文/砂原浩太朗(小説家)

「令和」の宴をともにした二人の万葉歌人~大伴旅人と山上憶良にっぽん歴史夜話16】

新元号「令和」の出典として注目を浴びた万葉集。奈良時代に成立した、現存する日本最古の歌集であり、短歌や長歌を中心に4500首以上の歌が収められている。新元号の典拠となったのは、全20巻のうち巻5、梅の花を歌った32首の序文から。「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ」(折しも、初春の正月の佳い月で、気は良く風は穏やかである。以下、読み下しと解釈は、小学館『新編日本古典文学全集』による)。

この後につづく歌は、天平2(730)年、大宰帥(だざいのそち=大宰府の長官)大伴旅人(たびと。665~731)の邸宅で催された宴会の席上、詠まれたもの。つどった面々が梅の花をテーマとした作品を思い思いに披露している。

ここまでは元号にまつわる報道でも紹介されているが、その宴に、旅人以外にも第一級の知名度を誇る万葉歌人が加わっていたことは、さほど知られていない。

大宰府で出会った二人

その人物とは、山上憶良(やまのうえのおくら。660~?)。「銀(しろかね)も金(くがね)も玉もなにせむに優れる宝子に及(し)かめやも」(銀も金も珠玉もどうして優れた宝といえよう 子にまさろうか)で、あまりにも有名な歌人である。ほかにも、生活の哀感を表現した「貧窮問答歌」など、万葉歌人のなかでもいまだにファンの多い存在と言える。名門出身の旅人とは異なり下級官人というべき身分だが、遣唐使の一員として大陸に渡った経験があり、聖武天皇(在位724~749)の皇太子時代、教育係に任じられてもいるから、優秀な人物であったことはまちがいない。渡来人(中国や朝鮮半島から渡ってきた者の子孫)であるという見方も根づよい。

憶良が筑前(福岡県)の国守として九州へ下向した時期には諸説あるが、宴のあるじである旅人よりは何年か先んじていたようだ。大宰府は九州全体を統括する役所であり、ふたりは上司と部下の関係といえる。旅人が任地へおもむいたのは神亀5(728)年とされるから、梅花の宴から2年まえ。ふたりの万葉歌人は、九州の地ではじめてまみえたものと思われる。交流のきっかけとなったのは、ひとつの哀切な死だった。

花ひらく詩魂

大伴氏は古代からつづく名族で、大伴金村(かなむら)は、継体天皇(6世紀前半)の即位に功があったという。旅人の時代にはすでに往時の勢力を失っていたが、名門であることには変わりない。大宰府の長官として申し分のない人物だった。

ところが、赴任早々に妻を亡くしてしまう。「世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり」(世の中は空しいものだと思い知った今こそ いよいよ益々悲しく思われることです)と嘆く旅人へ、憶良が歌を捧げた。「妹(いも)が見し楝の花は散りぬべし 我が泣く涙いまだ干なくに」(妻が見た楝〈おうち〉の花はもう散ってしまいそうだ わたしの泣く涙はまだ乾かないのに)など、「日本挽歌」と題する一連の作で、旅人自身の視点に立って哀しみを歌い上げたのである。これこそ、ふたりの文学的交流がはじまった瞬間といっていい。

事実、万葉集に収録された旅人の歌は、大宰府赴任後のものが中心となっている。また、憶良の代表作である「貧窮問答歌」や、さきの「銀も金も玉も」も、ことごとく九州下向後に詠まれたもの。名族ながら藤原氏の陰に隠れ政治の表舞台から遠ざけられた旅人と、すぐれた資質にもかかわらず、身分の壁にはばまれ官僚としてめぐまれた人生を送ったとは言いがたい憶良。ともに不遇感をいだいて九州へおもむいたであろうふたつの詩魂が、出会いによって花開いたと想像することは楽しい。くだんの宴でも、二人は梅の花を詠んだ歌をそれぞれに残している。ここでは、あるじ旅人の作品を紹介しよう。「我が園に梅の花散るひさかたの 天(あめ)より雪の流れ来るかも」(わが園に梅の花が散る 〈ひさかたの〉天から雪が流れて来るのだろうか)。

そして人生はつづく

が、ふたりの交流はけっして長くなかった。宴のあった年の末に、任をおえた旅人が帰京したのである。憶良は寂しさをにじませた見送りの歌を残しているが、これが別れとなった。翌年、旅人は都で生涯を終える。その死をはっきりと詠んだ憶良の作品は残っていないが、ふかい哀惜を感じたであろうことは想像して余りある。

憶良もほどなく帰京したとされるが、その後の人生についてくわしいことは分かっていない。作品は天平5(733)年のものが最後である。このときすでに74歳であるから、そう時を経ずして亡くなったと考えていいだろう。ふたりが晩年、九州時代の文学的交流をどのように思い起こしていたのかは、残念ながら知る由もない。この先は小説の領域である。
ふたりの歌をあまた収録した万葉集が、旅人の子・家持(やかもち)らの編纂によって成立するのは、さらに数十年のちのことであった。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

 

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