「私の兄は28歳の時に急性白血病で他界しています。父親もすい臓癌で逝きました。だから、折に触れ、妻とは『もし自分が癌になったら』という話はしていたんです。そして、『もし癌になっても、できれば手術を受けたくない』ということも伝えてありました。その理由は、自分と家族の生活を壊すことだけはしたくないと考えていたから。治療と看病の時間に、自分と家族の生活のすべてが奪われてしまうようなことは避けたかった」
家族が説得してくれた大腸癌の切除手術の決断
現役時代、そして監督時代に熱血漢として知られた大島さんらしい、家族思いの考え方だった。しかし、手術を拒否するということは、1年後には死を迎えるという意味でもある。当然、家族は反対した。そして「手術はしない」という大島さんの決意を翻意させたのは、熱い家族の説得だった。
検査結果が出た日。夫人から連絡を受けた会社員の長男は、心配で会社を早退した。お笑い芸人の次男は、感情が高ぶり帰宅途中の電車内で号泣してしまったという。
「あいつ(次男)の周りから、どんどん人が離れていって誰もいなくなったそうです。そりゃそうですよね(笑)。ただね、そのエピソードを聞いたときに、心が動かされたんです。手術を受けなきゃ……と。もし自分が手術を受けずに1年が経ったとき……どういう結果になっているかはわかりませんが、仮にお医者さんの宣告通りに亡くなったとして、その時に息子たちがどう思うか。彼らに余計な負い目を負わせてしまうのではないか。実は、私の妻は32歳の時に子宮頸がんを患っているんです。当時、幼い2人の息子を抱えた私は、『今、妻に先立たれたらどうなるんだろう?』と不安になりました。すぐに手術してほしい。絶対に助かってほしい。そう切に願いました。癌患者の家族の気持ちは、自分が一番知っているはずなのに、実際に自分が癌患者になるとすっかり忘れてしまっていたんです。それで家族が納得してくれるのなら……そう思って手術を受ける決断をしました」
2016年11月。大島さんは大腸癌の切除手術に臨んだ。
【~その2~に続きます】
大島康徳(おおしま・やすのり)
1950年10月16日生まれ(68歳)。大分県中津市出身。中津工から68年ドラフト3位で中日ドラゴンズ入団。71年に一軍初出場。76年にシーズン代打本塁打の日本記録(7本)を樹立。77年から、強打の内野手として不動のレギュラーに定着した。83年、36本塁打を放ちタイトル獲得。88年、日本ハムファイターズへ移籍。94年限りで現役引退。現役通算成績は、2638試合、2204安打、382本塁打、1234打点、打率.272。現役引退後は、解説者や指導者として活躍。2000年から02年まで日本ハムファイターズの監督を務めた。また、06年第1回WBCでは日本代表チームの打撃コーチに就任。チームの初優勝に貢献した。2016年、大腸癌(ステージ4)と転移性肝臓癌が発覚。同年11月に大腸癌切除手術を受け、現在も抗癌剤治療を続けている。
取材・文/田中周治 (たなか・しゅうじ)
1970年、静岡県生まれ。東京学芸大学卒業後、フリーライターとして活動。週刊誌、情報誌などにインタビュー記事を中心に寄稿。また『サウスポー論』(和田毅・杉内俊哉・著/KKベストセラーズ)、『一瞬に生きる』(小久保裕紀・著/小学館)、『心の伸びしろ』(石井琢朗・著/KKベストセラーズ)など書籍の構成・編集を担当。現在、田中晶のペンネームで原作を手掛けるプロ野球漫画『クローザー』(作画・島崎康行)が『漫画ゴラクスペシャル』で連載中。
撮影/藤岡雅樹