表現を実現している大歌手である」というのが答えです。

もちろんふたりの個性は異なっているのですから、それぞれの実力を測る「物指し」も違います。エラなら「親しみやすさ」においてトップクラスという評価ができますし、サラなら「ジャズっぽさ」において傑出している歌い手であるということになるでしょう。

このようにジャズでは、それぞれのミュージシャンの個性を測るための多様な判断基準が存在するので、それぞれのミュージシャンに「合った物指し」を発見することが「聴きどころ」を摑む上でもっとも重要なポイントとなるのです。

■“ビ・バップ”を吸収し飛躍

サラ・ヴォーンは1924年(大正13年)にニューヨークに近いニュージャージー州ニューアークに生まれました。7歳でピアノを習い、のちにオルガンも始め、12歳にして地元のバプティスト教会のオルガン奏者兼聖歌隊員になります。42年、18歳のサラは、先輩格のエラも出場した「アポロ劇場」のアマチュア・コンテストで優勝し、1週間アポロ劇場出演のチャンスを摑みます。

それを聴いていた大物歌手のビリー・エクスタインがサラの才能に着目。サラは44年にエクスタインが新たに結成したジャズ史上有名な「ビ・バップ・バンド」に参加することになるのです。このバンドが注目されるのは、ジャズの一大革命といわれた“ビ・バップ”を主導したパーカー、ガレスピーの名コンビ以外にも、トランペッターのマイルス・デイヴィスやファッツ・ナヴァロ、テナー・サックスのデクスター・ゴードン、そしてドラマーのアート・ブレイキーといった次世代ジャズのスターとなる連中が大挙して在籍していたからなのです。

時はまさに“ビ・バップ”勃興期。サラはこのスーパー・バンドで新たな即興のシステムを身につけていったのです。それはたんにバンド歌手として歌を歌うだけでなく、自らの声を楽器になぞらえ、他のトップ器楽奏者と対等にアドリブの応酬を行なう高度な歌唱技術です。そのために歌詞の内容や歌詞の文字数にとらわれないで自由にアドリブが行なえる「スキャット唱法」を完璧にマスターしました。

このあたりの体験が“ビ・バップ”以前のジャズ・スタイル、スイング時代にデビューしたエラとの世代の違い、タイプの違いに結びついているのです。

■大ヒットと時代の波

1945年にはエクスタイン・バンドを辞め、ソロ・シンガーとしてクラブに出演すると同時にレコーディングも行なっています。46年、トランペット奏者ジョージ・トレッドウェルと結婚しますが、彼はトランペッターを辞めサラのマネジャー兼ミュージカル・ディレクターとして彼女の才能を大きく開花させました。その結果、47年に録音した「イッツ・マジック」は破格の200万枚のセールスを記録する大ヒットとなったのです。

そればかりでなく、当時からジャズ紹介に力を入れていた男性雑誌『エスクァイア』の人気投票で新人女性歌手のトップに選ばれ、またジャズ専門誌『ダウンビート』の女性歌手部門でも、47年から51年まで1位の座を連続して獲得しています。しかし結婚は破綻、やはり私生活の安寧とジャズ歌手としての活躍は両立しがたいようですね。

1950年代のサラはテクニックだけでなく感情表現にも深みを増し、名実ともにトップ・ジャズ・シンガーの地位を獲得します。今号はこの時期のサラの名盤から選りすぐった名唱を収録しています。

そんなサラですら「ジャズ不況時代」といわれた60年代後半には不遇の時期が訪れます。およそ4年ほどもレコーディングから遠ざかってしまったのですね。しかしそれは彼女の責任というより、ロック・ミュージックの台頭による変化の波がレコード会社にも押し寄せてきたのが原因でした。

そうしたサラに再び大きな活躍の場が訪れたのは70年代も後半に差しかかったころでした。ブラジルのミュージシャンたちと共演したアルバムがノーマン・グランツの主宰するパブロ・レーベルから発売され、これがサラの新生面を開くきっかけとなったのです。サラはもともと幅広い音楽性を備えたヴォーカリストで、ポップスからクラシックまで柔軟に取り込んだ名唱を聴かせてくれましたが、その才能が再び花開いたのです。

これを契機に晩年のサラの活動は華やかさを増し、来日公演も頻繁に行なわれ8年連続で日本のジャズ雑誌『スイングジャーナル』の人気投票のトップに君臨したのです。そんなサラでしたが90年、まだ60代で惜しくも亡くなってしまったのは、ほんとうに残念なことでした。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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