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「どうしたヤス? 何か困ったことがあったか?」という星野氏の言葉から始まった。

もちろん、ブログで公表する以前に、近しい関係の人には連絡をして、経緯を伝えてあった。16年10月に癌を宣告された時、大島さんが真っ先に電話をした相手は、中日ドラゴンズ時代のチームメートである故・星野仙一氏だった。1968年ドラフト1位で中日入りした星野氏と同3位の大島さんは、いわゆるプロ同期の間柄。大卒の星野氏は、高卒の大島さんより4歳年上で、文字通り球界における兄のような存在だった。実際、大島さんは人生の節目節目で星野氏へ相談を持ち掛けている。この時の癌発覚と手術の報告の電話も、いつもと同じように「どうしたヤス? 何か困ったことがあったか? オマエはいつも困った時にしか連絡してこんな」という星野氏の言葉から始まったそうだ。

「いえ、困ったことではないんですが……実は、大腸癌になりまして……」
「……そうか……で、病院はどこだ?」
「〇〇病院です」
「ああ、あそこなら心配しなくていい。ヤス、お前なら大丈夫だ」

周知のとおり、星野氏は18年1月にすい臓癌で他界。突然の訃報に、球界関係者やファンは驚き悲しんだ。

「最後にお会いしたのは、その前年11月に行われた星野さんの殿堂入りを祝うパーティーでした。まさか星野さんが癌を患われていたとは……。訃報に接した時は、飛び上がるほど驚きました。亡くなった時期から考えると、私が癌の報告の電話をしたときに、ご自身の癌も発覚していたのではないかと思います。でも、そんなことは一切、口にしなかった。いかにも星野さんらしい振る舞いだと思います」

2019年2月。今年もプロ野球キャンプの時期がやってきた。3月下旬にはシーズン開幕を迎える。大島さんは抗癌剤治療を続けながら、今年も解説者として現場に足を運ぶ。

「今年、一番注目しているのはやっぱり大谷翔平選手ですね。とにかくモノが違う。肘のケガで今年は打者に専念する予定ですが、いずれ二刀流を再開するでしょう。そうなると、歴史的な記録を打ち立てるのは難しいかもしれません。ただ、そういう記録とは別の次元で、同業の他選手が認める選手こそがスターなんです。大谷選手は間違いなくスーパースター。それに大谷選手とは関わりだってあるんですよ。大谷投手がプロ入りした時、『ダルビッシュ投手の背番号11を受け継ぐ』と話題になりましたけど、もっと前の11番は誰ですか? 忘れてませんか?(笑)。11番は、ファイターズ栄光の背番号なんですよ」

~その3~に続きます】

大島康徳(おおしま・やすのり)
1950年10月16日生まれ(68歳)。大分県中津市出身。中津工から68年ドラフト3位で中日ドラゴンズ入団。71年に一軍初出場。76年にシーズン代打本塁打の日本記録(7本)を樹立。77年から、強打の内野手として不動のレギュラーに定着した。83年、36本塁打を放ちタイトル獲得。88年、日本ハムファイターズへ移籍。94年限りで現役引退。現役通算成績は、2638試合、2204安打、382本塁打、1234打点、打率.272。現役引退後は、解説者や指導者として活躍。2000年から02年まで日本ハムファイターズの監督を務めた。また、06年第1回WBCでは日本代表チームの打撃コーチに就任。チームの初優勝に貢献した。2016年、大腸癌(ステージ4)と転移性肝臓癌が発覚。同年11月に大腸癌切除手術を受け、現在も抗癌剤治療を続けている。

取材・文/田中周治 (たなか・しゅうじ)
1970年、静岡県生まれ。東京学芸大学卒業後、フリーライターとして活動。週刊誌、情報誌などにインタビュー記事を中心に寄稿。また『サウスポー論』(和田毅・杉内俊哉・著/KKベストセラーズ)、『一瞬に生きる』(小久保裕紀・著/小学館)、『心の伸びしろ』(石井琢朗・著/KKベストセラーズ)など書籍の構成・編集を担当。現在、田中晶のペンネームで原作を手掛けるプロ野球漫画『クローザー』(作画・島崎康行)が『漫画ゴラクスペシャル』で連載中。

撮影/藤岡雅樹

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