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「聖徳太子」は虚像だったのか【にっぽん歴史夜話18】

文/砂原浩太朗(小説家)

「聖徳太子」は虚像だったのか【にっぽん歴史夜話18】

日本史上の著名人を10人挙げよと言われれば、聖徳太子(574~622)のランクインはまず間違いない。ある年代以上の人には、高額紙幣の顔としても馴染みぶかいはずだ。一方、その実像には不明な点が多く、関連書籍のタイトルには、しばしば「謎」「真相」、はては「いなかった」などという文言まで付されている。われわれが漠然とイメージしている聖徳太子像は、はたしてどこまでが本当なのか。

「聖徳太子」は後代の呼び名

聖徳太子の実名は厩戸皇子。第31代・用明天皇(?~587)の子である。名は、「うまやど」でなく、「うまやと」と読むのが正しい。また、しばしば誤解されるが、「聖徳太子」は没後100年以上たって確立した呼称であり、生前そう呼ばれたことはない。父母ともに有力豪族たる蘇我稲目(いなめ。馬子の父)の孫にあたるから、厩戸も生まれながらにして蘇我氏とゆかりの深い存在だった。

父・用明が没したときは、まだ数えで14歳。この時代には兄弟間の相続も一般的であり、叔父が即位して崇峻(すしゅん)天皇となった。が、実力者・蘇我馬子(?~626)との関係が悪化、5年後に暗殺されてしまう。このとき、厩戸が反蘇我氏の姿勢を示した形跡はない。江戸時代には、その点へ批判の目を向ける儒学者もいたが、前述のように彼は蘇我氏ときわめて密な関係を持っている。反蘇我氏という発想は、もともとなかったと考えたほうがいいだろう。むしろ生涯、蘇我氏との協調姿勢をくずさなかったところに、政治家としてのバランス感覚を見るべきではなかろうか。

捏造だった「十七条憲法」?

厩戸の生涯を振りかえるとき、正史である「日本書紀」を避けて通ることはできない。とはいえ、同書の成立は西暦720年であるから、没後ほぼ100年が経過している。当時すでに厩戸皇子の神格化は始まっており、彼に関する記述には信憑性を疑われるものが多い。

たとえば、崇峻の死後、推古女帝(554~628)が即位し、甥にあたる厩戸を「皇太子」に定めたというくだり。当時、皇太子という制度は存在せず、これをもって「書紀」の記述を否定する意見が根強い。ほかにも、「和を以て貴しとす」で名高い「十七条憲法」は、厩戸が官人の心得を示したものとされるが、このころ成立していなかった「国司」(地方で行政などをつかさどる官)という語が文中に出てくるなど不自然な点が多々あり、後世の捏造とする見方のほうが合理的とさえいえる。

が、こうした問題は、筆者のように歴史を素材とした文章を書く身には思い当たることが多い。本稿でも用明天皇や推古女帝などと記しているが、天皇という呼称が正式に定められたのは7世紀末、「用明」「推古」のような中国風の諡(おくりな。死後の呼称)が考案されたのは8世紀後半。どちらも厩戸が生きた時代よりはるか後だが、それを承知で便宜上、用いているのである(推古の和名は「豊御食炊屋姫=とよみけかしきやひめ」)。つまり、「後世でいうところの皇太子」待遇という可能性までは否定できず、「十七条憲法」にしても、加筆ないし捏造された部分がふくまれていることは間違いなかろうが、それを以てすべてが創作だとすることにはためらいを覚える。「書紀」には、「一度に十人の訴えを聞くことができた」という、よく知られた話も記されているが、これも単なる伝説と切り捨てるのではなく、きわめて聡明だったことがこうした形で伝わっているとも捉えられるだろう。

ただ、これまで流布してきた「聖徳太子伝説」が鵜呑みにできないのは、たしかである。付け加えておけば、旧1万円札などでおなじみの肖像画も没後100年以上経ってから描かれた絵をもとにしており、彼の風貌を正確に写したものではありえない。

【次ページに続きます】

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