今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「いろいろむつかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」
--西郷隆盛
西郷隆盛という人は、茫洋と感ずるほどのスケールの大きさを持っていたのではないか。勝海舟はこれを「大度洪量」という言い方で表現している。海舟の紹介状を持って初めて薩摩に西郷を訪ねた坂本龍馬が、帰ってくるなり海舟に向かってこう言ったという。
「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしバカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろう」
周知のように、西郷と勝は、戊辰戦争時の江戸城の無血開城の立役者である。1対1で直談判し、その場ですぐに事を決めてしまった。西郷は勝の言うことにあれこれ疑念を差し挟まむこともせず、至誠の態度を貫いたという。掲出のことばは、その談判の折に西郷が勝に向かっていった台詞である。
勝は後年、『氷川清話』の中でこう語っている。
「西郷のこの一言で、江戸百万の生霊〔人間〕も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。もしこれが他人であったら(略)いろいろうるさく責めたてるに違いない。万一そうなると、談判はたちまち破裂だ。しかし西郷はそんなやぼはいわない。その大局を達観して、しかも果断に富んでいたには、おれも感心した」
まったく、大した人物であった。
西郷には、こんなエピソードもある。
慶応元年(1865)、坂本龍馬が西郷の鹿児島の家に泊まった折、古い借家で雨漏りがしていた。お客さんを迎えていることもあって、西郷の妻の糸子が、屋根を修理するよう西郷に頼むと、西郷は「今は国中が雨漏りしている。うちだけ直すわけにはいかん」と、たしなめたというのである。
また、このときの滞在中、龍馬が「一番古いふんどしを下されぬか」と糸子に頼み、西郷の使い古しのふんどしをもらって締めたが、帰宅後にこのことを知った西郷は、「お国のために命を捨てようとする御仁に、古ふんどしとは何事か。一番新しいのとお取り換えしなさい」と叱ったという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。