道因法師(どういんほうし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた人物です。俗名を藤原敦頼(ふじわらのあつより)といい、由緒ある公家の出身でした。宮中では右馬助(うまのすけ)という、馬の飼育管理を担当する役職に就き、従五位上まで昇進しました。これは中級貴族としては相応の地位といえるでしょう。
特筆すべきは、その和歌に対する並外れた情熱です。彼は当時開かれた主要な歌合(うたあわせ)に、ほとんどすべて参加していたと言われます。驚くべきことに、その多くは彼が70歳、80歳という高齢になってからのこと。当時の平均寿命を考えれば、まさに生涯をかけて歌を詠み続けた「歌の求道者」でした。
歌合の席で、あまりに熱中するあまり若い公卿にからかわれ、悔し涙を流したという逸話も残っています。その姿は、周囲には滑稽に映ったかもしれませんが、老いてなお衰えぬ情熱と純粋さの表れといえるでしょう。
彼の歌が力強い説得力を持つのは、こうした人生そのものを和歌に捧げた背景があるからなのです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
道因法師の百人一首「思ひわび~」の全文と現代語訳
道因法師が詠んだ有名な和歌は?
道因法師、ゆかりの地
最後に
道因法師の百人一首「思ひわび~」の全文と現代語訳
思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり
【現代語訳】
つれない人ゆえに思い悩んで、それでも命はこうしてあるものなのに、そのつらさに堪えないでこぼれ落ちるのは涙だったよ。
『小倉百人一首』82番、『千載集』818番に収められています。一見すると単純に見える歌ですが、その奥には深い人生観が込められています。
「思ひわび」は「思い悩んで困り果てる」という意味で、人生の様々な困難や苦悩を表現しています。「さても」は「それでも」「そうはいっても」という逆接の意味を持ち、現実を受け入れようとする気持ちを示しています。
「命はあるものを」の「ものを」は詠嘆の助詞で、「命というものは(なんとか)あるものだなあ」という感慨を表現しています。つまり、どんなに辛くても命はなんとか保たれているという、ある種の諦観と受容の気持ちが込められています。
この歌は「恋のつらさ」とも「人生の苦しさ」とも取ることができます。当時の宮廷社会には身分や立場ゆえの複雑な人間模様がありました。出家した道因法師もまた、そのなかで葛藤を抱えつつ、人生の機微を静かに詠んだのかもしれません。
現代を生きる私たちにとっても、「心の痛みは消えなくても、命は続き、涙がこぼれる」という普遍的な感情は、年齢や立場を超えて共感できるものです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
道因法師が詠んだ有名な和歌は?
道因法師は並外れた歌への情熱があっただけあり、多くの秀歌を残しています。その中から一首紹介します。

夕まぐれ さてもや秋は 悲しきと 鹿の音きかぬ 人にとはばや
【現代語訳】
ほの暗い夕方、鹿の哀れ深い声が聞こえてくる。この鹿の声を聞いていない人に問うてみたいものだ。それでもやはり秋は悲しいものか、と。
『千載集』321番に収められています。秋の夕暮は悲しいものとされていますが、その悲哀も鹿の声を聞けばこそ。鹿鳴の哀感の深さを、人に問いただす形で強調している歌です。
道因法師、ゆかりの地
道因法師ゆかりの地をご紹介します。
住吉大社
大阪市住吉区にある住吉大社。摂津国一宮、二十二社のひとつで、全国にある住吉神社の総本山です。『無名抄』には、道因法師が70、80歳の老年になってもなお、優れた歌を詠むことができるよう祈願するため、京都から大阪の住吉大社まで毎月徒歩で参拝していたという逸話が記されています。
最後に
道因法師「思ひわび~」の歌は、恋の失意を詠みながらも、人生の無常と切実な心を静かに語りかけてくれます。シニア世代の皆様が、この歌を読み、ご自身の人生を振り返り、今をしみじみと味わうきっかけになれば幸いです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
