
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第18回では、朋誠堂喜三二(演・尾美としのり)に青本の執筆を依頼したい蔦屋重三郎(演・横浜流星)は、吉原で「居続け」遊びができることを「餌」にします。
編集者A(以下A):実際にこういうことをやっていたかどうかは定かではありませんが、めちゃくちゃ面白いですよね。吉原の中で育って、強力なつてを持つ蔦重ならではの作戦です。現代と比して娯楽に乏しい当時のことですから。このスキームは「絶大な威力」があったのではないでしょうか。
I:このころの娯楽の筆頭といえば、遊里と芝居ということになりますから、遊里を抑えている蔦重とは付き合っておいて損はないという感じはあったのでしょうね。
A:江戸中期の男性にとっては、「娯楽の筆頭」的な立ち位置が遊里。特に「吉原」は別格でした。ほかの版元も執筆者に「吉原遊び」をさせることができたとしても、「居続け」までさせることは至難だったでしょうから。
I:ところが、吉原に「居続け」て、執筆に励む喜三二に異変が起こります。
A:朋誠堂喜三二の「筆」が衰えたという設定でした。そして、その後に喜三二の「下の筆」が巨大化して大暴れするという大河ドラマ史上屈指の素っ頓狂な場面が展開されるのです。いったいわれわれは何を見せられているのだろう? と思った方も多いかと思います(笑)。
I:一瞬、そんなふうに思いましたが、これはなかなかに意味深い描写なのではないかと思い直しました。喜三二の見た夢が作品に反映されることになるのですが、それについて考察していきたいと思います。
A:当初、喜三二の症状は「腎虚」ということでした。現代でいうところの「ED」のようなものでしょうか。それは、執筆しながら吉原に居続けするわけですから、そうなってもおかしくない設定ではあります。
I:喜三二はやがて驚きの「夢」を見るわけです。
A:喜三二の「下の筆」が「暴れん坊」になる「夢」を見たというのは、わりと当時の感覚をストレートに反映させた描写なのかと思ったりしています。当時の春画では、局部が極端にデフォルメされるのが当たり前ですから、喜三二の見た夢もそうした「世相」を踏襲したものなのでしょう。
I:ずいぶん思いきった場面を入れ込んできたなという思いがします。結局、喜三二の「下の筆」が大暴れしたのは「夢の中」ということになるのですが、夢の中でもお大尽遊びに熱中するという筋立て。遊里で豪快に遊興することは、当時の男性にとっては「夢のまた夢」ということだったのでしょう。そして、劇中に出ていた朋誠堂喜三二が見た夢=夢から覚めてもまた夢? ってのが、なんと作品になりました。『見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』ですね。そうか、こうきましたか! という感じです。
A:『見徳一炊夢』は、夢であっても見るだけ徳(得)ということです。恋川春町のヒット作『金々先生栄花夢』を下敷きにしたような構成になっている作品です。『金々先生』は目黒不動にお参りに行った主人公が粟餅をたのみ、その粟餅ができあがるまでの間にうたたねしてしまい、その時に見た夢が物語になっています。吉原などの遊郭で遊興するさまが描かれていて、吉原に足を運んだことのない人々が、「ああ、吉原で遊ぶってのは、こういうことなのかい」と得心できるという物語。一方の『見徳一炊夢』は、注文した蕎麦が出てくるまでの間に見た夢、という設定です。
I:『金々先生』の遊興の舞台が、吉原に加えて品川、深川などの岡場所。つまり江戸から出ることはないのですが、『見徳一炊夢』は、江戸を飛び出して、京や大坂、長崎……果ては唐の国にまで足を運んで遊興するというストーリー。結局「夢」ということで目が覚めて、現実に引き戻されるわけです。
A:劇中では、朋誠堂喜三二が、そのストーリーを吉原に「居続け」してひねり出したという設定なわけですが、なんだか笑っちゃいますよね。吉原に居続けして、そのストーリー? と思う人もいるでしょうし、逆に「めちゃくちゃ面白い!」という人もいるかもしれない。
I:文学史的な話をすると、『金々先生栄花夢』も中国の古典にある「邯鄲(かんたん)の夢」をモチーフにした作品といわれています。中国唐の時代の小説『枕中記』所収ですね。「人の一生の栄華とはなんとはかないもの」という、それこそ昨年の『光る君へ』でも同じような話が出てくるくらいの「古典的な素材」になります。
A:芥川龍之介が『今昔物語』からヒントを得た作品をいくつか執筆していますが、それと同じように恋川春町が、中国古典を援用して『金々先生栄華夢』を執筆して、その『金々先生』をさらに援用して朋誠堂喜三二が『見徳一炊夢』を仕上げる。
I:一見、安直のような気がしないでもないですが、劇中の様子をみると、吉原に「居続け」して手近な題材を採用したともいえなくもない(笑)。それでもしっかり「人の栄華ははかない」という思いは伝わってきますね。
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