はじめに-松前道廣とはどのような人物だったのか

松前道廣(まつまえ・みちひろ)は、江戸時代中期から後期にかけて蝦夷地(現在の北海道)を治めた松前藩の第8代藩主です。若くして藩主の座に就いたものの、その後の振る舞いは波乱に満ちており、江戸幕府からの処罰を受けることとなりました。

そんな松前道廣ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、ド派手な性格で権力をふるう、松前家当主(演:えなりかずき)として描かれます。

‎松前道廣
‎松前道廣

目次
はじめに-松前道廣とはどのような人物だったのか
松前道廣が生きた時代
松前道廣の生涯と主な出来事
「松前藩」の歩み
まとめ

松前道廣が生きた時代

道廣が生まれた宝暦4年(1754)は、江戸時代中期にあたり、日本国内では財政改革が繰り返され、社会が徐々に変化し始めていた頃です。とりわけ道廣が治めた蝦夷地は、北方からロシアの南下圧力を受けており、幕府にとって警戒すべき最前線でもありました。

海外との緊張感が高まるなかで、松前藩の政治的な役割は大きく、藩主には高い責任と自覚が求められていたといえます。

松前道廣の生涯と主な出来事

松前道廣は宝暦4年(1754)に生まれ、天保3年(1832)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

12歳で藩主に

松前道廣は、松前資広(まつまえ・すけひろ)の長男として生まれ、弟には画家の松前廣年(まつまえ・ひろとし)、蠣崎波響(かきざき・はきょう)がいます。

‎松前廣年
‎松前廣年

わずか12歳という若さで、蝦夷地松前藩主となりました。明和2年(1765)のことです。

幼くして家督を継いだ道廣には、周囲の支えが必要だったはずですが、年齢を重ねるにつれ、藩政に対する関心を失い、やがて遊興に耽るようになります。

藩政を顧みず隠居へ

当時、蝦夷地は外国勢力からの圧力が高まっていた重要拠点であり、藩の対応が幕府から注視されていました。にもかかわらず、道廣は政務に真摯に向き合わず、藩の統治に支障をきたすようになります。このため、寛政4年(1792)、幕府の内命によって隠居を命じられます。

永蟄居の処分

隠居後も行動を改めることはなく、道廣の素行は問題視され続けました。そして、文化4年(1807)、幕府はついに西蝦夷地を松前藩から取り上げる決定を下します。

その代償として9000石の領地を与える一方、道廣に対しては「永蟄居(えいちっきょ、江戸時代の武士に対する刑罰の一つ。終身に渡って出仕・外出を禁じ謹慎させたもの)」の厳しい処分を下しました。これは、外部との接触を禁じられる極めて重い処分です。

最期とその後

天保3年(1832)6月20日、道廣は79歳で没しました。晩年まで政治の表舞台に返り咲くことはなく、その生涯は失脚と隠遁の時間に終始しました。

「松前藩」の歩み。次ページに続きます

1 2

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2025年
6月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

小学館百貨店Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店