ジャズ・スタンダード必聴名曲(1)「イズント・シー・ラヴリー」
文/池上信次
「イズント・シー・ラヴリー」は、スティーヴィー・ワンダーの作詞・作曲。オリジナル・ヴァージョンは、1976年9月にアメリカでリリースされたスティーヴィーのアルバム『キー・オブ・ライフ』(モータウン/写真)に収録されています。現在は「イズント・シー・ラヴリー」の原題のほうが通りがいいと思いますが、発表当時の邦題は「可愛いアイシャ」で、現在も国内盤はこの表記です。「アイシャ」はスティーヴィーの娘の名前(歌詞には3コーラス目に登場)で、これは彼女の誕生の喜びを歌った歌です。意外なことにこの曲は、アメリカでも日本でもシングル盤は発売されませんでした。それにもかかわらず、誰もがきっとどこかで耳にしているに違いない、ポップス史上有数の名曲です。
では、この「ポップス」がどうして「ジャズ・スタンダード」となったのでしょうか。
この曲をジャズとして最初に録音したのは、おそらく(当時新人)ギタリストのリー・リトナーでしょう。スティーヴィーがこの曲を発表した76年9月から翌77年2月にかけて録音された『キャプテン・フィンガーズ』(1)に、リトナーはヴォーカルをフィーチャーした演奏を収録しています。スティーヴィーのリズム・パターンを生かした、当時のジャズの最先端である「フュージョン」の典型的なアレンジで、アドリブもたっぷり弾きまくったじつにジャジーなサウンドです。スティーヴィー自身のヴァージョンがヒットしている時期で、なおかつヴォーカル入りですから、「最新ヒット曲のカヴァー」として聴かれていたでしょうが、この名曲にいち早く目をつけ、自分のものとしてしまったリトナーのセンスはさすがというべきものでしょう。
そして、同じ77年の6月には、ヴァイブラフォンのミルト・ジャクソンが録音【『ソウル・フュージョン』(コンコード)収録】、8月にはなんと「テナー・サックスの巨人」ソニー・ロリンズもこの曲を録音しました(2)。ジャズの大御所が相次いで同じ最新の(しかもシングル盤も出ていない)ポップスを取り上げたことは驚きです。さらに同年にはピアニストのヴィクター・フェルドマンもピアノ・トリオ編成で発表しています【『ジ・アートフル・ドジャー』(コンコード)収録】。いずれの演奏もまずテーマを演奏し、そのあとはアドリブ・ソロを回すという、誰が聴いても「ジャズの曲」という構成です。
さらにその翌年の78年1月には、1940年代から活躍する大ベテラン・バンド・リーダー、ウディ・ハーマンが自身のビッグ・バンドで録音しました【『ロード・ファーザー』(センチュリー)】。こちらは完全なジャズ・ビッグ・バンドのスタイルで、スティーヴィーに馴染みのない人には、ハーマンの新曲に聴こえたかもしれません。同年にはヴォーカルのフレディ・コールも録音を残しています。
このように、スティーヴィーの発表から2年足らずの間に、新人から大ベテランまで多くのジャズマンがこの曲を取り上げたのです。それにより、またそれらの相乗効果で、この曲は一気にジャズマンとジャズ・リスナーの間に広まりました。これほどジャズマンが即座に反応したポップス曲は珍しいといえます。その理由のひとつは、親しみやすいメロディをもっていながらも、4ビートはもちろん、フュージョンからビッグ・バンドまで、どのように料理してもジャズにできる懐の広さがある(応用がきく)ということでしょう。つまりミュージシャンによって、それぞれ違う「聴かせどころ」がアピールしやすいのですね。
その後も80年代のアート・ペッパー(アルト・サックス(3))から、2000年代のジャッキー・テラソン(ピアノ)、デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス(4))など、多くのジャズマンがこの曲を演奏しています。最初に取り上げたミュージシャンには、スティーヴィーのヒットにあやかるという意識もあったでしょうが、ここまでくるともうスティーヴィー・ヒットのイメージは希薄になって、曲が「独り立ち」したといえます。これが「スタンダード」化です。現在ではアマチュアのジャム・セッションでもよく取り上げられるほどのジャズ・スタンダードになりました。
「イズント・シー・ラヴリー」名演収録アルバムと聴きどころ
(1)リー・リトナー『キャプテン・フィンガーズ』(エピック)
演奏:リー・リトナー(ギター)、デヴィッド・フォスター(キーボード)、レイ・パーカーJr.(ギター)、マイク・ポーカロ(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)、スティーヴ・フォアマン(パーカッション)、ビル・チャンプリン(ヴォーカル)
録音:1976年9月〜77年2月
「新人」ギタリスト、リトナーは、いち早くスティーヴィー・ヒットをカヴァー。ヴォーカルをフィーチャーし、TOTOのリズム・セクションら豪華セッション・メンバーを従えたAOR/フュージョンのサウンドは当時の最先端でした。でも「流行りもの」に終わることなく、発表から40年以上を経た現在でも、古さはまったく感じられません。
(2)ソニー・ロリンズ『イージー・リヴィング』(マイルストーン)
演奏:ソニー・ロリンズ(テナー・サックス)、ジョージ・デューク(ピアノ)、チャールズ・イカルス・ジョンソン(ギター)、バイロン・ミラー(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)
録音:1977年8月3〜6日
ロリンズの魅力は「アドリブ命」。ロリンズにとっては取り上げる曲がポップスでもジャズでも、要はどこまで自由奔放にアドリブができる曲かどうかが重要なのです。この楽曲の魅力のひとつは、コード進行がジャズのアドリブ演奏に向いていること。ここではそれが見事にハマり、ロリンズの持ち味が全開で発揮された名演が生まれました。
(3)アート・ペッパー『ゴーイン・ホーム』(ギャラクシー)
演奏:アート・ペッパー(クラリネット、アルト・サックス)、ジョージ・ケイブルス(ピアノ)
録音:1982年5月11〜12日
「伝説の巨人」ペッパーまでもがスティーヴィー? これは共演のケイブルスのアイデアだったといいます。しかし、ペッパーはノリノリ。クラリネットでアドリブを始めますが、ピアノのソロのあとにはアルト・サックスに持ち替えてさらにアドリブを続けています。この曲には演奏者を鼓舞する不思議な魅力があるのですね。
(4)デヴィッド・サンボーン『タイムアゲイン』(ヴァーヴ)
演奏:デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)、リッキー・ピーターソン(キーボード)、ラッセル・マローン(ギター)、クリスチャン・マクブライド(ベース)、スティーヴ・ガッド(ドラムス)
発表:2003年
この曲は、サンボーンが発表した2003年には「ジャズ・スタンダード」として定着。つまりいかようにも料理ができる「素材」になっているのですが、なんとサンボーンはアドリブなし、ぐっとテンポを落としてテーマ・メロディのみを演奏しました。ロリンズとは対極ですが、これもまた「個性の音楽」ジャズ表現のひとつなのです。
※本稿では『 』はアルバム・タイトル、そのあとに続く( )はレーベルを示します。ジャケット写真は一部のみ掲載しています。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。