文/池上信次

ここ何回かは、1950年代末から60年代初頭のジャズ日本盤の発売状況について紹介してきましたが、今回はその時期の「ソフトウェア」事情について。ジャズの最初の録音とされる1917年から80年代のCD登場までの長きにわたり、ジャズの音楽観賞ソフトは「レコード」がその中心でした。円盤に刻まれた音溝から振動を拾って再生するという、レコードの基本的な機構はずっと変わりませんが、その間に大きな変化は2回ありました。1回目は、50年代初頭にSPからLPとEPにフォーマットが変わったこと。そして2回目は、50年代末からの「ステレオ」レコードの登場です。これはちょうどジャズの日本盤が盛んに発売された時期と重なります。当時、ジャズの「ステレオ日本盤」はどのような状況だったのでしょう。

まずはアメリカの「ステレオ盤」状況を見てみましょう。アメリカの音楽業界紙『Billboard』の1957年12月16日号の記事には、「12月13日、ニューヨークでオーディオ・フィディリティ社が、大量生産ステレオ・ディスクのデモンストレーションを行なった」というニュースがあります。それまでも実験的なステレオ・レコードはありましたが、大量生産ができ一般的な商品として販売できるものはこれが初めてのものでした。また、同号の1ページ全面広告では同社社長が「初の商業用ステレオ・ディスクに対する大きな反響に応え、(再生機器開発のサポートとして)業界各社に無償でそのレコードを提供する(要旨)」とアナウンスしています。そして翌58年3月に、同社から4枚のステレオ・レコードが初めて発売されました。

その4枚とは『ジョニー・プレオ・アンド・ヒズ・ハーモニカ・ギャング vol.1』『レイルロード/サウンズ・オブ・バニシング・エラ・スティーム・アンド・ディーゼル』『ライオネル/ライオネル・ハンプトン・アンド・ヒズ・オーケストラ』『マーチング・アロング・ウィズ・ザ・デュークス・オブ・ディキシーランド vol.3』。『レイルロード』は機関車の音のフィールド・レコーディング。いかにも「初ステレオ」の内容ですね。

さて、当時日本ではどんな状況だったでしょうか。ジャズ専門誌『スイングジャーナル』1958年6月号には、「新しいHi-Fi技術 立体再生と45/45ステレオディスクについて」という1ページほどの記事があります。そこには(現在も変わらない)ステレオ規格「45/45」についての解説と、アメリカでオーディオ・フィディリティ社が4枚のステレオ・レコードを出したことが記されています。そして「日本ではビクターから早くもこのレコードが発売されるうわさがあり(後略)」とまとめられています。当時の同誌にはオーディオ機器の紹介や広告がたいへん多いのですが、当然ながらすべてモノラルです。ステレオはまだ「海外」の話なのです。

しかしその3か月前の『Billboard』同年3月17日号には、「Stereo Disks Making Big Strides in Japan(日本におけるステレオ・ディスクの躍進)」と題された記事があり、日本のレコード会社各社がステレオ・レコードに大きな関心をもって技術開発を進めている旨が記されています。当時の日本のレコード・メーカーの技術とマーケットは、アメリカ音楽業界人からはかなり注目されていたようです。

『スイングジャーナル』同年8月号には、「ジャズの立体再生について」という3ページの記事が載っています。そこには(LPレコードの登場に次ぐ)「再生音楽の第2の革命」として「1本溝の立体レコード」が紹介されています。続いて9月号には「SDレコード時代来る」という小さなコラムがあり、「ステレオ・レコードはアメリカ、イギリスではステレオ・ディスクあるいはディスク・ステレオと称しています。このステレオ・ディスクを縮めたSDという略語がLPの相対語としてすでに流行しているようです」と書かれています(後にも先にもステレオが「SDレコード」と書かれたのはこの時だけのようですが)。まだまだ実体は掴まれていない感じです。

そして同年10月号には「立体レコードを聴く人のために」(3ページ)が掲載され、そこには「待望の日本プレスのステレオ・レコードが8月1日ビクターから発売されました。(中略)意外に早くその時代がやって来たようです。日本はこれでアメリカ、イギリスについで世界で第3番目の立体レコード発売の国となった訳です」とあり、そのタイトルが紹介されていますが、ポピュラーとクラシックが中心で、ジャズはまだありません。そして再生装置と再生方法が解説されているのですが、「最もローコストな方法」として、ステレオ・カートリッジのほかは従来のセットにラジオを追加することとあったりと、紹介する側の「ステレオ」システムの認識もまだまだのようです。なお、この号で初めて国産ステレオ・カートリッジの広告が掲載されました。

この時点ではまだジャズの日本盤ステレオ・ジャズ・レコードは発売されていませんので、ジャズにおいて「ステレオ」は、ハードもソフトも完全に「話題先行」のニュー・メディアなのでした。しかし、これらはアメリカでステレオ・レコードが発売された約半年後の状況ですので、情報はとても早く入ってきていたということになります。ですから、翌11月号に掲載されたジャズ喫茶「イトウコーヒー」の広告の、「ステレオ盤演奏装置完成、直輸入ステレオ盤ジャズ続々入荷」はとても大きく注目されたことでしょう。当時のジャズ喫茶は、ソフトもハードも最先端のジャズを提供する場だったのです。ソフトもハードも環境が整い、一般ファンが「ステレオ」でジャズを楽しむようになるのは、もう少し先になります。(続く)

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』シリーズを刊行。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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