生き抜いた者たち

西郷軍にはもう一人、隆盛の長男・菊次郎もくわわっていた。奄美大島での現地妻・愛加那との間に生まれた子で、このとき17歳。維新後、9歳の時に鹿児島へ引き取られ、明治5(1872)年から2年半、アメリカへ留学した。帰国後、すでに政府の役職を辞していた父を追って鹿児島へもどり、学問と農事にいそしむ日々をおくる。西郷軍の挙兵にあたっては、継母の糸につよく引きとめられたが、振りきるように出陣した。が、やはり開戦早々、銃弾を受け重傷を負った右足を切断、戦闘不能となる。8月にいたり、敗北を覚悟した父からすすめられ、政府軍に投降した。ここで叔父の従道に見いだされ、手厚い看護を受ける。年少であることを考慮されてか、罪にも問われなかった。

翌9月、隆盛が城山で落命、西南戦争は終結する。従道は海軍大将・侯爵にまでのぼり「小西郷」と呼ばれたが、長兄への敬慕をわすれなかった。戦火で焼失した鹿児島の西郷家を再建したり、菊次郎を助けた従僕とその家族を引き取ったりしていることからも思いの深さが分かる。菊次郎は奄美で心身を癒したのち外務省に入り、台湾総督のもとで現地住民に配慮した施策をつぎつぎと実行した。退官後は京都市長として、上下水道の整備などに大きな功績を残すこととなる。

一方、3番目の妻・糸が生んだ寅太郎は西南戦争のとき12歳で、いくさには加わらなかった。戦後は賊徒の遺子という目を向ける者も多かっただろうから、子ども心に大きな傷を負ったものと想像される。が、西郷家の復権ははやく、やはり叔父・従道の後援で明治17(1884)年、寅太郎は宮中への参内をはたす。翌年にはプロシア(ドイツ)へ留学、明治政府で軍人としての道を歩む。明治22(1889)年、恩赦により隆盛の罪がゆるされ、のち寅太郎も侯爵に叙せられた。大正8(1919)年、54歳で没するまで現役の陸軍軍人として生涯を全うする。

そして、昭和3(1928)年、菊次郎が68歳で没する。父・隆盛を亡くして50年以上、実母愛加那や継母の糸、叔父従道も、すでにこの世の人ではなかった。終焉の地は、父との思い出が詰まった鹿児島である。

隆盛がここで産声をあげたのは、ほぼ100年前の1827年。そのことに思いがおよぶと、長きにわたる西郷家の歴史に、ひとつの区切りがついたような、ふしぎな感慨にとらわれるのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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