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■ストーカー気質で恋愛下手な人気女流作家

一方、日本では桃太郎や浦島太郎と同列で語られるほど有名なフランダースの犬ですが、原作者の名前を正確に思い出せる人は少ないでしょう。それもそのはず、男性か女性かもわからない、ウィーダ(Ouida)という、ちょっと不思議なペンネームをもつ女性です。本名はマリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー (Marie Louise de la Ramée) 。フランス人の父とイギリス人の母のもと、イングランド東部に生まれました。20歳そこそこでロンドンへ上京し、イギリス上流階級の生活や暮らしを小説仕立てでリアルに描き、当時、台頭してきた中産階級の女性たちの間で大人気作家となりました。貴族達のスキャンダルを赤裸々に書きまくって、良識ある人々の顰蹙を買います。今なら炎上上等の人気ユーチューバーといった役割でした。

ウィーダ女史

ウィーダ(Ouida, 1839年 – 1908年)本名:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー (Marie Louise de la Ramée)

一流ホテルで暮らしながら、派手なパーティーを主催し、そこで見聞きした噂話を面白おかしく書いていたウィーダは、自分自身もイタリア人オペラ歌手を相手に一方通行の恋をします。巨大な花束や贈り物攻撃で相手の気をひこうとしますが、まったく相手にされません。ウィーダにスキャンダルを暴露された人々にとって、こんなに面白い話はありません。相手の気持ちを無視してやり過ぎたウィーダは、ロンドンに居られなくなってしまいます。しかし、この恋愛事件がなければ、フランダースの犬は生まれなかったでしょう。

失恋によるダメージから回復するために、ウィーダはロンドンを脱出。ヨーロッパ各地を転々としました。特に心惹かれたのはベルギー北部のフランドル地方でした。そこでアロアのモデルとなる少女と出会い、犬と少年の物語の構想を練りました。失恋旅行後、ウィーダはイタリア、フィレンツェに新しく居を構え、かのフランダースの犬を完成させます。

■犬屋敷の老女と呼ばれた最後

フィレンツェに落ち着いた後も、精力的に作品を発表したウィーダですが、しばらくしてロンドンでの失敗を繰り返します。イタリア人貴族スタファ侯爵に対し、一方通行の恋愛事件を引き起こします。多くの人を巻き込んだ、ストーカーもどきの恋愛により、ウィーダはロンドンの時と同じように人々の顰蹙をかい、非難と嘲笑から逃れるようにローマへと転居します。

なぜ同じ恋愛の失敗を繰り返すのか、理解に苦しみますが、彼女の素晴らしいところは、こうした体験を糧として、次の作品へと小説をステップアップさせていった点にあります。スタファ侯爵との恋愛事件もしっかり作品に残し、読者を満足させてくれました。

赤裸々な作品により、多くの友人を失ったウィーダは、ロンドンに戻りますが、その頃から少しずつ経済的にひっ迫するようになります。彼女の作品は中産階級の女性たちに読まれていましたが、貴族へのあこがれや恋愛小説に対する関心が薄れ、貸本事業自体が縮小します。読者は雑誌を買い、リアルでスキャンダラスな記事に夢中になってゆくのです。

自尊心が高く、頑固で、猪突猛進な恋愛体質のウィーダを支えていた母親が亡くなります。54歳のウィーダは墓を買うこともできず、母を共同墓地に埋葬します。使用人の裏切りや、社交界での人間関係に疲れたウィーダは、次第に犬に心の癒しを求めます。捨てられた犬を引き取り、彼女が住むヴィラ・ファリノーラは数十頭の犬で溢れ、「犬屋敷」と呼ばれるようになりました。

ウィーダはロケットペンダントに大好きな犬の写真を入れて身に着けていました

ウィーダはロケットペンダントに大好きな犬の写真を入れて身に着けていました

フランダースの犬で、パトラッシュは決してネロを裏切らず、最後までネロに寄り添います。それは、孤独で頑固なウィーダがそうあって欲しいと願った愛の形であったかもしれません。失恋旅行の最中で構想を練ったフランダースの犬は、ネロにもパトラッシュにも疎外感と孤独の影が付きまといます。パトラッシュは、彼女が愛した男性を投影した、理想の存在のようにも見えます。

ウィーダの墓にはひっそりと、犬の彫刻が寄り添っています。そして、彼女の記念碑は動物愛護運動のシンボルとして給水塔が設置され「動物たちが水を飲むたびに、動物を愛した彼女の優しい魂が和らぎますように」と刻まれました。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

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