文/砂原浩太朗(小説家)

鶴岡八幡宮の参道・段葛(だんかずら)

1219(建保7)年1月27日、鶴岡八幡宮(鎌倉市)の境内でひとつの惨劇が起こった。鎌倉幕府の3代将軍・源実朝が、甥である僧・公暁に斬殺されたのである。実朝は28歳、彼に子がなく、公暁も討ち取られたため、以後、将軍は都から迎えられることとなった。鎌倉幕府の転換点ともいえるこの事件には、いまだ多くの謎が含まれている。実朝暗殺の真相はいかなるものだったのだろうか。

実朝という男

源実朝は頼朝と北条政子の次男。彼が生まれた1192(建久3)年は、父・頼朝が征夷大将軍に任じられた年である。また、補任された直後の誕生でもあったから、因縁めいたものを感じるのも筆者だけではあるまい。乳母には母・政子の妹である阿波局が選ばれた。北条氏が後ろ盾となったわけだ。8歳で父をうしなった折には、10歳上の兄・頼家が跡を継ぐ。が、頼家は有力御家人・比企氏を頼みにしていたため、北条氏との勢力争いに巻き込まれてしまう。ついには伊豆へ押し込められたうえ、北条の指図で殺害された。

代わって将軍位に就いたのが実朝である。1203(建仁3)年のことで、ときに12歳。「実朝」という名は、このおり後鳥羽上皇(1180~1239)から賜ったもの。翌年には、上皇のいとこにあたる女性を妻に迎えているから、京との関係はさいしょから密接だった。

「大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも」(「金槐和歌集」)など、実朝といえば歌人のイメージがつよいが、じっさい早くから歌に親しみ、18歳のときより高名な歌人・藤原定家(1162~1241)に指導を仰いでいる。書状での遣り取りではあるが、師弟関係を結んだといっていい。武芸に秀でていたという記録はないが、すでに時代は変わっている。朝廷と渡り合う上でも文化的素養は必須であり、その方面に意をそそいだからといって、武をないがしろにしたことにはならない。宿老である北条義時(政子の弟)と大江広元が武芸の重要さを説いたとか、御家人から「歌や蹴鞠ばかりしている」と批判された旨の記事が幕府の公式記録「吾妻鏡」に見られるが、これらは必要以上に実朝を「文弱の人」として印象づけようとした可能性もある。慎重に検討すべきだろう。

3代将軍として

幼くして将軍位に就いた実朝だが、18歳となった1209(承元3)年から親政を開始する。訴訟をみずから裁き、橋の修理・あらたな宿場をもうけるなどの交通施策、土地台帳の整備など、さまざまな政策を実行した。名君として名高い唐の太宗と群臣の問答録「貞観政要」を精読していたというから、意欲的に政治を行っていたのだろう。ちなみに、実朝のこうした姿勢に対して御家人たちから反発があったという痕跡はない。

ただ、若すぎる晩年に当たる1216~17年にかけての大船建造には、北条義時と大江広元が反対している。宋との交易を目指したなど、解釈の余地が多いエピソードだが、みずから大陸へ渡ろうとしたのは間違いない。結局、この船は進水することができず、計画は失敗したが、幕府実力者の反対を押し切ったのだから、実朝にそれだけの権威があったという証しでもある。

後継者問題

実朝と御台所の仲は睦まじかったようだが、婚儀から10年以上経っても子が生まれず、側室を持とうともしない。「源氏の血統は自分の代で終わる」と宣言までしているから、よほどの覚悟といえる。側室については、上皇のいとこである御台所をはばかったとも考えられるが、そこに肉体的な問題や性的指向が関わっていたのかについては推測の域を出ない。

いずれにせよ、後継者を定めねばならないのは確かである。実朝は後鳥羽上皇の皇子をつぎの将軍に迎えようと考えた。母である政子と叔父にあたる北条時房が上洛し、朝廷との交渉に当たる。また先のことになるが、実朝の死後もこの折衝はつづけられたから、執権・北条義時をはじめとする宿老もこの方針に同意したと見るのが自然である。後述する実朝暗殺の原因として、皇族将軍への反発があったとする見解は、まず成り立たない。

上皇の覚えめでたからぬはずはなく、実朝は目覚ましい昇進を遂げてゆく。1218(建保6)年、亡父頼朝を越えて左近衛大将(左大将)、次いで内大臣、右大臣と、武家として破格の官位を手に入れた。これは「官打(かんうち)」なる呪詛で、身のほどを過ぎた官職を与え、災いを呼ぶよう仕向けたという説があるが、結果から導いた憶測にすぎないだろう。

翌1219年1月、実朝は右大臣就任を祝して鶴岡八幡宮に詣でる。これが運命の日となった。

3代将軍・源実朝暗殺の謎(後編)に続く

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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