フェアレディは1台のみとなりましたが、新たに日常使い用としてトヨタの『プロナード』を購入。2台を使い分けながら、日本でのクルマ趣味を満喫します。
冷やかしのつもりで落札してしまったジャガーEタイプ
2006年、今度は現地法人の責任者として渡米するよう、純一さんに辞令が出ます。当初は長期出張(2~3か月程度)という話だったため、フェアレディを日本に残して渡米しました。しかし途中から駐在員に切り替わり、滞在期間も年単位に変更。純一さんは2008年に一時帰国した際、フェアレディをアメリカへ連れ戻します。
「フェアレディは長男のもとに預けてあり、アメリカ滞在中、ずっと気になっていました。当時、日本からアメリカへとクルマを持ち込むのは、とても難しい時代でした。幸いなことにフェアレディの車体番号や記録がアメリカに残っていたため、すんなりと手続きを終えることができました」
フェアレディをアメリカに戻した年、純一さんはたまたま見ていたインターネットオークションサイトにて、真っ赤なジャガー『Eタイプ』が出品されているのを見つけます。開始価格は相場よりはるかに安かったため、冷やかしのつもりで入札したところ……なんとそのまま落札してしまいます!
「本当に落札できるとは思っていなかったので、出品者から連絡をもらった時は驚きました。ジャガーは東海岸にあって私の住まいは西海岸。さすがにアメリカ大陸を横断して受け取りに行く余裕はないので、業者に依頼して運んでもらいました。幼い頃の思い出もあって『Eタイプは大きい』というイメージがあったのですが、目の当たりにすると案外、小さいと感じましたね。走るとエンジンの熱が足元に入って、とても暑い! アメリカならばそれほど苦にはならなかったのですが、日本に持ち込む際にはエアコンと追加の電動ファンを入れてもらいました」
2012年、純一さんは再び帰国の辞令を受け、一度目の駐在員期間とあわせて22年も生活したロサンゼルスを後にします。新車時の輸出をふくめると、フェアレディは4度も太平洋を渡ったことになります。
62歳を迎え、長く勤めていた会社を定年退職。心機一転の意を込めて、大阪府から東京都に引っ越します。新しい土地でも、純一さんはフェアレディとジャガーに乗っては積極的にイベントに参加し、アメリカに居たころと変わらずクルマ趣味を満喫しています。
「フェアレディは千葉県にある専門の工房で、ジャガーは府中市にある専門の工房で面倒を見てもらっています。よく維持費のことを聞かれるのですが、アメリカの業者からパーツを購入しているので、皆さんが思うよりずっと安く収まっているんですよ」
クラシックカーイベントにはフェアレディで参加するよりジャガーで参加する方が喜ばれ、純一さんとしても喜んでもらえて嬉しい一方、ちょっと複雑な気持ちを抱くことも。
「今のクルマに乗ると、どうにも私の方がクルマに使われている気がしてしまって……。このまま運転ができなくなるまでフェアレディに乗るつもりです。そのあとは、フェアレディに興味を持ってくれている子どもに譲りたいと考えています。本人が認めてくれれば、ですが」
アメリカで長く苦楽を共にした、大事な友人のフェアレディ。彼女を譲れるその日まで、純一さんはステアリングを握り続けます。
取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。