マシンはシルバーのボディに紺のボンネット。篠原さんがJAFグランプリで駆った仕様をベースに、桑島さんの往年のマシンから引用した赤いピンストライプと僕のヨコワケハンサムポーズのシルエットを入れて完成させました。ゼッケンはもちろん69(ロック)。レース初体験とあっておっかなびっくりの僕をおふたりがカバーしてくれて、結果は総合9位、クラス5位でした。思いがけずトロフィーまでいただいちゃって、うれしかったですね。もっとも、そのせいで「記念に1回だけ」と言っていた僕も、そして桑島さんまでも火が付いちゃったわけですが(笑)。
少年のころ憧れていたクルマに、大人になって、このように関わることが出来ているのですから、感無量です。当時、夢中になって見ていたレースのシーンがよみがえってきます。僕にとっての「ハコスカ」はレースで活躍する「GTR」のイメージですが、冒頭でも触れたように、「ハコスカ」といえば、CMも忘れられません。後に俳優としても活躍したモデルの蟇目良さんと、モデル/タレントのビーバーさんがカップルを演じた“まさに愛の溢れる”世界感にも憧れたのを覚えています。
「ランランラララ〜」というコーラスから始まる、ソフトロック調のオシャレな「愛のスカイライン」のCMソングは、今でも口ずさんでしまうくらい大好きです。後年知ったことですが、作詞が山上路夫さん、作曲がいずみたくさん、唄がスリー・グレイセスという超一流のスタッフが手がけていたのですから、そのクオリティの高さにも納得です。
クルマのCMに関しては、じつはエピソードがあります。カッコイイCMへ憧れが当時小学生だった僕を動かしたのです。あれは確か11、12歳の頃。「日産パーレレット」という架空のモデルを企画しました。デザインスケッチを描いて、CMソングを作り、CMに出演するタレントのキャスティングまでして。しかも、その企画書(と呼ぶのははばかられますが)にアカペラで歌ったCMソングを収めたカセットテープまで作って添えたのです。そして、大胆にも日産銀座ギャラリー受付にいるミス・フェアレディのお姉さんに手渡しにいきました。「偉い人に渡してください」と伝えるのを忘れずに。
今考えれば赤面ものですが、当時は大真面目でした。しばらくして日産から自宅宛に封書が届き大喜びしたのですが、肝心の企画の採否に関する記述はまったくなく、入っていたのは絵ハガキやステッカーなどでした……。それから1、2年後に日産から「バイオレット」がデビューしたときには、「これは僕が考えたクルマでは!?」と思いましたね(笑)。
とまあ、クルマとの想い出は数えきれません。そして今もクルマとの想い出は増え続けています。
まだまだお伝えしたいことはたくさんあるのですが、今回で僕のコラムは一旦終了です。
読んでいただいた皆さん、ありがとうございました! 様々なクルマについて語ることで、改めて思ったことは、クルマって本当に“タイムマシン”なんだ!ということです。あの日、あのときに連れて行ってくれる。クルマは公道やサーキットだけでなく、過去や未来に向けても走っているのです。想えば想うほど楽しい。そんなところは音楽と同じです。だから、きっといつかまた、みなさんとクルマについて語る機会ができればと思っています。皆さんのココロのなかにあるクルマを一緒に走らせましょう!
やっぱりクルマって「イーネッ!」。
横山剣(CRAZY KEN BAND)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足。今年クレイジーケンバンドはデビュー20周年を迎え、8月1日(水)には3年ぶりとなるオリジナルアルバム「GOING TO A GO-GO」をリリース。9月24日(月・祝)には、横浜アリーナでデビュー20周年記念ライブも行われる。http://www.crazykenband.com