文/後藤雅洋
今回のテーマはジャズ・ライヴの魅力です。現在ではなどで音楽を聴くことが当たり前のようになっていますが、19世紀後半にエジソンが蓄音機を発明し、20世紀初頭にエジソン研究所で働いていたレジナルド・フェッセンデンという研究者がラジオの原理を発明するまで、音楽はライヴしかありませんでした。ジャズも1917年に初めてのジャズの演奏が記録(本誌全巻予約特典CDに収録)されるまで、ジャズを聴くなら、演奏されている現場に行かなければならなかったのです。
ジャズのライヴではいろいろなことが起こります。リーダーが楽屋で一杯飲んでいる間、サイドマンたちが懸命に時間稼ぎをしたり、観客の話し声に怒ったミュージシャンが突如演説を始めたり……とりわけ型破りなミュージシャンが多いジャズの世界では、こうした「音楽以外」の見ものも含め、「ジャズ」なのです。
ライヴの対極にあるのは「レコード芸術」という考え方でしょう。クラシック専門誌のタイトルにもなっていますが、私たちに馴染みのあるのは、1967年に録音されたビートルズの傑作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(パーロフォン)が最初の例ではないでしょうか。このアルバムでは、レコードでなければ体験できない「録音技術による音楽表現」が話題を呼びました。
クラシックでは作曲家の楽譜という決定的なものがあるので、それぞれの演奏家の解釈の幅を含めたうえでも「完成度を高めよう」という発想が出てくる。クラシック録音の現場では、ミスした部分を編集技術で補ったりすることはごく普通に行なわれているといいます。そしてポピュラー・ミュージックでは、「編集」は言うまでもなく、現在では歌手の音程の狂いを修正する技術まで導入されています。こうなると「レコードによる芸術」という言い方ではすまない「二次的加工作品」になりますね。しかし、そこでも求められているのは、それぞれのジャンルでの「音楽としての完成度の高さ」なのだと思います。要するにライヴの対極ともいえる「レコード芸術」が目指すのは、スタジオでじっくりと作り込もうという考え方でしょう。
それに対し、ジャズで求められているのはせいぜい「アルバムとしての完成度」という発想で、「演奏の完成度」ということになると、微妙な問題が出てくるのです。そしてこの「微妙な問題」こそが、ジャズ・ライヴの魅力を解く鍵となるのです。
そのことを理解していただくため、もう一度おさらいしてみましょう。第8号「ジャズ史①」で、ルイ・アームストロングを取り上げ、「個性的表現」こそがジャズの重要な特徴であり、聴きどころであるという話をしました。「声質、ニュアンス、表情、肌触りといった、譜面に記すことが難しい『人間的』な細部の積み重ね」が、ルイの歌唱の魅力であり、それを楽器に置き換えれば、現代にも連なる「ジャズ」の重要な魅力の源泉だと説明しましたね。
さて、こうした「ニュアンス、表情、肌触り」といった、きわめて人間的で個人的な要素に、「完成度の高さ」などという杓子定規な考え方があてはまるのでしょうか? せいぜいが「自分らしさを出しきれているか」ということでしょう。「自分らしさ」の中身は複雑ですし、それこそ「人さまざま」です。
もうおわかりですよね。各人の個性が聴きどころのジャズでは、クラシックやポピュラー・ミュージックのように「音楽としての完成度を追求する」発想は、微妙にポイントがずれている。その代わりに求められているのが、それぞれのミュージシャンの個性が十全に発揮されているかどうかということなのです。
■ライヴこそジャズの〝現場〟
ところで、私たちは「ジャズ名盤」でジャズに親しんできたので、無意識のうちにジャズマンの主たる表現媒体はレコードだと思っている節がありますが、これは錯覚なのです。
チャーリー・パーカー(アルト・サックス)はじめ、マイルス・デイヴィス(トランペット)もビル・エヴァンス(ピアノ)も、そして多くのジャズマンたちにとって、クラブやコンサート・ホールでのライヴ演奏こそが主たる「表現の場」であり、また生活基盤でもあったのです。
とりわけパーカーなどは、スタジオにおけるレコーディングは「ちょっとした小遣い稼ぎ」ぐらいにしか思っていなかった節がうかがえます。その証拠に、レコードの印税の権利を簡単に麻薬の売人に売り払ったりしている。また、聡明かつしたたかなマイルスは、明らかにスタジオにおけるレコーディングとライヴ演奏での顔を使い分けているのです。
パーカーがレコードにあまり重きを置いていなかったのは、当時SPの録音時間が3分程度と短かったことも無関係とはいえないでしょう。当然制限時間内で演奏を「まとめ」ねばなりません。これではパーカー本来の能力が発揮しづらい。もっとも、こうした「制限」があってもあれだけの感動を私たちに与えてくれたパーカーの偉大さには驚くべきなのですが……。
また、マイルスはスタジオでは、「卵の殻の上を渡っていく」と称された繊細でリリカルな側面を強調しましたが、ライヴ・レコーディングでは、これが同じ人間かと思えるようなアグレッシヴな演奏を展開しています。
もちろん、彼らのライヴそのものの再現はできませんが、ライヴの魅力を近似的に切り取った「ライヴ・レコーディングならではの聴きどころ」の一端は、理解いただけるのではないでしょうか。
文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ )
1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。
>>「隔週刊CDつきジャズ耳養成マガジン JAZZ100年」のページを見る
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