文/後藤雅洋
■誰をも魅了する歌声
いちばん好きな黒人男性ジャズ・ヴォーカリストは誰ですか? と尋ねられたら、私は迷うことなくナット・キング・コールと答えるでしょう。理由は明確にいえます。
まずはたいへん魅力的な声質です。黒人特有の深みがあって腰が強い声質に裏打ちされた、なめらかでしかもコクのあるキング・コールの歌声は、一度聴けば誰もが間違いなく魅了されるはずです。
ジャズではなく、ポピュラー・ソングの聴きどころの第1は、やはりそれぞれ魅力的なメロディ・ラインでしょう。そしてチャーミングな旋律に乗って気のきいた、あるいは聴き手の心情にフィットした歌詞が乗せられれば、まず間違いなくヒットします。
つまりポピュラー・ミュージックの世界のスタート地点には、作曲家なり作詞家がいて、できあがった「作品」をいかに魅力的に歌うかで、歌い手としての力量が試されるという側面があるのですね。
それに対し、ジャズ・ヴォーカルでは、すでにポピュラー・シンガーによって歌われた「定番曲」、つまり「スタンダード・ナンバー」が、それぞれの歌手によって「再演」されるケースがたいへんに多いのです。そうなると曲の良さを生かすのは当たり前で、それに加え「この曲を私はこう歌った」という「個性的表現」のほうに、評価の基準が移行するのです。そしてその「個性」のいちばんはっきりとした目印が、「声の質感」というわけなのですね。
じつをいうと、これは「ジャズ」という音楽の本質に基づいているのです。つまり器楽演奏でもまったく同じことがいえるのですね。
わかりやすい例を挙げれば、一世を風靡した名トランペッター、マイルス・デイヴィスの魅力の第1は、彼ならではの「ミュート(弱音器)」をトランペットの開口部に当てた、くぐもり気味の音色が醸しだす、なんともブルーで魅惑的な雰囲気でしょう。
ジャズでは、器楽、ヴォーカルの区別なく、「音色・声質」がミュージシャンの資質の重大ポイントなのです。とりわけヴォーカルでは「喉」が発音部分なので、楽器のように「取り替え」がきかず、またこればかりはいくら練習しても、声の質感そのものを変えるのはかなり難しい。つまり器楽奏者以上に、天性の「資質」がものをいう世界なのです。
ナット・キング・コールの強みはそれだけではありません。なんといっても歌が巧い。プロの歌手が歌が巧いのは当たり前、と思ってはいけません。とりわけポピュラー・シンガーの場合は、キャッチーな楽曲の 魅力に加え、容姿・容貌など、外見の「見栄え」が歌唱技術を補っている場合がかなりあるのです。
明確な個性が求められるジャズ・ヴォーカリストにとって、その重要な表現手段である歌唱技術は必須です。しかし、悪い意味ではなく、「癖・訛り」のような歌唱表現も、「個性的な味」として許されるところがあるのですね。
それに対し、ナット・キング・コールの歌唱には、一点の曇りもありません。これは途轍もないことなのです。
■正確・的確・明確な歌
それでは彼の優れた歌唱テクニックを、具体的にひとつずつ見ていきましょう。
まず誰にでもわかるのは音程の正確さですね。そして的確なリズム感。くわえてきわめて明確な歌詞の発音が相まった、歌が完全にコントロールされているという安定感が、聴き手の心地よい安心感に繫がるのです。
しかしじつをいうと、こうした「技術的なこと」は、キング・コールの聴きどころの本質ではないのです。彼の本当の魅力は、声質も含めた歌唱技術の全体が、「いい歌に浸りたい」というファンの願望を、ものの見事に満たしてくれるのですね。
創刊号でポピュラー・シンガーとジャズ・ヴォーカリストの違いは「曲の魅力と、個性発揮のバランス」であると説明しました。楽曲寄りならポピュラー・シンガー、個性表現を第1とすればジャズ・ヴォーカリスト、というわけですね。
そしてキング・コールは「絶妙のバランス感覚で『楽曲の魅力』と『歌い手の個性』が両立している」と解説しましたが、そのことは、彼が第一級のジャズ・ヴォーカリストであると同時に、超一流のポピュラー・シンガーでもあることを意味しているのです。
両者はそのトップ・レベルともなると両立しえることは、フランク・シナトラの存在が見事に証明しているといえるでしょう。
■人柄は音楽に表れる
それでは、ナット・キング・コールの優れた特質である「楽曲の魅力と個性の両立」というキーワードで彼の魅力を解剖してみましょう。
キング・コールの場合、「人柄が音楽に出る」という言い方がいちばんわかりやすいでしょう。キング・コールを悪く言う人はいません。音楽家としても、また一個人としてもなのです。奇人、変人、問題児に事欠かない「個性第1」のジャズ・ミュージシャンにとって、これは珍しいことといっていいでしょう。
さまざまな音楽関係者の証言を聞くと、彼はシャイで温厚、しかしとても人懐っこい性格のようです。では、そうした性格が歌手としての表現にどう影響を及ぼすのでしょうか。
一般論ですが、歌手は「歌の世界に入り込むタイプ」と、「聴衆に寄り添うタイプ」に分かれるようです。温厚で人懐っこい性格のキング・コールは、典型的な後者なのですね。
しかしあまり才能がない歌手が聴衆に寄り添おうとすると、えてして没個性的な演技的歌唱に陥りがち。しかし天性の歌い手であるキング・コールにとって、「歌を巧く歌う」ことはさほど難しいことではないのです!
詳しくは後述しますが、そもそも彼は歌手としてデビューしたわけではなく、また、歌い手としての訓練を系統的に受けたわけでもないのです。そして彼の個性はどこにあるかというと、それこそ「人の気持ちに寄り添うこと」にあるのですね。
結果として、極上の歌声が、まさに「自分に向けて歌われている」という実感に聴き手は自然に浸ることができるのです。これは、ファンにとってのポピュラリティという観点で見れば、キング・コールは天性のポピュラー・シンガーであり、演技ではなく、ごく自然に聴き手の気持ちに寄り添う「人柄自体」が、ものの見事に歌唱に表れているという視点で捉えれば、彼はまぎれもないジャズ・ヴォーカリストなのです。
このことは今号のCDに収録した彼の歌唱を聴けば、どなたでも実感できることと思うのですが、折があれば、一度キング・コールの歌う姿の映像をご覧になってみることをお勧めします。そこには、彼の「歌を聴き手に届けよう」という姿勢が、親しみやすく人の心を捉える映像によって浮き彫りにされています。
キング・コールはその温厚でチャーミングな人柄と歌が、ごく自然な形で一体化しているのです。
■ピアニストとしてデビュー
ナサニエル・アダムズ・コールズ、愛称ナット・キング・コールは1919年(大正8年)に、ジャズ発祥の地ニューオルリンズにほど近い南部アラバマ州の州都モンゴメリーに生まれました。ちなみに弟のフレディ・コールも歌手として活躍しており、そして昨年末に惜しくも亡くなった娘のナタリー・コールは、父キング・コールの歌った名曲「アンフォゲッタブル」(本シリーズ創刊号収録)に自身の声を二重録音した名唱で知られていますね。
アメリカ南部は人種差別が激しいところです。著名なテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンは、白人優先主義の過激組織「K.K.K.(クー・クラックス・クラン)」が、63年にアラバマ州バーミンガムの教会に爆弾を仕掛け、4人の黒人少女が犠牲となった事件を受け、「アラバマ」という楽曲を発表していますね。
そういう事情もあったのか、一家は彼が4歳のときに北部の大都市シカゴに移住しています。1920年代のシカゴといえば有名なギャング、アル・カポネが大暴れする禁酒法時代で、闇酒場ではジャズがさかんに演奏されていました。ジャズの生みの親ともいわれた大トランペッター、ルイ・アームストロングもこの時期シカゴで活躍していました。
キング・コールの父はアメリカのプロテスタント系最大宗派であるバプティスト教会の牧師で、母親は教会のオルガン奏者でした。つまりきわめて厳格な家庭で育ったのですね。
そして素直な性格のキング・コールは、この時代のジャズ・ミュージシャンとしては珍しく、あまり「脇道に逸れる」ことなく育ったようです。エピソードとしては、母親にオルガンを習ったコールが、賛美歌を「ジャズっぽく」演奏して父親に怒られたぐらいで、まあ子供の茶目っ気として許される範囲ですね。
この時代のジャズのメッカともいうべきシカゴでジャズの洗礼を受けたキング・コールは、早くも30年代からジャズ・ピアニストとして活動し、大きな功績を残しています。37年には、オスカー・ムーアのギターとウェズリー・プリンスのベースによる「キング・コール・トリオ」を結成しています。
■ピアノからヴォーカルへ
ここで重要なのは、彼はヴォーカリストとしてデビューしたわけではなく、ジャズ・ピアニストとしてスタートしたというところです。
彼のアイドルはジャズ・ピアノ史の重要人物、アール・ハインズでした。ハインズはモダン・ジャズ・ピアノの開祖であるバド・パウエルにも影響を与えたキーパーソンで、つまりキング・コールはジャズ・ピアノ史のメインストリームにいたのです。
そればかりではありません。今ではごく普通に見られる「ピアノ・トリオ」という3人編成のもとを辿ると、キング・コール・トリオにたどり着くのです。この楽器編成は、のちにバド・パウエルがピアノ、ベース、ドラムスに改革し、現代に至っているのですね。
つまりキング・コールは優れたヴォーカリストであるばかりでなく、ジャズ・ピアニストとして第一級の実力者でもあったのです。ちなみに多くのファンを楽しませてくれた名ピアニスト、オスカー・ピーターソンは、キング・コールの影響を受けています。ピーターソンの初期のトリオは、キング・コール・トリオと同じギター入りトリオでした。
面白いエピソードがあります。ピーターソンは歌も上手で、弾き語りのアルバムもあるほどですが、あるときキング・コールはピーターソンに「これから僕は歌に専念するからピアノは君に任せるよ」と言ったとか……。
ともあれ、キング・コールは自らのトリオを率いて演奏しつつヴォーカルも披露していたのですが、いつしかその「余技」の人気が高まり、ジャズ・ヴォーカリストとしての道を歩み始めたのですね。
■美空ひばりもリスペクト
きっかけは1947年に歌手として録音した「ネイチャー・ボーイ」でした。この曲が翌48年ミリオンセラーとなったのです。彼は43年にキャピトル・レコードと専属契約を結び、ピアノ・トリオのアルバムを出し人気を博していました。
新しいジャズ・スタイル“ビ・バップ”が広まりつつあった46年には、ジャズにも関心をもっていた男性誌『エスクァイア』の人気投票で、ピアノ部門の金賞を受けています。
しかし「ネイチャー・ボーイ」のヒットに続き、50年には「モナ・リザ」、51年の「トゥー・ヤング」とヴォーカルのヒットが続き、ついに55年レギュラー・グループを解散し歌に専念することになるのです。そしてしだいにジャズの世界からポピュラーの分野に進出し、56年にはNBCテレビで黒人として初めてレギュラー番組をもつに至ります。
こうした経歴からもわかるように、多くのキング・コール・ファンは彼がポピュラー・シンガーとして名を成してから彼の存在を知ったのではないでしょうか。かくいう私自身、彼が大物ジャズ・ピアニストでもあることを知ったのはジャズを聴き始めてからで、子供のころは、たんに「アメリカの有名な歌手」という認識しかありませんでした。
彼は日本とも縁が深く、来日もし、また日本語でも歌を録音しています。美空ひばりはキング・コールの大ファンで、今号にも収録した「歩いて帰ろう」をキング・コールの追悼アルバムで歌っています(第6号『昭和のジャズ歌vol.1』に収録)。
キング・コールはジャズ・ミュージシャンとしては珍しい「常識人」でしたが、私がひとつだけ信じられないのは、彼は「タバコを吸うと声がよくなる」と思い込んでいたことです! そのせいで、まだ絶頂期の65年に肺がんで亡くなってしまいました。ほんとうに残念なことです。
最後に彼の存在を総括すると、ナット・キング・コールは、“歌”がその最高レベルに到達すると、“ジャズ”“ポピュラー”の垣根を軽々と乗り越えてしまうことを証明した、稀有なヴォーカリストであったといえるでしょう。
文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。
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