(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第21号「ジューン・クリスティ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

文/後藤雅洋

■「いーぐる」人気の1枚

今回はちょっと個人的な話から始めさせていただきます。私は1967年、大学在学中の20歳のときに、東京・四谷で「いーぐる」というジャズ喫茶を始めました。こうした経歴から、私はジャズ熱が高じてジャズ喫茶を開業した熱心なジャズ・ファンと思われているようですが、実態は少し違うのです。

もちろんジャズに興味はもっていましたが、その当時の私の知識は、おそらくこの「ジャズ・ヴォーカル・コレクション」で初めてジャズに出会われたみなさんとさして違わなかったはずです。ですから、ジャズ喫茶を開業するにあたって、ジャズに詳しい友人にアルバムの選択などジャズ喫茶開店のノウハウを相談しました。

そうしたら彼は、そのころすでにアルバムを4000枚以上も所蔵していた、新宿の今はないジャズ喫茶の名店『DIG』や、吉祥寺の老舗『FUNKY』などと同じ土俵で勝負しても無理だから、顧客の的を絞ろうと助言してくれたのです。

彼のアドバイスはシンプルでした。情熱的な演奏で人気沸騰のテナー・サックス奏者、ジョン・コルトレーンが全盛だった1960年代のジャズ喫茶では、どちらかというと「日陰の存在」だった静かなピアノ・トリオとヴォーカルを中心としたアルバム・セレクションです。いわば「ニッチ産業」ですね。

もちろんコルトレーンや主流派トランペッター、マイルス・デイヴィスといった超大物の名盤はひととおり揃えましたが、相対的にビル・エヴァンスなどのピアノ・トリオ盤や、カーメン・マクレエやアニタ・オデイといった歌手たちのアルバムの比率を上げる作戦です。といっても、新規購入アルバムの予算わずか200枚分と、その友人から一時的に借りた200枚の合計400枚では、ハナから勝負にならないのは目に見えていたのですが……。

しかし60年代ジャズ喫茶ブームのおかげか、友人の戦略が当たったのか、開店当初から現在の場所へ移転する前の小さな店は満員盛況。今日に繫がる基礎ができたのです。今でも印象に残っているのは、やはり他の店に比べてヴォーカルのリクエストが多かったことです。まさに友人の作戦が当たったのでした。

その彼が選んだヴォーカル・アルバムの1枚が、今回冒頭に紹介する名曲「サムシング・クール」を収録した名盤『サムシング・クール』(キャピトル)なのです。つまりきわめて購入枚数が限られたヴォーカル厳選アルバムの中に入っていたのですね。

私はというと、そのとき初めてジューン・クリスティを知ったのですが、最初から一種の「独自性」を彼女の歌声から感じ取ったのでした。本来なら「オリジナリティ」とするべきところを「独自性」としたのは、彼女の歌が「オリジナリティ」=「独創性」をもっているということまでは、ジャズ初心者の私にはわからなかったからです。

話はちょっと脇道に逸れますが、私たちは歌が巧いか下手かはすぐにわかりますよね。だから自分を棚に上げて「あいつは音痴だ」などと言えるわけです。でも、独創的かどうかは、ある程度その音楽ジャンルの全体像といいますか、「価値観」みたいなものを理解していないと判断するのは難しいですよね。

ですから、そもそもジューン・クリスティのジャズ・ヴォーカリストとしての位置づけなどはまったくわからなかった入門者では、「オリジナリティうんぬん」については感想のもちようもなかったのです。でもおそらくは、それまで聴いてきたドリス・デイなどの代表的な白人ポピュラー・シンガーと比べて、「これは違うぞ」ということだけはわかったのでしょうね。

まずはそこからジューン・クリスティの話を始めましょう。

■癖も個性のひとつ

まず感じたのは一種の「癖」です。「引っかかり」といってもいいでしょう。

ドリス・デイに限りませんが、私たちがポピュラー・ミュージックを聴いて最初に反応するのは、やはりメロディ・ラインではないでしょうか。ですから、多くのポピュラー・シンガーは魅力的な旋律がすんなりと聴き手の耳に届くよう、なるべくスムースに歌います。しかしクリスティの歌には一種の癖があって、そこに「独自性」を感じたのです。

「癖」の正体は「声質」です。のちにそれを「ハスキー・ヴォイス」と称することを知りましたが、彼女の歌声は明らかに「かすれて」いるのですね。ですから「耳に引っかかる」のです。しかし不思議なことに、この引っかかりは「心への引っかかり」でもあって、必ずしも「嫌なもの」ではなかったのです。

今から思えば、この「嫌なものでもない、心への引っかかり」こそが、ポピュラー・ミュージックとジャズを区別する物差しのひとつとわかりましたが、ともあれ、そのころはなんとなくですが「ああ、これがジャズなんだ」と納得したのでした。

別の言い方をすると、「ポピュラー・ソングとは違う世界」をかいま見たということになるでしょう。そして無意識のうちに、「ポップスと異なる、ジャズならではの価値基準」があるんじゃないのかな……という予感ももったのでした。

ひと言で「ジャズの価値観」といっても中身は多様です。それこそ「リズム」や「アドリブ」といったよく知られたジャズの特徴は、ジャズ入門者の私でも知っていました。ですから、ジャズを代表する黒人女性ヴォーカリスト、エラ・フィッツジェラルドのリズミカルなスキャットなどを聴いているときは、とくに「ジャズ的価値観」などという難しいことは考えず、ジャズの楽しさに浸っていたのですね。

しかし、ジューン・クリスティはあまりスキャットなどはせず、取り立ててリズミカルというわけでもないのですが、それでもドリス・デイなどとはどこかしら違うのですね。のちにそれが器楽、ヴォーカルを問わない、ジャズの最大の特徴である「個性の発揮」であることを知ったのです。

ということで次は、クリスティならではの個性の話に移りましょう。

たとえば「ハスキー・ヴォイス」とひと言でいっても、これまた中身は多様です。このシリーズを続けて購読されているみなさんならおわかりかと思いますが、第12号「アニタ・オデイ」第17号「ヘレン・メリル」もまた、ハスキー・ヴォイスの持ち主でした。ですから今度は、「ハスキー・ヴォイス」というキーワードでアニタやメリルとは違う、クリスティならではの特徴を探索してみましょう。

■声の湿度と温度の関係

まずアニタのハスキー・ヴォイスは、ちょっと「はすっぱ」といいますか、「おきゃんな姉御肌」を演出するハスキーですね。そしてメリルの場合は、しっとりとした情感を強調するかすれ声です。

それに比べ、クリスティは「はすっぱ」でもなければ、特段「情緒的」というわけでもありません。では、クリスティのハスキーをひと言でいい表せばどういうことになるでしょうか? 読者のみなさんは、なんとなくおわかりになっているのではないでしょうか。そうです、彼女の代表作のタイトルにある「クール」です。

もちろん「サムシング・クール」とは、ジャケットのイラストからもわかるように「なにか涼しくなるような飲み物」を指していますが、期せずして「クール」がクリスティの個性を象徴しているのですね。

「クール」の第1の意味は「涼しい」ということですが、「感情的にならず冷静」という意味もあり、ここから派生したスラング的用法がジャズ界では昔から広く使われています。それは、「毅然とした冷静さがカッコいい」といったニュアンスで、1940年代の“ビ・バップ”時代に、黒人ジャズマンたちの間で使われ始めたようです。「クールなジャズマン」の代表は、なんといってもカリスマ、トランペッター、マイルス・デイヴィスでしょう。

そうしてみると、たとえばアニタのハスキー・ヴォイスは、「クール」というよりむしろ観衆を盛り上げる方向で、「ホット」ですよね。また、メリルはというと、ホットとかクールというより、むしろ「ドライvs.ウェット」という対立軸が浮かび上がってきます。もちろんメリルはウェット派ですね。

ところで、「喩えのもと」が温度の話である「クールvs.ホット」と、同じく「喩えのもと」が湿度の指標「ドライvs.ウェット」は、相関関係があると思いませんか? つまり「ドライでクールな人だ」などとはいいますが、あまり「ウェットでクール」って聞きませんよね。他方、半ば冗談ですが、熱帯雨林などはまさに「高温多湿」。

話がずれているようですが、ちゃんとジャズに繫がるのです。たとえば、メリルの歌声はウェットであると同時に、歌唱によって微妙に熱気を帯びたり冷静になったりと、細部の表情をコントロールしています。

かなり長めの前ふりでしたが、クリスティはまさに「ドライでクール」が特徴なのです。つまり同じハスキー・ヴォイスとはいえ、アニタやメリルとははっきりと違った特色・個性を打ち出すための「かすれ声」なのですね。ここのところが重要です。

■白人女性歌手の持ち味

さて、「ドライでクール」といえばやはりマイルス・デイヴィスです。しかし、クリスティの歌声の与える印象とマイルスのトランペットでは、「声と楽器の違い」ということ以外、やはりちょっと違いますよね。それは「陰影感」の問題です。

マイルスの音楽はドライでクールで翳りがある。他方、クリスティの歌声は明るいのですね。つまり「明るくドライでクール」なのがジューン・クリスティの特徴なのでした。付け加えれば、この「明暗の対比」は、白人クリスティと黒人マイルスのジャズ観の違いも反映しているのです。

前提条件として人種問題がある黒人ミュージシャンの音楽は、どうしても一種の翳りがつきまとい、それがブラック・ミュージックならではの魅力でもあるのです。他方、白人ミュージシャンはさほど屈折感を意識せず屈託なく表現する傾向があるのですね。そういう意味では、ジューン・クリスティは典型的白人女性歌手ともいえるでしょう。

■“名は体を表す”芸名

ジューン・クリスティ、本名シャーリー・ラスターは、1925年(大正14年)にアメリカ中部イリノイ州のスプリングフィールドに生まれました。イリノイ州は五大湖に面したシカゴが最大の都市で、州都スプリングフィールドはシカゴから南に300kmほど下ったところにあります。世代的には、19年生まれのアニタ・オデイと30年生まれのヘレン・メリルの中間で、両者を繫ぐ世代の歌手といえます。

両親が不仲だったため、少女時代はかなり苦労したようです。早くも13歳で地方のビッグ・バンドで、歌手としての活動を始めました。15歳でシカゴに移住し、シャロン・レズリーという芸名で長い下積み歌手時代を過ごすことになります。43年に、ボイド・レイバーン楽団という当時としては先鋭的なバンドの歌手となりますが、ツアーの最中に猩紅熱にかかるというアクシデントでやむなく退団。

45年、ようやくチャンスが巡ってきます。当時人気の出始めたピアニスト、スタン・ケントン率いるジャズ・オーケストラに入ることができたのです。ちなみにケントン楽団の先輩歌手がアニタ・オデイで、クリスティはアニタの後釜として入団したのでした。ケントン楽団のバンド歌手としては、クリスティの次にやはり白人女性歌手のクリス・コナーが在籍し、彼女たちを「ケントン・ガールズ」などと称したりします。3人ともにそれぞれ個性的な第1級の歌手で、そうした優れた人材を輩出したことでもケントン楽団の勢いが知れますね。もちろん器楽奏者でもアルト・サックスの名手アート・ペッパーはじめ、“ウエスト・コースト・ジャズ”の有能な人材がケントン楽団には在籍していました。

そのケントンに「ジューン・クリスティ」という「クールな」芸名を付けられることになるのですが、いかにもジャズ的で素敵なネーミングです。偏見かもしれませんが「シャロン・レズリー」では、下世話なポップス歌手って印象しか受けませんよね。そして、ケントン楽団でクリスティが歌った「タンピコ」はミリオン・セラーとなり、一躍新人歌手としての名を高めます。

46年、クリスティは同じケントン楽団のテナー・サックス奏者、ボブ・クーパーと結婚し、ジャズ・ヴォーカリストしては珍しく最後まで添い遂げます。ケントン楽団には優秀な編曲者もいて、ピート・ルゴロはケントンを助けると同時に、ソロ・シンガーになってからのクリスティのアルバムでも、アレンジャーとしての腕をふるっています。

51年にクリスティは独立し、晴れてソロ・シンガーとしての道を歩み始めますが、当初のポピュラーな路線はうまくいかず、ピート・ルゴロの後押しで本格ジャズ・ヴォーカリストへと舵を切ることで成功への第1歩を踏み出したのでした。きっかけは、最初に紹介した53年の『サムシング・クール』の録音で、54年に10インチLPが発売され、55年には他の録音と合わせ12インチLP化されると、ジャズ・アルバムとしては異例ともいえるヒットとなりました。ちなみに今回紹介するのは、60年に同じピート・ルゴロの編曲で、全曲をステレオで再録音したヴァージョンのアルバムからです。

以来クリスティは1950年代を代表する白人女性ジャズ・ヴォーカリストとして活躍し、多くの傑作をキャピトル・レコードに残してきました。第21号「ジューン・クリスティ」では、それら絶頂期キャピトル時代のアルバムからの名唱を厳選して収録しています。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第21号「ジューン・クリスティ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

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