文/池上信次
前回(https://serai.jp/hobby/1194256)の「名画ジャケット」の続きです。今回はマティス。
アンリ・マティス(1869-1954)は、絵画、彫刻、版画など、さまざまな作風の美術作品で知られますが、ロリンズのジャケットに使われているのはマティスが晩年に取り組んだ「切り紙絵」作品。これは、1947年に発表されたマティスのアート・ブック『Jazz』に収録された切り紙絵20点のうちの1枚。タイトルは「ハート」。ロリンズにゴリゴリのハードなジャズのイメージをもつ人にとっては、けっこう「衝撃」のデザインではないでしょうか。演奏は当時のロリンズの路線のままで、なにか特別なことをしているというわけではありませんが、この絵に「ジャズに恋して」というタイトルが並ぶと、ロリンズらしからぬ(?)ロマンティックなサックスが想像されますね。もちろん、このタイトルのネタの、ロジャース&ハートのスタンダード曲「恋に恋して(Falling In Love With Love)」も演っています。
えー、ではこちらをご覧ください。
はい、同じ絵です。こちらはロリンズより20年以上前、1965年録音のヘレン・メリルのアルバムです。面白いことに、ロリンズのアルバムもメリルのアルバムも同じマイルストーン・レコード(レーベル)からリリースされているのです。『〜ミューチュアル』のプロデューサーであり、実質共同リーダーのピアニスト、ディック・カッツはマイルストーン・レコードの創設者のひとりなのでした(共同創設者のオーリン・キープニューズの方は有名ですね)。他社だとクレームにもなりそうですが、あらかじめスムースに話は通っていたのでしょう。
でも市場に同じ絵柄で同じジャンルに流通し、しかもとても有名な美術作品となれば混乱もするでしょうし、「パクり」に見えれば、見識も問われるところですが、リリース当時はそんな話はなかったと記憶します。なぜかといえば、メリルのアルバムはその時すでに別のジャケットになっていたから。もちろんロリンズに譲るとかいうことではなく、その前からのこと。というのは、このアルバムはメリル個人が原盤権を持っているようで、マイルストーンのあと、別レーベルから別ジャケットで何回もリリースされているのです。そのうちの1枚と、最新のジャケットがこれです。タイトルはいずれも同じ『ザ・フィーリング・イズ・ミューチュアル』。内容も同じです。
さて、あなたならジャケットの情報だけならどのアルバムを選びますか? マティスのイメージを借りたロマンティックなイメージ、昔風の雰囲気、またこの作品の売りのひとつである「豪華セッション」か。ジャケットは、まさに「顔」なんですね。
なお、画像はありませんが、このほかにも、ウィントン・マルサリスの『マジェスティ・オブ・ザ・ブルース』(Columbia)で、マティス『Jazz』シリーズの「イカロス」が使われています。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』シリーズを刊行。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。