宴席の座興だった「あかねさす」?

が、娘までもうけながら、どこかの時点で額田は大海人のもとを去る。かつては、大海人の兄・中大兄(なかのおおえ)皇子、すなわち「大化の改新」の中心人物である後の天智天皇(626~71)が額田に惹かれ、強引に奪ったとされていた。かの有名な「あかねさす紫草(むらさき)野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る」(額田)、「紫草のにほへる妹(いも)を憎くあらば 人妻故に我恋ひめやも」(大海人)は、「わたしに向かって、そんなに袖を振っておられると、人目についてしまいますよ」「人妻だというのに、あなたのことが恋しくてしかたないのだ」(以下、大意は筆者)と、引き裂かれた恋情を詠んだものだというのが、今でも一般の理解だろう。

ところが、近年はこの説の退潮がいちじるしい。上記の歌は宴席の座興として詠まれたものだという見方が、主流となっているのだ。つまり、「意味ありげに袖など振っていると、人が見ますよ」「いや、兄の想い女になっても、相変わらず美しいと思ってね」というわけである。ここでの額田は悲恋のヒロインでなく、みずからの意志で天智を選んだ力づよき女人となる。その人物像は魅力的だが、天智と天武はあまり仲のよい兄弟ではなかったうえ、この歌は天智の即位直後に詠まれたものだから、帝としては意気盛んな時期だろう。座興としては、かなりきわどい気がする。筆者は小説家であるから、いまだ従来の説にも惹かれるものを覚えてしまう。もし近年の解釈で作品を書くなら、座興にことよせ秘めた心を交わし合った、ということになるだろうか。井上靖の名作「額田女王」は、このあたりの機微をみごとに描きだしている。興味ある方には、一読をおすすめしたい。

相つぐ悲劇

「あかねさす……」の歌からわずか3年後、天智が没し、皇位をめぐって翌年、壬申の乱(672)がおこる。大海人は、天智の子・大友皇子に勝利し、天武天皇となった。大友皇子はみずから命を絶ったとされるが、その妻が額田の娘・十市皇女である。かつての夫が娘婿を攻めほろぼすという光景を目の当たりにした額田の痛みは、いかばかりであったろうか。

だが、悲劇はこれにとどまらない。6年後の678年、のこされた十市が急死してしまう。額田はすでに50歳前後とおもわれるが、以後、その痕跡はほぼ途絶える。おそらく宮中をしりぞいて隠遁生活を送ったのだろう。朱鳥元(686)年には、かつての夫・天武が没する。額田がどのような感慨をいだいたかは、知るべくもない。690年代の作とされる歌が残っているから、70年ほどの生涯をまっとうしたものと思われる。すでに、天武の皇后であった持統天皇(天智の娘)の世となっていた。

額田王について分かっていることは、ごくわずかしかない。が、謎の多さと、残された名歌のかずかずが人々の関心を掻きたてるのだろう。むろん、筆者もその例にもれない。これからも、あまたの作家や学者が、闇夜で灯をかかげるようにして彼女の生涯を追ってゆくにちがいない。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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