文/池上信次
先ごろジョージ・ベンソンの自伝の日本語訳『ジョージ・ベンソン自伝』(野口結加訳、論創社/以下、自伝)が出版されました。これはベンソンとアラン・ゴールドシャーの共著によるもので、オリジナルは2014年にアメリカで出版されました。これまでベンソンの評伝の類はほとんどなかったため、まさに待望の出版となりました。
1943年の誕生から2013年まで、ローカル・ミュージシャンからポップスの大スターとなる道のりが、さまざまなエピソードで綴られています。ジョージ・ベンソンは、ギターとヴォーカルの二刀流で、その両方でグラミー賞を受賞(全8回)しているジャズ・ジャイアント。ですから、やはり気になるのはギタリストからヴォーカリストへ転身することになった部分ですね。ベンソンは1976年発表のアルバム『ブリージン』に収録された、自身のヴォーカル曲「マスカレード」(レオン・ラッセル作詞作曲)が大ヒットし、これにより、「歌も歌えるギタリスト」から「ギターも上手いヴォーカリスト」に世間の認識が変わりました。ベンソン本人はどう考えていたのでしょうか。
「マスカレード」のレコーディングについて、これまで伝えられていたエピソードとしては、プロデューサー、トミー・リピューマの評伝『トミー・リピューマのバラード』(ベン・シドラン著、吉成伸幸、アンジェロ訳、シンコーミュージック・エンタテイメント)にこのような記述があります。
(前略)インストゥルメンタルとなる「マスカレード」に取り掛かる前に、レオン・ラッセルのオリジナルを聴いていると、ジョージ(ベンソン)がそれに合わせて歌い始めた。そのヴォーカルがあまりにも素晴らしい出来だったので、ギリギリのところでトミー(リピューマ)はフィル・アップチャーチの奥さんにタワー・レコードでこのアルバムを買ってきて欲しいと頼んだ。そしてスタジオに戻って来た彼女が歌詞を書き写した。こうして、この曲はヴォーカルものとして録音され、シングル・チャートの1位となった。
自伝のほうには、同じときの状況がこう記されています。
(前略)シンガーソングライターのレオン・ラッセルの曲で、すでにカーペンターズとヘレン・レディが歌っていた「マスカレード」は1回で録り終えた。そして私は、この曲が、ビルボードに入るとは、まったく微塵も思っていなかった。(中略)ここで正直に告白すると、我らがプロデューサーのトミー・リピューマは、私に「マスカレード」を歌わせようとやっきになって事前に何度となくこの曲を私に見せていたのだが、その時点でも私は、レオン・ラッセルについて何にも知らず、それを調べてみようともしていなかった。ついに我々がスタジオ入りすると、彼は私を部屋の片隅に呼び寄せて言った。「ジョージ、君はあの曲をどう思うかね」。「なんの曲のことですか」。「〈マスカレード〉だよ」。私がそれを聴いていないと口に出すよりも先にホルヘ・ダルトが言った。「ああ、それは僕がお気に入りの曲だよ。レオン・ラッセルなんだ。彼は素晴らしいよ」。
「たまたま」〈マスカレード〉ではなく、トミー・リピューマとしては、なんとしても〈マスカレード〉だったのです。このホルヘ・ダルトの言葉を受けてベンソンはこの曲の良さを認識し、ヴォーカルで録音することになるのですが、ベンソンはこれ以前からヴォーカル曲も多数録音してきていましたから、自伝のストーリーのほうが説得力がありますね。
「たまたま」歌ってみたものがとてもよく、それを見出したプロデューサーの慧眼と判断の結果が大ヒットというストーリーは、アルトラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」の「伝説」(第211回で紹介 https://serai.jp/hobby/1134977)を思い出させますが、大ヒットには「たまたま」はありえず、周到な準備の結果というのが現実なのでしょう。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』シリーズを刊行。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。