文・石川真禧照(自動車生活探険家)

自動車の歴史を言い表した言葉として、「自動車はドイツ人が発明し、フランス人が育て、イタリア人が化粧をし、イギリス人がそれを楽しむ」というのがある。
ベントレーは、イギリス人のW.O.ベントレーが1930年代に創業した自動車メーカーだが、無名だった彼が自社の宣伝のために利用したのがモータースポーツだった。当時のイギリス人は自動車を男の趣味としてとらえていた。当時からイギリスには大小のサーキットが点在し、週末には多くのサンデーレースが開かれ、男たちは競っていた。
そこに参加していたのはお金のないクルマ好きの若者もいたし、家族総出で参加している者もいた。


ベントレーは当時から高級、高性能なクルマ造りをしていたので、顧客は医者、弁護士、富豪、貴族等経済的に裕福な人が多かった。彼らはレースに参加し、優秀な成績を収めた。1920年代から50年代にかけては、ル・マン24時間レース(フランスで開催され、今年で101回目を迎える)という過酷なレースで5回も総合優勝している。
裕福なアマチュアドライバーが操縦し、勝ったことで、ベントレーは世界の富豪や貴族に認知され高級スポーツカーとしての地位を確立した。



最近ではすっかりその地位も安定しているが、その歴史は苦難の歴史だった。ル・マン優勝した直後の1931年に経営難からロールスロイスに買収され、以降、グリルの異なるロールスロイスを造る時代が1998年まで続いた。
しかし、その間も熱心なベントレーファンはほとんどグリルだけしか違わないロールスロイス・ベントレーを支持し、やがてベントレーもその声に答えるように独自のモデルを開発した。その第1号ともいえるのが1952年頃に発表したコンチネンタルだった。今回のコンチネンタルGTのルーツにあたるスポーツクーペだ。ベントレーはロールス傘下になってもスポーツ心を忘れてはいなかった。そして、1998年にフォルクスワーゲングループに属してから、さっそくル・マン24時間レースに復帰、03年に総合優勝している。実に73年ぶりの優勝だった。





コンチネンタルGTも03年に高級スポーツカーとして初代が登場。今回の新型は4代目にあたるモデル。新型は時代の流れに合わせ、エンジン+モーターを組み合わせ、外部充電もできるプラグインハイブリッドをパワーユニットとして採用した。エンジンとモーターの出力を足した値はベントレー史上最強。試乗してみると、V8、4.0Lエンジンは、低音で重厚な音を発しながら優雅さを常に保ち、他のスーパースポーツとは一線を画している。発進はモーターなので、文字どおり音もなく動きはじめる。EVモードを選択すればフル充電で70kmはモーターだけで走行する。日常使いなら大半はモーターだけの走行だ。


V8、4.0Lツインターボエンジンを楽しみたければ、センターコンソールのダイヤルをスポーツモードに合わせれば、瞬時にV8エンジンは立ち上がり、低音のうなりをあげながらアイドリングする。走り出せば、常に重めの操舵力でブリティッシュスポーツカーの味付け。その実力は加速(0→100km/h 3秒台=実測)、最高速(335km/h=カタログ値)とケタ外れだが、最新の電子制御技術が常に安全、安心方向に振られている。



ベントレースポーツは、いまでもアマチュアドライバーが親しみをもって操縦できる、スーパースポーツカーなのである。
ベントレー/コンチネンタルGTスピード ファーストエディション
全長×全幅×全高 | 4880×1965×1405mm |
ホイールベース | 2851mm |
車両重量 | 2459kg |
エンジン/モーター | V型8気筒ガソリンツインターボ/交流同期 |
最高出力 | 600ps/6000rpm/190ps |
最大トルク | 800Nm/2000~4500rpm/450Nm |
駆動形式 | 4輪駆動 |
燃料消費量 | 未発表 |
使用燃料/容量 | プレミアムガソリン/ 80L |
ミッション形式 | 8速AT |
サスペンション形式 | 前:ダブルウイッシュボーン/後:マルチリンク |
ブレーキ形式 | 前:ベンチレーテッドディスク/後:ベンチレーテッドディスク |
乗員定員 | 4名 |
車両価格(税込) | 3930万円 |
問い合わせ先 | ベントレーコール 0120-97-7797 |

文/石川真禧照(自動車生活探険家)
20代で自動車評論の世界に入り、年間200台以上の自動車に試乗すること半世紀。日常生活と自動車との関わりを考えた評価、評論を得意とする。
撮影/萩原文博