■ビートルズを超えた人気
ルイ・アームストロングは1901年にメキシコ湾に面したアメリカ南部の港湾都市、ニューオルリンズに生まれました。子供のころ、お祭りの騒ぎの中、浮かれてピストルを発砲し、少年院送りになってしまいます。けっこうやんちゃな子供だったのですねえ。しかし、少年院のブラスバンドでコルネットを覚えたというのですから、人の運命はわからないもの。出所後は街中のパレードなどで演奏し、人気者となります。
23年に先輩トランぺッター、キング・オリヴァーに呼ばれ、シカゴでオリヴァーのバンドに参加します。このころサッチモはオリヴァーと初レコーディングを経験しますが、面白いエピソードがあるのです。
そのころのレコード録音は機械式(空気の振動を直接盤面に刻む方式)なので、大きなラッパ(集音機)に向かってみんなで合奏するのですが、サッチモは音が大きすぎ、肝心のリーダー、オリヴァーの音が聴こえないのです。そこでサッチモはメンバーのはるか後方で演奏させられたというのです。すでにして師のオリヴァーを実力で凌いでいたのですね。
その後ギャラの配分などでオリヴァーと揉め、24年にサッチモはニューヨークに進出し、フレッチャー・ヘンダーソン楽団に参加します。ここでもサッチモは頭角を現し、ダンス・バンド的だったヘンダーソン楽団をバリバリのジャズ・バンドに仕上げてしまいます。それから再びシカゴに戻り、自分がリーダーとなった「ホット・ファイヴ」「ホット・セヴン」といったそれぞれ5人編成、7人編成のバンドで、先ほどの「ヒービー・ジービーズ」などの名演を残しています。
50年代に入ると「薔薇色の人生」(第5号収録)や「キッス・オブ・ファイア」といった大ヒットを連発し、いちジャズ・ミュージシャンを超える存在となったのです。とりわけ有名なのは64年、「ハロー・ドーリー」で、ヒットチャート・ナンバーワンを独走していたビートルズ・ナンバーから、ナンバーワンの地位を奪回するという偉業を成し遂げたことでしょう。この一事をもってしても、サッチモのミュージシャンとしての偉大さがわかろうというものです!
文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。
※隔週刊CDつきマガジン『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)の第34号「ルイ・アームストロングvol.2」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)が発売中です(価格:本体1,200円+税)
>「隔週刊CDつきマガジン JAZZ VOCAL COLLECTION」のページを見る
サマータイム、バードランドの子守歌、ビギン・ザ・ビギン…一生で一度は聞いておきたいジャズ・スタンダードの熱唱約250曲をCD26枚に収めた日本初の全集です。BOOKを読めば歌手の生涯や時代背景も学べます。
※ エラ・フィッツジェラルド|圧倒的な歌唱力、抜群の安定感を聴かせる「女王」
※ フランク・シナトラ|歌をリアルに伝える圧倒的な表現力と技術
※ ルイ・アームストロング|ジャズの父、そしてジャズ・ヴォーカルの父
※ 若き美空ひばりJAZZを歌う!今なお輝き続ける「昭和ジャズ歌」の個性
※ ボサ・ノヴァ・ヴォーカル|ブラジル・リオで生まれ世界を癒した音楽の新しい波
※ ビリー・ホリデイ|強烈な人生体験から生まれた歌のリアリティ
※ エラ・フィッツジェラルド|エラの歴史はジャズ・ヴォーカル・ヒストリー
※ フランク・シナトラ|ジャズとポップスを繫ぐトップ・スター
※ グループ・ジャズ・ヴォーカル|官能的な極上のハーモニー!
※ クリスマスのBGMに最適!聖夜を彩るジャズ・ヴォーカル・クリスマス
※ 昭和のジャズ・ヴォーカル|世界に飛び出した日本のジャズの歌姫たち
※ ビング・クロスビー|古きよきアメリカを体現する「囁きの魔術師」
※ ジューン・クリスティ|ドライでクールな独創のハスキー・ヴォイス