はじめに-土山宗次郎とはどのような人物だったのか
土山宗次郎(つちやま・そうじろう)は、江戸時代中期に活躍した、田沼意次(たぬま・おきつぐ)の側近として知られています。勘定組頭(かんじょうくみがしら)という要職に就き、蝦夷地開発にも深く関与した人物でした。一方で、大田南畝(おおた・なんぽ、四方赤良)ら文人との親交や、吉原での豪奢な遊興も有名です。
そんな土山宗次郎ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、政変により人生が狂った意次の懐刀(演:栁 俊太郎)として描かれます。

目次
はじめに-土山宗次郎とはどのような人物だったのか
土山宗次郎が生きた時代
土山宗次郎の生涯と主な出来事
まとめ
土山宗次郎が生きた時代
土山宗次郎が活躍した18世紀後半の江戸時代は、田沼意次による経済重視の政治が展開されていた時期でした。田沼政権は商業の活性化や蝦夷地の開発など、先進的ともいえる政策を進める一方、賄賂政治や不正が横行した時代でもありました。
宗次郎もその流れの中で活躍し、やがて運命を大きく翻弄されることになります。
土山宗次郎の生涯と主な出来事
土山宗次郎の生年は不詳です。天明7年(1787)に没しました。残されている少ない資料からその生涯を紐解いていきましょう。
勘定組頭としての活躍
土山宗次郎は、田沼意次の側近として信任され、勘定組頭(かんじょうくみがしら)という要職に就きました。勘定組頭とは、勘定奉行の下で財政・農政を司る幕府内の重要な職です。その職責からも宗次郎の能力が高く評価されていたことがうかがえます。
蝦夷地開発の探査役を務める
宗次郎は特に、田沼政権が進めた蝦夷地開発の実務を担い、探査役として重要な任務に従事しました。その一環として、天明3年(1783)に狂歌師・平秩東作(へづつ・とうさく)を蝦夷地に派遣し、現地調査を行わせたことでも知られています。
この調査の記録は『東遊記(とうゆうき)』としてまとめられ、当時の松前やアイヌ文化を知る貴重な史料となりました。
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