取材・文/田中周治
プロ野球解説者の大島康徳さんの癌が見つかったのは、2016年のことだった。大腸癌ステージ4。肝臓にも転移していた。手術を受けなければ余命は1年。医師にそう宣告された。突然の癌宣告に大島さんはどう向き合ったのか。癌発覚から手術、そして抗癌剤治療を続ける現在までの経緯を振り返ってもらいながら、当時の心境を語ってもらった。家族の存在。野球人であることの幸せ。癌患者が暮らしやすい社会。自分が癌患者になったからこそ初めて気づけたこととは何なのか、3回に渡ってお伝えする。
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医師からはできるだけ早い時期の手術を勧められた
「ちょっと痩せすぎじゃない?」
大島康徳さんの癌が発覚したのは、ナオミ夫人のそんな一言からだった。
年に一度の定期健診で、血糖値がやや高めだったため、ちょうど糖尿病予防のダイエットを始めていた時期でもあった。
「定期健診の結果は、毎回そんなに気にしてなかったんです。細かい数値が上下しても、そんなに関心がなかった。便に潜血反応が出たこともあったけれど、次の検査では消えている。痔を患っていたので、その影響かな、という認識でした。ただ、糖尿病に関しては、食事制限になって『好きなものを食べられなくなるのは嫌だなあ』と思ったので、普段の食事の量をセーブしようと心掛けたわけです」
大島さんが定期健診を受けたのが、2016年1月のこと。4月になり、プロ野球のシーズンが始まると、仕事現場で「大島さん、痩せましたね」と声を掛けられる機会が多くなった。だがこの時も本人は「ダイエットの効果が出てきたかな」程度にしか考えなかったそうだ。
「ところが、家族に言わせると私が食事の量をそこまで制限しているようには見えないと言うんです。それなのに、そこまで痩せるのは明らかにおかしい。そこで妻が、一度、きちんと検査をしてほしい……と。当初は乗り気ではなかったんですが、『私も一緒についていく』というので、仕方なく近所の掛かりつけの病院で検査を受けたわけです。プロ野球のレギュラーシーズンが終わり、解説の仕事もひと段落した10月のことでした」
その結果、すぐに精密検査が必要だと言われ、2日後には総合病院に足を運んだ。診断結果は大腸(S状結腸)癌&転移性肝臓癌。ステージ4。このまま放置すれば余命1年という非情な宣告だった。
「1年では何もできないと思いました」
当然、医師からはできるだけ早い時期の手術を勧められた。しかし大島さんは、即座には決断できなかった。
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