文/後藤雅洋
■“アメリカの気分”を喚起
「古きよき時代のアメリカ」という言いまわしを、よく見聞きします。私たちはアメリカ人ではないので、その本当のニュアンスはわからないのですが、なんとなく伝わってくるものはあります。それは、けっして派手ではないけれども、ゆったりと心安らぐ、いかにもピューリタンたちが築いた国らしいシンプルで好ましい生活風景ではないでしょうか。
そしてその雰囲気を音楽で象徴しているのが、まさに今回の主人公、ビング・クロスビーの心安らぐ歌声なのです。
率直にいって、すでに高齢者の域に達している私のような団塊世代でも、ビングの歌を同時代的に聴いてきたわけではありません。ですから、大方の音楽ファンのみなさまにとって、ビング・クロスビーの名前は一種の「懐メロ」として受け取っているのではないでしょうか。
ですからこの機会に、ビングの素晴らしさ、そして彼がアメリカン・ミュージックに及ぼした多大な影響、ひいては20世紀音楽の中での重要な位置づけを実感していただけたらと思います。
まずはその歌声です。私はこの「ジャズ・ヴォーカル・コレクション」でいろいろな角度から「歌」の魅力を語ってきましたが、その中でも重要なポイントとして「声質」を挙げてきました。
ちょっと話が脇道に逸れますが、私たちはなにか素晴らしいものに出会ったとき、必ずしもその「理由」を正確に言い当てられるとは限りません。個人的な体験ですが、私も若いころはラジオ、テレビから流れてくる音楽を気に入ったとき、まず頭に浮かんだのは「カッコいい曲だ」でした。しかし、大人になってそのころの楽曲をいろいろ聴き返してみると、必ずしも「曲の良さ」だけで「好感情」が生まれたわけでもないことに気がついたのです。
いちばんわかりやすい例は、他の歌手が同じ楽曲を歌ったものと比べてみたときです。いわゆる「カバー・ヴァージョン」というやつです。たんなる「耳慣れ」の要素もあるのですが、歌う人によってけっこう曲の印象が異なるのですね。つまり私たちは歌に対する好みを、わかりやすく「楽曲の好悪」に結びつけがちですが、実際は歌唱テクニックや声質、そしてアレンジの仕方など、さまざまな要因が重なり合った結果、「好き嫌いの感情」が生まれているようなのです。
こうしたことを前提としてビングの歌を聴くと、彼の歌が魅力的に聴こえる理由の大半が、彼のまろやかで穏やかな声質に負っていることがおわかりになるかと思います。そして「声質」が歌手の資質の重要なファクターとなりえたのは、マイクの発達という技術的な側面があるのですが、この話はのちほど詳しくいたしましょう。
そしてもちろん歌唱技術です。しかしビングの歌唱は、一部のジャズ・ヴォーカリストにありがちな「いかにもテクニシャン」といったタイプではなく、持って生まれた好ましい声質を上手に使って、その声質にそれこそ「古きよき時代のアメリカ」を思い起こさせる「好ましい気分・雰囲気」を漂わせる高等技術に、その本質があるのです。
じつをいうと、こういうことができる人は思いのほか少ないのですね。たとえば、ビングに憧れてヴォーカリストを志し、アメリカを代表する大歌手となったフランク・シナトラが歌で表現しているのは、情熱や失恋といった「個人的感情」ですが、ビングの歌が喚起するのは、もっと幅広い「国民的気分」とでも言いうる一般的感情なのです。シナトラの歌が私たちひとりひとりの心に染み入る説得力をもっているように、ビングの歌声はそれを聴く人々が「同じ気分」に浸れるという、幅広い「連帯感」を備えているのです。これは凄いことではないでしょうか。まさに「国民的歌手」ですね。どちらも優れた歌手ですが、表現している内容は微妙に違うのです。
世代的に新しいシナトラは、ビングの切り拓いた「アメリカン・ポピュラー・ミュージック」の世界を、時代に合わせ、より「個人主義的」に磨き上げたともいえるでしょう。つまり、ビングという偉大な土台・基礎があったからこそ、シナトラの歌の世界が広がりをもちえたのです。というか、シナトラが成功の階段を駆け上がったときの「道具立て」のほとんどは、すでにビングが試みていたことなのです。
■先端テクノロジーの導入
それは先ほど触れたマイクであるとか、レコード、ラジオ、映画といった、当時の先端的メディア・技術を使った新世代の歌手であるところです。まずもってビングは「クルーナー」の元祖とされています。「クルーナー」とは「囁くように歌う歌手」のことで、これはマイクに繫がれた電気的増幅装置(アンプ)とスピーカー、つまり今で言う「P.A.」の発達によって初めて可能になった、繊細な唱法を得意とする歌手のことです。
それまで歌手は声が大きいことが必須条件でした。広いコンサート会場では、遠くの聴衆にまで届く強い声が必要だったのです。しかし人は大きな声で歌うと、歌詞がもっている細かなニュアンスや、微妙な感情を伝えるのは難しくなります。大声の選挙演説が一本調子になりがちなのを思い出してください。
ところがP.A.のおかげで、まろやかで穏やかな声のまま、歌の情感をごく自然に伝えることができるようになったのです。この「効果」をもっともうまく使って成功したのがビングであり、それに倣ったシナトラだったのですね。つまりふたりとも「技術革新」の意味を正確に捉え、それを自己表現の強力な武器としたのです。そして同様のことが、レコード制作、ラジオ番組への登場や映画出演といった多様なメディア戦略においてもなされていたのです。
こうしたメディア・ミックス的とも思える手法は、今では多くのポピュラー・ミュージシャンたちの間で常識化されつつありますが、それを最初に試み、成功したのが、ビングだったのです。つまり、彼はアメリカン・ポピュラー・ミュージックのシーン自体を、最初に制度設計した歌手でもあったのですね。
こうしたさまざまな「道具立て」を使ってビングが表現したキャラクターは、つまるところ典型的な「よきアメリカ人」といえるでしょう。同じ国民的歌手であるシナトラは、カッコいい都会的エスタブリッシュメントかもしれませんが、必ずしも「いい人」の枠には収まりません。実際彼の私生活は女性の噂が絶えず、また映画でギャングの役をやってもサマになるのですね。
他方、ビングはいかにも家庭的で、映画の役柄もせいぜいがおどけた紳士。こうした温和なキャラがじつに自然に歌唱に表れているので、私たち聴き手は安心して癒され心和むのですね。まさにビング・クロスビーは「古きよき時代のアメリカ」を象徴する「国民的歌手」だったのです。
■アメリカ庶民の代表
ビング・クロスビー、本名ハリー・リリース・クロスビーは1903年(明治36年)にアメリカ北西部ワシントン州タコマに生まれました。「ワシントン」というと、ホワイトハウスがある首都「ワシントンD.C.」(D.C.はコロンビア特別区の略語)のイメージから、東部にあるような錯覚を抱きますが、実際は西の果てカナダと国境を接した太平洋岸で、タコマはシアトルのちょっと南に位置しています。地図で見るとかなり高緯度にあり、印象としてはアメリカの北の外れの土地。
私たちは「アメリカ」というとニューヨークの賑わいを最初にイメージしますが、聞くところによるとあそこは特別な都市で、アメリカ全体を代表するのは、むしろ地方の中小都市や広大な原野だそうです。ビングはこの地方都市で有数の私立大学に入学していますが、こうした生育環境も、のちに「アメリカを代表する」キャラクターとなることとの関わりがあるのかもしれません。彼の紳士的ながら素朴とも思える容貌・外見、そしてそのイメージを裏切らない素直な歌唱は、じつは多数派であるアメリカのカントリー地帯に居住する人たちの幅広い共感を得たのですね。
彼はイングランド系アメリカ人の父親とアイルランド系アメリカ人の母親の間に生まれており、このあたりも、イタリア系であるシナトラとの資質の違いの一因かもしれません。「ちょい悪オヤジ」的キャラもこなせるシナトラに対し、ビングの基本は純朴、せいぜいがボブ・ホープとの映画『珍道中』シリーズで見せる「調子のいい紳士」どまりなのです。付け加えれば、ビングにはいわゆる「スキャンダル」が見当たりません。2度結婚していますが、それも先妻が病死したため。こうしたことも、まだまだモラルにうるさかった1930年代のアメリカの庶民感情にフィットしていたのでしょう。
■“音楽産業”の改革者
大学在学中にジャズを志し中退。1926年に当時大人気の白人ジャズ・バンド、ポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団しています。「ポール・ホワイトマン」といっても今ではあまりピンとこないかもしれませんが、ホワイトマンはアメリカを代表する作曲家ジョージ・ガーシュウィンに肩入れし、名曲「ラプソディ・イン・ブルー」を完成させたという功績もあるのです。そしてまだ白人中心の音楽マーケットでは、彼のスウィートなサウンドはデューク・エリントンなどの濃厚な黒人流ジャズより、当時は人気があったのです。
ビングは27年にホワイトマン楽団内で男性3人組のヴォーカル・グループ「リズム・ボーイズ」を結成し、しだいに人気を得、楽団を飛び出します。つまりビングは、バンドの添え物的存在だった「バンド歌手」の立場から抜け出し、シンガー自体が注目されるスターになるという時代の境目に登場した、最初の歌手だったのですね。そして、シナトラもまったく同じ道筋を歩んでいったのでした。
31年にはひとりで歌った「アイ・サレンダー・ディア」がヒットし、ソロ・シンガーとして独立します。この年、ビングにとって決定的な出来事が起こります。それは当時普及しはじめたラジオで、自らの番組「ビング・クロスビー・ショー」をもったことでした。今でいえば、テレビで自分の名前を冠した番組をもつに匹敵しますね。この効果はたいへんに大きい。そしてこの番組で全米的人気を得る人気スターとなったのです。こうしたメディアを利用した活動は現在では珍しくありませんが、ビングはその先陣を切った最初の歌手だったのです。
そしてちょうど時を同じくして、マイクで拾った音を電気的に増幅する技術が進歩し、前述した「クルーナー・スタイル」が可能になったのですね。こうした技術革新は当然「歌唱法」自体をも変革させ、現在に繫がるポピュラー・ソングの作曲法にも大きな影響を与えたのです。この「技術が表現を変化させる」ということは音楽の歴史を考える上でたいへん重要なポイントで、ビングはまさにそのターニング・ポイントに登場した傑出した「改革者」でもありました。ちなみにビングはドラムやクラリネットも演奏し、作曲の才ももっていました。彼には音楽的な基礎知識があったのです。
つまりビングはたんに優れたヴォーカリストであるにとどまらず、マイクをうまく使ったモダンで洗練された歌唱テクニックや、ラジオと連動したプロモーション活動でレコードの売上げを押し上げるなど、まさしく現代のポピュラー・ミュージック・シーンで行なわれていることを最初に実現させた、改革者でもあったのですね。そしてこれらはすべて次世代のスター、シナトラが踏襲した方法論でもあったのです。
■アメリカを代表する歌手
ビングの活動はそこにとどまりません。彼は映画にも出演するようになります。当初は「大根」と揶揄されたりもしましたが、持ち前の人好きするキャラクターと歌唱力で人気を得たばかりでなく、しだいに演技力をも身につけ、映画『我が道を往く』(原題『Going My Way』、1944年公開)ではアカデミー賞主演男優賞を得るまでになったのです。こうした努力もあって、生涯84本もの映画作品に登場しているのですから、もう映画俳優といってもおかしくはありませんね。
なかでも喜劇俳優ボブ・ホープとコンビを組んだ『珍道中』シリーズは20年も続いた彼の当たり役で、調子のいいビングがホープをからかうのが定番でした。私も子供のころに観た記憶があるのですが、そのころはビングが偉大な歌手だとは知らず、たんに面白いオジサンぐらいにしか思っていませんでした。
それはさておき、この、映画も込みで芸能活動を行なうというマルチ・タレントぶりは、シナトラはじめのちのポピュラー・シンガーにも影響を与え、アメリカン・ショー・ビジネスのスタイルを最初に確立させた功労者という側面もビングにはあるのです。
とはいえ、彼の人気の最大の後ろ盾はなんといってもその歌唱にあります。一例を挙げれば、第16号「ジャズ・ヴォーカル・クリスマス」に収録したビングの「ホワイト・クリスマス」はまさにクリスマス・ソングの大定番としていまだに愛聴されていますし、他のヒット曲も含めた生涯のレコード売上げは4億枚を超えるというのですから、まさしくアメリカを代表する国民的大歌手といっていいでしょう。
文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。
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