取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
今回、お話をうかがったのは東京都新宿区にお住まいの長岡巽さん(仮名:55歳)です。中学校を卒業後、家業を継ぐために理容師の専門学校へと進学。一度は理容師として生計を立てますが、家庭の事情により転職。現在はタクシー会社にて総務を担当されています。
憧れたスーパーカーを購入するため、クルマを買わず貯蓄に回した青春時代
1965年、東京都新宿区で産声を上げた巽さん。幼少の頃からクルマに乗るのが大好きで、バスに乗った際は可能な限り一番前のシートに座り、景色や運転手が操作をする様を眺めていたそうです。小学生の頃に訪れたスーパーカーブームにもしっかりとはまり、夢中で『スーパーカー消しゴム』を集め、お友達とのスーパーカー消しゴム落としゲームに熱中しました。
中学校を卒業後、家業の理容室を次ぐために理容師の専門学校へと進学。卒業後、お父様の元で働き始めます。18歳で普通自動車免許を取得。しかしすぐにはクルマを購入せず、クルマが必要な時はご実家で所有されていた三菱『ギャランΣ(シグマ)』やマツダ『コスモ』を利用していました。
巽さんが自身のクルマを購入したのは25歳になってから。お友達と輸入車を扱う中古車ショップを巡り、ついに念願のポルシェ『911カレラ(930型)』と出会います。
「購入したカレラは85年式で、5年落ちの車両になります。どうしてもMT(マニュアルトランスミッション)車が欲しかったので、ずいぶんと探しました。程度はすごく良かったのですが価格も高く、これまで貯めていたお金をすべて注ぎ込みました」
ご実家のクルマは皆AT(オートマチックトランスミッション)車だったため、MT車に不慣れな巽さん。購入した初日にカレラのクラッチの重さと扱いの難しさに驚き、幾度もエンジンストール。左足もつってしまったそうです。その後、運転の際は窓を開け、クラッチの音を聞きながらシフトの操作をしていました。
休日の度に横須賀や横浜へとドライブし、カレラと共に楽しいカーライフを過ごします。購入から1年半ほど経た頃、巽さんはそれまでお付き合いしていた女性との結婚を意識。また家業を継ぐにあたって意見や方針でお父様とぶつかることが増え、関係はギクシャクしたものに変わります。
巽さんが29歳を迎えた年。同じ職場で働くのが困難になるほどお父様との関係は悪化。結婚を機にご実家を離れ、転職することを決意します。新しい生活の資金を捻出するため、巽さんはカレラを手放しました。
実用車としてシビック、オルティア、オーパ、エスティマを乗り継ぎ、日本車の高い品質に感心
結婚後、江戸川区のマンションへと引っ越した巽さん。大手運輸会社の総務への転職を果たし、新しい環境での生活に踏み出します。勤務地は交通の便が悪かったため、通勤用にホンダの5代目『シビックVTi』を購入。奥様も乗られるためAT車でしたが、よく走って楽しいクルマだったそうです。
結婚した翌年に第一子を授かり、環境の良いマンションへと引っ越し。その後、頻繁に職場の異動を命じられ、ご家族揃っての引っ越しを繰り返します。多忙ではあるものの仕事は順調。家庭でも第二子、第三子を授かるなど幸せな日々を過ごします。
通勤や業務により日々、40~50キロの距離を自家用車で移動する巽さん。シビックからはじまりホンダ『オルティア』、トヨタ『オーパ』、トヨタの2代目『エスティマ』を、4~5年のサイクルで乗り継ぎます。
「オルティアは新車で購入。オーパは親類から譲ってもらい、エスティマは会社の知人から購入しました。どのクルマもノントラブルで10万キロ以上を走り、使い勝手も良い。あらためて日本車の品質の高さに感心させられましたね」
新しい生活から十余年。至って順風満帆に思えていた巽さんの生活ですが、知らぬうちに生じた小さな綻びが巽さんに忍び寄ります……。
取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。