文/砂原浩太朗(小説家)

源義経像(山口県・壇ノ浦古戦場跡)

源義経~悲劇の天才武将(前編) はこちら

「鵯越の逆落とし」の真偽

木曾義仲を討った義経と異母兄・範頼の軍勢は、休む間もなく平家討伐に向かう。義仲の敗死から出陣まで10日も経ていないのだから、そのスピードには驚くほかない。

このとき平家は都の奪回を目指し、東は生田の森、西は一の谷(ともに兵庫県神戸市)に陣営を築いていた。東国勢はここでも二手に分かれ、範頼が前者、義経は後者を攻撃する。名高い「一の谷の戦い」だが、義経は敵陣の背後にある急峻な崖を馬で駆け下って奇襲したという。いわゆる「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」(現在の鵯越とは別の位置と見られる)である。あまりにも劇的で華やかな武功だから創作のように見られがちだが、幕府の公式記録「吾妻鏡」にも記載されている。また熟練の馬術をもってすれば、垂直に近いような斜面でも駆け下りることは可能だという。すくなくとも、この奇襲を否定する積極的な材料はないといっていいだろう。坂東武者の熊谷直実が、平家の公達・敦盛を泣く泣く討ち取ったという「平家物語」のエピソードは、この折のことである。

悲劇の予兆

一の谷の勝利で、義経の武名は一気にあがった。ふつうなら勢いに乗ってこのまま平家を仕留めようとするところだが、その命令はなく、以後1年近くにわたって彼の出陣は見送られる。これにはさまざまな理由があるが、やはり頼朝が義経の声望を恐れたことも見逃せない。範頼が国司に任官した一方、義経にはそうした沙汰がなかった。範頼はしばしば自軍の窮状を兄に訴え叱責されるような人物だから、よくもわるくも頼朝の意向をうかがうところがあったのだろう。それにくらべ、独自の判断で戦場を馳駆する義経は腹立たしい存在と映ったに違いない。八幡宮の一件(前編(https://serai.jp/hobby/1071128)参照)も忘れられていなかったのではないか。

義仲を滅ぼした1184年の8月になって、範頼だけに平家追討が命じられる。義経は討伐軍の発向をむなしく見送ることとなった。無念の思いをつよく抱いたことは容易に察せられるが、これと前後して、彼は兄の許しもなく検非違使(けびいし。警察長官)に任ぜられる。御家人の任官はあくまで頼朝を通してというのが大前提だから、これは軽挙というほかなかった。後白河法皇の意向ゆえ拒みがたく、と鎌倉に書き送ってはいるが、おのれの功からして、この程度の褒賞は受けとっていいと思ったのではないか。兄への当てつけめいた感情があったかもしれない。

ところで、義経への厚遇を法皇による兄弟離間の策と見る向きもあるが、これは解釈の問題で、そうとも取れるし、そうでないとも取れるという以外ないだろう。ただ、検非違使への任官が、ふたりのあいだに決定的な断絶を生んだのは確かである。

屋島から壇ノ浦へ

もともと頼朝には、範頼を九州、義経を四国に遣わして西国の平家を一掃するという構想があったらしい。まずはそれにしたがい九州に渡った範頼だが、兵糧の不足にも苦しめられ、はかばかしい戦果をあげることができない。業を煮やした頼朝は、これまでの経緯に目をつぶり再び義経を起用する。1185(元暦2=文治元)年2月、嵐のなかを突いて出航した義経は、屋島(香川県)に本拠を置く平家軍を奇襲、敵を海上へ追い払うことに成功した。やはり「平家物語」で知られる「扇の的」の話はこのときのこと。また、奥州以来の家臣・佐藤継信が、この戦いで落命している。

そのまま兵をすすめた義経は、ついに平家との決戦に臨む。ときは3月24日、いわずとしれた壇ノ浦(山口県)の戦いである。それぞれ数百艘もの舟を駆使しての海戦であり、このいくさに敗れた平家方は、清盛の未亡人である二位の尼(時子)やおなじく孫にあたる安徳天皇など主だった者がつぎつぎと入水、一門滅亡のときを迎えた。このとき、義経が八艘飛びをしたという伝説があるが、その距離は6メートルとされている。さすがに何十キロもの鎧を着てこれだけ飛べるとは思えないが、彼個人の身体能力がすぐれていたという言い伝えが残っていたのかもしれない。

ちなみに、時刻による潮流の変化が源氏勝利の要因とする説がながく流布していたが、現在では否定されている。また、敵の漕ぎ手を射殺すという、当時としては非常識な戦略を用いたとされるが、これは「平家物語」にある話で、しかも義経が命じたと書かれているわけではない。とはいえ、いかにも奇手を好んだ彼らしいエピソードだから、筆者も大いに惹かれていることは付け加えておきたい。

腰越状

義経の武功は見事というほかないもので、彼の軍才に意を唱えられる人はまずいないだろう。赤子のころから有為転変に巻き込まれ、ふつうの武士として育ってこなかったことが自由な発想をもたらしたのかもしれないが、そうした境遇にある者がみな華々しい功を挙げられるわけでもあるまい。安易に用いたくはないが、「天才」ということばを想起せずにはいられない。

だが、栄光に酔う時間は短かった。壇ノ浦の勝報が鎌倉に届いたのは4月11日のことだが、はやくも10日後には、頼朝の信任厚い御家人・梶原景時から、義経の専横を非難する書状が到着する。これを兄弟不和の決定打と見る人もいるが、頼朝がかねてから抱いていた懸念を景時がそのまま言葉にした、という側面が強いのではなかろうか。

いずれにせよ、頼朝は弟を排除する決意をかためたらしい。生け捕られた平家の総帥・宗盛を護送してきた義経は鎌倉に入ることさえ許されず、むなしく都へ引き返す。壇ノ浦からわずか2か月後のことだから、義経本人ならずとも運命の理不尽に呆然としてしまう。このとき、自身の心情を切々と訴えた書状が「腰越状」で、記した土地の名をとってこう呼ばれている。偽作説もあるが、みずからの生い立ちに触れたくだりも多く、彼の伝記を書く上で貴重な史料であることは間違いない。

が、魂をこめた書状も頼朝の心を動かすことはできなかった。未遂に終わったが、都へもどった義経を討つべく、刺客まで送ったのである。

そして伝説へ

まことに同情のことばも浮かばぬ境涯だが、頼朝の立場からすれば、見方も変わってくる。みずからのビジョンを理解しないうえ、軍略に秀でた実の弟というわけだから、危険きわまりない存在である。政治家として古来評価の高い彼が、見過ごすはずはなかった。

とはいえ、義経にはひたすら酷い仕打ちと映ったに違いない。彼もとうとう兄と対決する意志を固める。後白河法皇に請うて頼朝追討の院宣をたまわったが、同調する武士は、ほとんどいなかった。勝ち目がないと踏んだことが大きいだろうが、梶原のみならず、ともに戦った御家人たちからは意外に信望を得ていなかったのかもしれない。残念ながら政治力の差は一見して明らかだし、おのれの才をたのむ心が、ときに他者を軽んずる態度となったこともじゅうぶんあり得る。

逃亡を余儀なくされた義経は、愛妾・静とも別れざるを得なくなる。鎌倉に連行された彼女が鶴岡八幡宮で義経を慕う舞を舞ったのは、よく知られた話である(第45回前編(https://serai.jp/hobby/1053925)参照)。

1年ほど都の付近を転々としていた義経だが、ついに居場所をうしない、奥州に向かう。かつての庇護者・藤原秀衡を頼ったのだった。が、運が尽きたとはこういうことなのだろう、1年を経ずして秀衡は病没、跡を継いだ泰衡は、頼朝の意を恐れて衣川館に義経を襲う。31歳の命が散ったのは、平家を滅ぼして4年、兄と対面を果たしてからでも、わずか9年後のことだった。

まさに一瞬の光芒というしかない生涯だが、死して800年以上、日本史上屈指のヒーローとして、源義経の名は輝きつづけている。これからも、それは変わらないだろう。そこに歴史の救いと残酷さを見る思いを抱くのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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