取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することで歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
『マツダスポーツカークラブ』に加入し、より深くラリー競技にのめり込む遠藤彰さん(62歳)。それまでドライバー主体に活動してきたものの、トップラリードライバーのナビゲーター(コドライバー)を務めるうちに、心の変化が訪れます。
自分は名ドライバーにはなれない……。限界を知り、ドライバーからナビゲーター(コドライバー)へと転向
34歳を迎えた彰さん。お子さん(ご長男)を授かったのを機に、ラリー仕様であったマツダの6代目『ファミリア』を手放し、三菱の6代目『ギャラン』を購入します。
「子供を乗せるために、普通の乗用車が欲しくて買い換えました。本当はフルタイム四駆(4輪駆動)を持つトップグレードの『VR-4』が欲しかったのですが、経済面から1800ccでFF(前輪駆動)のグレードを選びました。今の車と比べればコンパクトですが、当時としては車格は大きい方で、とても乗りやすいクルマでした。けれど乗っているうちにパワー不足を感じ、VR-4への未練が出てしまって……。そんな時、友人が競技中のアクシデントで『AMG』というグレードのギャランを廃車にすると聞いたので、3万円で買い取りました」
車体を引き取った後、彰さんは自身のギャランにAMGのエンジンを搭載。40馬力ほど出力が向上し、気持ちよく吹き上がるようになったギャランは、大のお気に入りとなりました。
この頃、ラリー競技は主に『アドバン・ラリーチーム』の一員として出場。師匠筋にあたる名ナビゲーター小田切順之氏(故人)の指示の元、名だたるドライバーのナビゲーターを務めます。 そして自身がドライバーとしてラリー競技に出場した際、これまで感じたことのない苛立ちと失意に襲われます……。
「世界で戦うトップドライバーのナビゲーターをしていると、否が応にも運転技術の高さを見せつけられます。そしていざ自分がドライバーとして運転すると、頭ではトップドライバーと同じように操作しようとするのですが、感覚と腕前がまるで追いつかない。どんなに練習を重ねてもトップドライバーのようにはいかず、運転すればするほどストレスが溜まる……。悔しいですけど自分はドライバーとしてやっていけないことを、認めないわけにはいきませんでした」
トップドライバーの高い技量と、自身のドライバーとしての限界をまざまざと見せつけられた彰さんは、断腸の思いでドライバーを引退。以降はナビゲーターに専念することを心に決めます。
この後、アドバン・ラリーチームや『ラリーアート』といった大手ラリーチームから、ナビゲーターとして全日本ラリー選手権に幾度も出場。2004年からは出走する側ではなく、競技を主催、運営する側に身を置くようになります。また現在では要請があれば、プライベートチームの若手ドライバーや新人ドライバーのナビゲーターを引き受けるなど、精力的にラリー競技におけるノウハウの継続や後進の育成に務めています。
【次ページに続きます】