『マツダスポーツカークラブ』への加入を機に、より本格的なラリー人生へ突入
大学を卒業した彰さんは、商業施設の内装デザインを手がける会社に就職。自動車修理工場の店主に勧められ、ラリー競技用として改造の済んだ、日産の3代目『ブルーバード1600SSS』を購入します。
「ブルーバードは半ば強引に買わされたのですが、それでもはじめての本格的ラリー仕様車です。納車された時は嬉しかったですね。競技にプライベートに、とにかく走りました」
ブルーバードを気に入った彰さんですが、ラリー競技中に林道から崖に転落。ブルーバードは2回転した末、屋根が大きくへこんでしまいます。幸い、彰さんは軽傷ですみましたが、ブルーバードは廃車となりました。しかし彰さんの競技への熱意は消えることなく、すぐにラリー仲間から同じモデルのブルーバードを購入。廃車となったブルーバードより再使用できるパーツを付け替え、競技への出場を継続します。
その後、大きな事故こそ起こさなかったものの、競技という過酷な使用もあってブルーバードはヤレ(疲労)が進行。自動車修理工場よりマツダの5代目『ファミリア1300』を購入し、乗り換えます。 ラリー競技に参加できるよう改造する際、「マツダスポーツカークラブに加入すると、マツダ車のパーツがお得に購入できる」と知り、何の気なしに加入。この加入は、後の彰さんの人生に大きな転機をもたらします。
「ファミリアのミッションは独特で、4速までのギア比は少ないのですが、4速と5速の間だけはすごく離れているんです。5速から4速へとシフトダウンする時、十分に速度を落としてから操作を行わないとオーバーレブ(回転数が高すぎてエンジンにダメージが出る状態)するので、そこだけ気をつけました」
仕事にラリー競技に、充実した日々を送る彰さん。29歳になり、よりラリー競技に向いたマツダの6代目ファミリアへと車両を入れ替えます。
「はじめて四駆(4輪駆動)のファミリアに乗った時、つくづく『すごいな』と思いました。急なカーブに飛び込んでも、勝手にグイグイと曲がってくれます。当時、知り合いだったトップラリードライバーに貸したところ、そのまま『全日本ラリー選手権』で優勝してしまいました」
マツダスポーツカークラブにて知り合ったメンバーとチームを組み、ラリー競技に出場していた彰さん。これまでドライバーとしての参加が中心だったのですが、この頃からナビゲーター(コドライバー)として参加する機会が増えます。
当時、優秀なナビゲーターは引っ張りだこだったこともあり、彰さんは縁あって『アドバン・ラリーチーム』に所属する名ラリーナビゲーター、小田切順之(故人)氏の元につきます。そして小田切氏の指示の元、アドバン・ラリーチームの看板ドライバー山内伸弥氏をはじめ、高い実力を持ったドライバーのナビゲーターを務め、着々とナビゲーターとしての経験を積み重ねます。
【後編】へ続く
取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。