文/後藤雅洋
■歴史が証明した先進性
「ジャズ100年」を迎えた今、すでに大御所の風格を備えたカサンドラ・ウィルソンが、きわめて先端的なジャズ・ヴォーカリストであり、時代を先取りした存在だったということが明確に見えてきました。
彼女が私たちの前に姿を現したのは1980年代の後半、日本はバブル景気の真っただ中。そして文化状況は、今や懐かしの「ポスト・モダン」などという言葉も流行し、全体として、「ちょっと知的なお祭り騒ぎ」が日本を席巻していたのです。
こうした状況はジャズにとってプラスに作用していました。「企業メセナ」、つまり企業が昔の王侯貴族のように、積極的にジャズを含む文化事業にお金を出してくれたのです。全国各地で一流企業の支援によって大規模なジャズ・フェスティヴァルが開催され、同時に、ちょっと実験的だったり前衛的な試みにも、企業もジャズ・ファンも好意的な姿勢で接したのです。
こうした高揚した気分の中、カサンドラは、1988年に日本のレコード会社が立ち上げた新レーベル「バンブー」の第1弾アーティストとして、『ブルー・スカイ』を発表。それまではドイツのインディーズ・レーベル「JMT」からアルバムをリリースしていた、知る人ぞ知る存在だったカサンドラでしたが、ここで大きな注目を集めることになりました。
新譜発売直後の来日公演がきわめて印象的でした。そのころカサンドラが活動をともにしていたアルト・サックス奏者、スティーヴ・コールマン率いる「ファイヴ・エレメンツ」というグループを引き連れたライヴが東京・渋谷の「クラブ・クアトロ」で行なわれたのです。
公演は昼と夜の2回。昼の公演は発売されたばかりの新譜『ブルー・スカイ』のプロモーションで、このアルバムに収められていたスタンダード・ナンバー中心の比較的穏当なステージは、好感こそもてましたが、「まだ何かあるはず」という思いが拭えませんでした。
その予感は夜のステージで現実のものとなりました。昼間の伝統的な「歌い手とその歌伴」という趣だった演奏風景が一変し、「ファイヴ・エレメンツ」と一体化した、じつにダイナミックな「チーム・プレイ」が聴けたのです!
採り上げた楽曲も先鋭的な彼らのオリジナル曲が中心で、歌うカサンドラの表情もじつに生き生きとしていました。そして見えてきたのは、カサンドラがジャズ・ヴォーカルの伝統に連なる自由闊達さを体現する歌手だということです。
私はこの夜のバック・バンドと一体化したダイナミックなステージを見て、いっぺんでカサンドラのファンとなったのでした。
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